【小説的思考塾 vol.19 1/11(土)午後4時】リモート+対面《物語神話歴史に飲み込まれないために》メモ6

歴史として書いたら、或る整合性が生まれるから書いてないことがそんなには気にならないんじゃないか(群像1月号『鉄の胡蝶』からの抜粋)

連載はここで、小説的思考塾と交差する
歴史を書くことは出来事を秩序を持って並べること→思考することは事象に秩序を与えることだという狭い考えを私は批判している

因果関係など特定の法則性を探し出して出来事を秩序立てて並べられる能力を、この社会は「優れた能力」としているんだが、それをしないで、出来事や事象をそれ自体として見て記憶することは、抽象化せず具体性に辛抱強く留まる別タイプの知力だ。

人の話を聞いている時に、すぐに「つまり○○だね」と言うのは、抑圧的で、暴力的だ。
抽象化はある意味それに近い

リンク先は中井久夫について書いた文章。中井久夫は治療において、因果関係や能動性を脇に置いた。
カフカやベケットと思想を共有していた

因果関係や能動性のこと(『文藝別冊 中井久夫』2017年5月)
『徴候・記憶・外傷』(みすず書房)所収の「統合失調症の精神療法——個人的な回顧と展望」という文章(初出は一九八九年)に、精神科医になるに当たって中井氏が自分に課…
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