出来の悪い牧羊犬
私がこだわっているのは、小説家自身が持っている小説のイメージと、それについて語るたとえば評論家が持っている小説のイメージが違っていることだ。
小説家は自分自身の小説のイメージについて語らないけれど、評論家はその人が持っている小説のイメージの中で小説を語るから自然と小説のイメージそのものも語られることになる。小説家だってもちろん小説のイメージは持っているけれど、具体的に一つの作品を書いていく過程でイメージのような抽象的なものは後退して、場面の細部や場面から場面へのつなぎという現実的な作業が前面に出てくるために、なんといえばいいか、“小説”という一般論を語れなくなるというか、“イメージ”が“感触”のようなものに変質しているというか。
たとえば小説と小説家の関係は、羊の群れと牧羊犬のようなものだ。何十頭かの羊たちが気ままに草を食べながら移動しているその群れを、評論家は能力が高い牧羊犬がきちんと誘導しているように読むのだが、小説家自身は出来の悪い牧羊犬でいたいと思っている。
羊の群れを制御するものは、たとえば事前に決めたストーリーであり、たとえば小説の展開や流れが収拾がつかなくなるような破調要因を回避して、登場人物たちの言動をそこそこのところで抑制しておくことなどだ。このとき小説家は能力が高い牧羊犬になってはいるのだが、小説が小説として動きはじめた運動を殺してしまったことも知っている。
「いや、そんなことを言うのは保坂和志だけだ」
と言う人がいるかもしれないけれど、それを自覚している度合いの差こそあれ、小説家がまったく意識していないということはない。
小説を書くことは、自分がいま書いている小説を注意深く読むことなのだ。
小説家はどんな読者よりも注意深く、自分がいま書いている小説を読んでいる。谷崎潤一郎は一日二、三枚しか書かなかったというが、相当筆が速い人でも三〇枚が限度だろう三〇枚書くためには一〇分で一枚として三〇〇分。五時間書きつづけなければならない——。一週間毎日三〇枚ずつ書けたとしても同じペースを一ヵ月つづけるのは不可能に近く、二ヵ月つづけたらそれだけで大長篇が書けてしまう。
一日何枚という計算は書ける日と書けない日の波があるから実感を持ちにくいというか、実感を反映しにくいから、一年で一〇〇〇枚と想定してみるとわかりやすい。週休二日ぐらいのペースで一年に二五〇日書いたら、一日四枚で一〇〇〇枚の原稿が生産できる。普通の単行本で三冊分か四冊分だ。
しかし小説家はほとんど誰もそんなにたくさん書けていない。しかも小説家というのはたいてい勤勉でひきこもりに近く、一年の三〇〇日以上小説を書いているようなタイプの人間なのだ。それほど書いていても一年に一〇〇〇枚書ける人がほとんどいない。
エッセイを書くための時間がある?とんでもない。小説家にとってエッセイなんて絶対的に副業で、コンスタントに小説を書きつづけている時間とまた別の時間に書いてしまうから、小説家にとってエッセイを書く時間は正規の労働時間には計上されない。そして書き上げたらさっさと忘れてしまう。
そう。小説家には、自分がいま書いている小説のことだけが頭にある。だから仮りに小説家Aが一日二時間しか机に向かわないとしても、小説家Bが二日に一度しか机に向かわないとしても、小説家は小説を書いているかぎりいま書いている小説のことを考えつづけている。机から離れていても最近何日間かで書いた分(だいたい二〇〜三〇枚だろうか)の情景や会話が頭の中にあって、それゆえ小説家は自分が書いた原稿を繰り返し読んでいる。
最近何日間か分のわずか二〇枚とか三〇枚の原稿を、結果としてトータルで何十時間も読んでしまっているのが小説家だ。だからどんな読者よりも注意深くならざるをえない。 研究者でもないかぎり、一つの小説を読むことにそれほどの時間と労力を注ぎ込む読者はいない。
だから読者はもっと小説を大事に読むべきだ——なんてことを言いたいのではない。読者やそれを批評する評論家と、全然違った次元で小説家は自分の小説とつきあっているということだ。小説家の能力を優秀な牧羊犬のように群れを制御する能力と思っているかぎり、小説の外枠しかわからない。羊の群れを制御=抑制する能力で小説が書けるのなら、小説家は一日一〇枚、一年で三〇〇〇枚は書ける。羊の群れの気ままな移動に身を任せようとするからこそ、小説家は一年で一〇〇〇枚が書けない。
拡散的集中力
それほどの時間と労力を投入するのだから、文章としての完成度を高めることだけを考えたら、いくらでも高めることができる。テンポのいい文章でもひねりにひねった凝った言い回しがつづく文章でも、やる気になればいくらでもやることはできる。それらに求められるのは一方向の注意力だけであり、手を入れれば入れただけ確かに「よくなった」と実感することができるという達成感もある。人間というのは本質的に怠惰で易きにつく傾向があるために、ついそういうことをしたくもなるのだが、小説を書くのに必要なのは拡散的注意力であり簡単に得られる達成感を疑う狷介さとか非−社会性のようなものなのだ——だから前述した文章の練り上げを私は“文体”と呼ばない——。
しかし現実にはそういう文章が並んでいるだけの小説でもいい小説と思われていたり、そういうことをやろうとしてやれていない小説がいっぱいあるのだが、それで小説の現状を批判してみても仕方ない。どうしようもない小説はいまにかぎらず書かれつづけてきたわけで、その現実が示唆しているのは、人間にとって文字だけで何かを語ることの本質的な困難さ——ボタンの掛け違い的な齟齬——で、小説にとってあくまでも一要素でしかない文章を練り上げる努力の発生も、それが評価に結びつくカン違いの発生も、人間と文字との齟齬に由来している。
文字は現実世界の中で私たちが感知するものや認識するものを正確に再現しない。たとえば「蒼白な顔」とか「青い顔」という言葉があるが、本当に「蒼白」になったり「青」になったりしているわけではない。いま私の目の前に「蒼白な顔」になった人がいるわけではないから、私は記憶している範囲で書くしかないが、「蒼白な顔」は「白」か「緑がかった白」にちかい。
と書くと、「白」か「緑がかった白」だったらやっぱりそれが「蒼白」という言葉の指し示す範囲内だと思いもするが、実際に貧血を起こした人の顔は、人間の顔の色を離れて物(もの)化していて、それが「色」より先に「驚き」として私たちの目に飛び込んでくる。貧血でなくて心底激怒したときにも「白」か「緑がかった白」に顔の色が変わったのを見たことがあるが、どちらの場合でも人間の顔が物化していることが最初の驚きで、驚いた瞬間は驚きによってその人と私との間に一瞬だけ距離が生まれるために、私は冷静な観察者になっている。
貧血を起こした人に「大変だ」「なんとかしなくちゃ」という気持ちが生まれるのは、一瞬の冷静な観察の後で、そのときには「大変だ」と並行して、「『蒼白』とはこのことか」と感心していたりもする。
それら一瞬のうちに起こる変化のほとんどすべてを捨てて、文字では「蒼白になった」と書かなければならない。
実際に電車の中で、向かいにすわっている人が貧血を起こした場面を考えてみる。
電車の座席はどうなっているか?JR横須賀線や高崎線など一部の中距離電車を除いて、東京周辺では座席はボックス席でなく、山手線式に通路をはさんで向かい合う位置関係になっている。ここでは、語り手の「私」の向かいにすわっている人が貧血を起こした設定を山手線式の車輌にすることにする。
私はどういう風にしていてそれを発見するだろうか?本を読んでいて、ふと目を上げたはずみだろうか。ぼんやり窓の外の景色を眺めていたときだろうか。あるいは向かいの列にすわっている人たちの様子を眺めていたときだろうか。そんなことを考えて、こう書くことにする。
目を上げると向かいのシートにすわっていた女性の顔色が蒼白になっていた。
しかし、通路を距てて向かい合わせにすわっている人の顔色の変化(たぶん急変ではあるが)を、普通の視力で発見できるだろうか?大江戸線の幅のせまい車輛ではまず間違いなく発見できるけれど、普通の山手線の幅の車輛の距離で本当に見えるだろうか?
しかしそれでも右のセンテンスを書いた場合、三つの理由が考えられる。
(一)見えると判断した。ないし、この作者には実際に見える。
(二)話の展開上、そこまで気にする必要はないと判断した。ないし、そんなことにまで注意が働かなかった。
(三)(二)の後半と似ていることだが、意識しないうちに書き手が肉眼でなく、焦点距離の長いレンズに持ち換えてしまった。
(二)は小説家としての初歩的な力量不足で、このレベルのことをとりあえず一つ一つ意識的に処理するように心がけないと、小説家としての力はついていかない。小説を書くというのは本当に面倒くさい作業で、読者の側はいちいち気にしていない距離や方向を——全部とまでは言わないが—— 一通りは気にかけて書いていかなければならない。だから思いがけない些細なところで引っかかるから、一年で一〇〇〇枚という、一日に換算すればわずかでしかないはずの枚数が書けない。
ここで注意してほしいのは、顔の色を「蒼白に」と書くか「白く」と書くか「青白く」と書くかという、単語レベルの選択は重要ではないということだ。読者としてはわりと“言葉の選択”でひっかかりがちだが、もし単語のレベルだけでひっかかるのだとしたら、それに先立つ場面の作りはうまくいっているとも考えられる。少なくとも私はそういう立場をとることにしている。
この場面(たいていは「空間」の距離や方向)をいちいち書かなければいけないと言っているのではない。書かなくても小説家の頭の中にはある程度までそれがあるはずなのだ。
ビーヴァ夫人はタバコを吸ったあと、自分の車で店へ戻って行った。アメリカの女性が二枚のパッチワークのキルトを一枚三十ギニィで買い、メトロランド卿夫人が浴室の天井のことで電話をかけてきたあと、見知らぬ青年がクッションを買って現金で払って行った。この間に、ビーヴァ夫人は地下室へ降りて行った。そこでは活気のない若い娘が二人、ランプ・シェードの荷造りをしていた。部屋には小さな石油ストーブがあったが、寒く、壁はいつも湿っていた。二人ともかなり上手くなった、と夫人は思い、うれしくなった。とくに背の低い方は木枠を男性のように巧みにさばいていた。
これはたまたまいま読んでいるイーヴリン・ウォー『一握の塵』(奥山康治監訳・彩流社)から拾い出した箇所だが、読者はこれだけで店の構造がじゅうぶんに書かれているような気になる。
読者は夫人と一緒に店の中に入り、夫人と一緒に地下室への階段を降りていく気がしながら読む。降りていった地下室はちょっと嫌な感じで、そういう地下室に入った経験を思い出すが、それ以上の、そこで自分の自我が歪められたり、家族をうらんだりするような重ったるい空間をイメージするわけではない。
創作学校の初心者向けのレクチャーみたいになってしまうが、作者のウォーがこの空間をきちんと構成できているから、こういうことがさらりと書けてしまう。この一段落は本当に何ということもなく書かれているが、書き手としての注意が行きとどいている。
さっき「拡散的注意力」と言ったことのひとつはこのことで、自分で書いてみるとよくわかるのだが、文字だけではこういうあっさりした情景がなかなかピシッと決まらず、文字だけで語ることの困難さにつねに向き合わされる(描写をべたべた厚塗りして過剰なものを作り出すことは小説の生理みたいなものとして、たいして難しいことではないのだ)。これに向き合いつづける面倒くささと比べたら“言葉の選択”なんかたいした手間ではない。
身体と言語のきしみ
小説家は、人間の身体が空間の中にあってその身体が感知するもの(A)と、自律的に動く言語の体系(B)という、まったく異なる二つの原理をまたがって文章を書いているということだ(ここに三つ目として記憶の原理というのも考えられるが、それが(A)か(B)のどちらかに吸収されうるのか、やっぱり(C)となる本当に三つ目の原理なのかは今は考えないことにする)。
千早振(ちはやふ)る_無月(かみなづき)も最早(もはや)跡二日の餘波(なごり)となツた廿八日の午後三時頃に、_田見附(かんだみつけ)の内より、塗渡(とわた)る蟻、散る蜘蛛の子とうようよぞくぞく沸出でゝ來るのは、孰(いづれ)も顋(おとがひ)を氣にし給ふ方々。しかし熟々(つらつら)見て篤(とく)と點_(てんけん)すると、是れにも種々(さまざま)種類のあるもので、まづ髭から書立てれば、口髭、頬髯、顋の鬚、暴(やけ)に興起(おや)した拿破崙(なぽれをん)髭に、狆(ちん)の口めいた比斯馬克(びすまるく)髭、そのほか矮鶏髭(ちゃぼひげ)、貉髭(むじなひげ)、ありやなしやの幻の髭と、濃くも淡(うす)くもいろいろに生分(はえわか)る。髭に續いて差(ちが)ひのあるのは服飾(みなり)。白木屋(しろきや)仕込みの黒物(くろいもの)づくめには佛蘭西皮の靴の配偶(めをと)はありうち、之を召す方樣(かたさま)の鼻毛は延びて蜻蛉(とんぼ)をも釣るべしといふ。
これは二葉亭四迷『浮雲』の冒頭だが、作者は(A)に属するところの視覚を描写しようとしているのだが、なんだか(B)の言語の運動が目立ってしまう。言文一致を目指した記念すべき小説の最初の単語が枕詞だったとはおそれいるが、「千早」と「最早」で韻をふんだり、「塗渡る蟻」「散る蜘蛛の子」などと装飾的なことを書いたりしながらも、それでも十月二十八日午後三時の、多種多様な人々で構成されている雑踏をいちおうは表現できているのだから、やっぱり二葉亭四迷はたいしたものだと思う。
『浮雲』を発表したのは明治二十年、一八八七年だから、ツルゲーネフだけでなくトルストイの『アンナ・カレーニナ』もドストエフスキーの全作品も発表されていて、二葉亭四迷はそれらをかなり読んでいただろう。しかし読んでいるからといって、すぐにはロシアの作家たちの小説のように書けないところに、言語の融通の利かない自律性がある。
二葉亭は戯作調というのか講談調というのか、当時の読者が読み馴れたり聞き馴れたりしている語りのテンポを借りなければフィクションの世界を立ち上げることができなかった、ということなんだろうと思う。これはたとえば、
長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない。(鼓直訳)
という、『百年の孤独』の書き出しよりも、読み方によってはこなれていると読めないこともない。
それはガルシア=マルケスにとって小説とは現にすでにあるものだからだ。現にすでにある表現形式だからガルシア=マルケスにとっては、小説世界を立ち上げるためにきしませる必要があり、二葉亭にとっては小説はまだないものだったから耳馴れた語り口という円滑さを必要とした。しかし、小説自体がまだないものなのだから、この『浮雲』の書き出しからはいろいろなきしみが聞こえてくる。
そしてそのきしみの根底にあるのは、身体(A)と言語(B)が異なる二つの原理によって存在していることだ。繰り返しになるが、『浮雲』では語りのテンポの力を初速として借りながらも描写することに向かっている。描写を書いている最中に言語のイメージによる連想のような形容節をべたべた塗り重ねているわけではない。
たとえば、「秋になって街路樹の葉が落ちてアスファルトの道路の隅に吹き積もり、積もった葉もそのうちに風に吹きさらわれるように、彼女からは、僕との夏の記憶は消えてゆくのだろう」というような文は、何も現実との対応を持たず、ほどよくイメージを喚起する言葉をつなげているだけで、ここからは身体と言語とのきしみはまったく聞こえてこない。拡散的注意力はいっさい働いていず、先月号の新宮一成の言葉を借りれば、精神の眠りに陥っている。
この手の文章を編集者、書評家、評論家の中にも「うまい」とか「心地よい」とか褒める人がいるけれど(といっても私が即席にでっちあげた例文はあまりといえばあまりに下手だけれど、こういう文章を考えるのが嫌いなんだからカンベンしてください)、こういう文章を読める人は精神が眠っているだけだ。——なんて批判は書く方もバカバカしくて時間の無駄なのだが、一回ぐらいは書いておいてもいいだろう。というか、言葉の内側にこもってただ練り上げていくだけのこういう文章は、別に村上春樹がはじめたというようなことではなくて、日本の近代文学の歴史を通じて流れつづけてきたものではないかと思うのだ。
これは予想というかまだ中身としては全然詰められていない表面的な言葉でしかないのだが、身体と言語のきしみが小説に反響しているかぎり、小説は自我なんていうちっぽけなものでなく、人間の起源に向かいうる。具体的な題材として“人間の起源”を書かなくても、身体と言語のきしみが反響しているかぎりそこには身体にどのように言語が刻みつけられるのかという人間の起源が書かれることになる。反対にそのきしみが反響していなければ、小説で仮りに人間の起源を書こうとしたとしても、そこで立ち上がってくる問題は、身体と言語が安定した後での自我の悩みや憂愁みたいなものにしかならないだろう。
——と、中身が詰められていない表面的な言葉は、こんな風にどんどん前へ進んで大仰な宣言めいたものになってしまう。我に返ってもっと控えめな言い方をすれば、人物が空間にどのように配置されているのかということが忘れずに書かれている小説には、身体と言語のきしみがどんなに小さくても必ず反響されている。それを書く小説家にしてみれば、「写真に撮ればいっぱつなのに、面倒くさいなあ」と、文字の不便さ不自由さを実感していて、小説家としてはまずはそういう気持ちとして身体と言語のきしみを感じることになる。
これは重要なことで、ここに踏みとどまっているかぎり、小説は感傷なり憂鬱なりあるいは高揚感なりの一色の感情に染まらない(ないし、きわめて染まりにくい)。読者としては感傷でも高揚でも、何でもいいから一色に染まった感情に浸ることを求めがちだけれど、それは本来、小説の機能ではない。
文字によって得られる喜びというのは、ただ視覚や聴覚が刺激されて起こる快楽とは別のものだ。『罪と罰』でも『アンナ・カレーニナ』でも『百年の孤独』でも、作品の終わりにちかづくとものすごい高揚感が到来するものだけれど、それらの高揚感は、あの長さがあるから生まれてくる。作品の中で使われている思考法やイメージの現前化の仕方に読者が馴れるためには、まずは一〇〇ページか二〇〇ページのトレーニング期間のようなものが必要で、そのあいだに読者の中にその小説を読むためのシステムが出来上がって、小説と共振できるようになる。
話は逸れるが、最近、『フェルマーの最終定理』(サイモン・シン著、新潮社刊)と『数量化革命』(アルフレッド・W・クロスビー著、紀伊國屋書店刊)という二冊の一般向けに書かれた数学(?)の本と歴史のパラダイム転換を扱った本を読んだのだが、何のひっかかりもなくスラスラ読めることにびっくりした。
理由は簡単で、その二冊が私たちが日常で使っている言葉によって書かれているからだ。言葉というのはただ単語だけでなく、原因と結果を結ぶ論理の構造だとか、「それがAだとするならもう一つはAではない」という排中律というのか、そういう日常使っている思考法がそのまま使われているために、何の抵抗も感じないですむ。別の言い方をすれば、読者は「難しい」と書いてあれば「難しいんだな」と了解してすませ、「驚くべきことに」と書いてあればそこで驚けばいい。あたり前に何の変哲もないようなところでひっかかったり、さらりと書いてあるところで驚く必要はない。
しかし小説ではあたり前に書いてあることがあたり前だとは限らない。これらの一般向けの本は、「一般」という最大公約数——か、最小公倍数かどっちでもいいが——を読者として想定していて、その想定の範囲内で実際に読みやすく書けてしまうのだから、「一般」というのが幻想やフィクションでなく確かにあるということがこういう本を読んでいるとわかる。「一般」というのはただそこにいる人のことではなくて、最も標準的な言語の使用法をしている人のことなのだ。
それに対して小説は、やっぱり言語でなく身体、一般化される以前の個人としての身体が起点となっているから、あたり前があたり前として通用するとはかぎらない。
小説は青写真をこえる
季刊の文芸誌「小説トリッパー」が二〇〇四年夏号で「新人の条件」という特集を組んでいて、その中に「新人賞徹底攻略!」という斎藤美奈子と重松清の対談がある。対談する立場として斎藤美奈子はいつもの肩書の文芸評論家だが、重松清は作家でなく作家になる前にやっていた編集者としてしゃべっているように思えるがそれはともかくとして、斎藤美奈子がこういうことを言っている。
斎藤——私は選考委員の経験はそんなにないのですが、他に、文藝賞と早稲田文学新人賞をやっています。一昨年と去年の文藝賞は、私以外の三人の選考委員が作家の方で、保坂和志さん、藤沢周さん、田中康夫さん。しかし、彼ら三人も実は編集者以上に編集者的だから、受賞作を選んで「はい終わり」とは絶対ならない。選んだ作品をどんな本にして、どう売るかという話に必ずなるんです。田中さんにいたっては、プロモーションのアイデアを出してる時間のほうが長いんじゃないかなあ。さすが知事だよね(笑)。で、彼らは将来性まで視野に入れているけれど、私は「作品」しか見ていないのかなと思った。私がごちゃごちゃゴタクをこねると、保坂さんに「破綻してていいんだ」とか言われたりする。「大体さあ、評論家は完成度とか構成とか技術的なことばかり言うんだよね」と(笑)。そんな感じで、タイトルはもちろん、著者名や装丁にまで言及する。ほとんど出版ブロデューサーの会議みたいです。
斎藤———……(略) ……一方の早稲田文学と言えば……。
重松———批評家がほとんどで、作家はいとうせいこうさんだけだ。
斎藤———だからみんな批評的な目で読むせいか、私が思ったことと何の齟齬もなく一致する。前回がたまたまそうだっただけかもしれないけど、いとうさんも半ば評論家みたいなものだから。
重松———評価がわりと一致していますよね、選考座談会を読んでいても。
斎藤———緊張感はあるんだけど、「ええーっ!」てことはない。それと早稲田文学は文藝賞とちがって受賞したからって本になる保証はないわけでしょ。それでもココに応募する、「作家になりたい」のとは少し違ったモチベーションの重みが、逆にあると思うんだ。両極端な二つの選考を体験してよくよく考えましたね。新人賞の場合は「ここの構成が」とかいう個別の作品批評だけでは足りないんじゃないかという気がしてきた。
引用は少し長いがいまここで注意してほしいのは、二つ目の前半部の「みんな批評的な目で読むせいか、私が思ったことと何の齟齬もなく一致する」というところだ。
「一般」というのが最大公約数的な、実体として存在しているように、「批評」ないし「批評的な目」というのも実体としてあるのではないか。それはたとえば、牧羊犬の能力を羊の群れを制御=抑制する能力と把えるような読み方ということで、多種多様な題材と語り口による小説に接する方法として、これは一見確かな軸となっているように思われる。しかしそれは本当だろうか。
小説家が小説を書くときに確かなものがあるとしたらそれは何を指すのか。それは、事前の構想にしたがって羊の群れを制御=抑制することではなくて、羊の群れの気ままな動きに身を任せることなのだ。
それは一見最も不確かなやり方に思われるが、小説家と小説の関係ではそれが最も確かなやり方となる。
ギル・エヴァンスというジャズの作編曲家がいて、彼は自分のオーケストラの指揮者でもあった。一九五〇年代にマイルス・デイヴィスとのコラボレーションで『ポーギーとベス』や『スケッチ・オブ・スペイン』などのアルバムを発表して、アルバムはいまでもコンスタントに売れつづけているが、編曲家として関わったギル・エヴァンスに入ってきたのは印税でなく買い取りの編曲料だけで、マイルスと別れた後、ギルはレコード会社との契約も結ばれなかったりして、食うや食わずの生活に陥ったこともあったらしいし、一九八八年(だったかな)に死ぬまで金持ちになったことは一度としてなかった。
しかし七〇年代後半から彼を尊敬するミュージシャンが集まるようになり、八○年代になるとニューヨークのスウィート・ベイジルというクラブで定期的にライヴをするようになった。が、しかし、そこでの報酬はたいした額ではなく、参加するミュージシャンにはほとんどギャラを払うことができなかったらしい。ということはどういうことかというと、つまりそれぞれのミュージシャン自身が生活するためには他のコンサートヘの出演が優先されることになるわけで、だいたい十四、五人で構成されていたギル・エヴァンス・オーケストラのメンバーはライヴの直前まで確定していなかった。
しかし元々、厳密なスコアを書いていたわけではないギル・エヴァンスにはそんなことは問題ではなく、当日の演奏自体がギルの弾くピアノによって、同じ曲がそのつどいろんな風に変化した。ピアニストとしてのギルの演奏は、なんだか千鳥足のような、気ままに散歩しているような音なのだが、まさにそのピアノの音によってオーケストラが動いていたらしい。それがどっちにどう動くかはもちろん、ギルの気まぐれでなく、そこまでのオーケストラの演奏を聴いたギルの判断によっていた。
八○年代のギル・エヴァンス・オーケストラのライヴは、大きな会場のコンサートの海賊盤も含めて、レコード(CD)として二十枚ぐらい発売されていて、レコードとして発売されるかぎりは編集されていて、あんまり緩々(ゆるゆる)の演奏は収録されていないけれど、海賊盤かそれにちかい形で発売されているものの中にはものすごくかったるい演奏がいくつも収録されている。メンバーの演奏がガチッと噛み合うとそれこそ火の出るようなものすごいことになって、共感覚体質でない私にも花火のようにいろいろな色が見えるような気持ちになるのだが、噛み合いそびれるとほとんどただかったるいだけの演奏がつづくことになる。
だから当然ギルが生きていたあいだはそういうライヴはレコード化されなかったわけだけれど、一度も生の演奏を聴くことができなかった者として——そしてギルのスタイルが小説を書くやり方と同じだと考える小説家として——ギルのコンサートが全体としてどういうものであったのかを知る貴重な記録となってくれる。
何が言いたいのかと言うと、羊の群れに任せて書いて、うまくいかないと思ったら破り捨てて書き直せばいいのだ。小説は人前でするコンサートではないのだから、何度でも書き直してうまくいったテイクだけを残していけばいい。
ここで「うまくいく」というのは、登場人物たちがそれぞれの個性をじゅうぶんに発揮することであり、その情景にある風景や物などの要素が小説の流れを事前の青写真を超えて引っぱっていくことだ。小説がうまくいかないのは、登場人物たちが勝手なことをやったり言ったりするからではなく、お行儀よく作者の青写真の範囲内で振る舞ってしまうからだ。
作者に必要なことは登場人物たちが勝手に振る舞える場を与えることなのだ。それは大変なことだからしょっちゅう失敗する。しかし失敗したら書き直せばいい。小説を書くことは工場労働と違うのだから、時間も労力もいくら無駄にしても誰からも文句は言われない。
「勝手にさせる」とはどういうことか
私がこういうことを書くと、「小説家だって霞を食って生きているわけではない」とか「時間は無尽蔵にあるわけではない」とか「それは理想論」だとか、つまらないいちゃもんをつける人が必ずいる。日本では(と言っても外国のことは知らないが)小説家でも評論家でも、小説そのものを論じるときにさえも低きにつく俗世間のディスクールを平然と持ち込む人がいるけれど、そんなことをしていても何も生まれてこない。
そんなことよりもっとずっと大事なことは、もし小説家に無制限の時間が与えられていたとしても小説家がその時間を思う存分使えるわけではないことの方だ。小説家はどうしても「やり足りない」と感じつつ小説を切り上げてしまう。
まだデビューする前、百枚程度の小説を書くのが精一杯だった頃は、誰に締め切りを切られているわけでもないのに、一ヵ月かそこらで仕上げないと気持ちを維持できなかった。小説を書くのは、息を止めて水に潜ったり、出口の見えないトンネルを歩いたり、窓のない密室にこもるのと似ていて、早くケリをつけて解放されたい行為だった。いまよりずっと「書きたい」気持ちが強かったにもかかわらず、息苦しくて早くそこから解放されたい気持ちも同じだけ強かった。
書くことに馴れて、書くことが日課になって、書くことと折り合いがつくようになり、発表する小説がどう評価されるかにもあんまり関心がなくなっても(だから早く発表したいと思わない)、やっぱり書き出した小説はあまり遠からぬ将来には書き終えたいと感じている。
締め切りを切られるからそれまでに書き終わりたいというのではなく、締め切りなんかなくても自分がぼんやりと決めた時点までには書き終わっていたいと思い、「やり足りない」と感じるところがあっても、もう一回書き直せばもっとよくなるだろうと感じていても、よっぽどはっきりした方策でも見つからないかぎり、そこで切り上げてしまうものなのだ。
それにまた、登場人物たちに思いっきり勝手なことをさせると言っても、一番大まかな輪郭なり流れなり——これはそれぞれの小説家に固有のイメージのような体感のような何とも言葉にしがたいものなのだが小説の全体を決めている何かがあって、それがひじょうに緩やかなレベルで、人物や出来事や風景という書かれるすべてを統制しているから、本当の本当に収拾がつかない目茶苦茶バラバラにはならないものなのだ。
私たちはどれだけ虚心に他人を観察しているつもりでも、やっぱりどうしても私に映った範囲でしか他人を語ることができない。構成された文脈・つじつま合わせ・思い込み……etc.で人を見るということ以前に、目の焦点距離、視界の広さ、動く物への反応の度合、耳の可聴域、複数の音が鳴っているときに一つの音を拾い出せる指向性の度合……etc.それらたくさんの感覚の差異が個人を規定しているために、完璧な無秩序、完璧な目茶苦茶、つまり混沌、あるいは物自体、世界そのものにはならないということなのではないかという風に思う。
ところでここで私は「勝手なことをさせる」と書いたけれど、この「勝手なこと」というのが曲者で、「勝手にしろ」「勝手にさせる」というと、人はどういうわけか悪い方に行きたがる。
六月号に書いた短篇の『桜の開花は目前に迫っていた』は、書きたいことが何もないまま書いたもので、そうすると主人公の「その人」は隣りの家から聞こえてくる声が、娘の友達の声なのかお母さんの友達の声なのか知りたくなったりする。あるいは、コンビニがデートクラブの窓口になっていると妄想したりする。しかしそれは本当に「勝手なこと」だろうか。
「勝手」という言葉にはすでに悪い響きがこめられてしまっているが——しかし、四つ前の段落で「登場人物たちに思いっきり勝手なことをさせる」と書いたとき、私は「勝手」にそんな悪い響きがこめられていると気がついていなかったらしいのだ——、「勝手なこと」をしていいとなると、人間は悪いこと、ろくでもないことをすると決まっているだろうか。
小学校で「勝手にしてていいよ」と言ったら、その途端にワーツと大騒ぎになるだろう。けれど、その状態は一時間かせいぜい二時間しかつづかないだろう。そこにファーブルがいたら、彼は騒ぎから抜け出して校庭の隅で虫を見ているだろう。本が好きな子は本を読み出し、ほとんどの男の子はきっとサッカーか野球をはじめるだろう。よっぽど抑圧されている子どもたちでないかぎり、集団で暴徒と化して学校中の窓ガラスを割ってまわったり、誰か一人を取り囲んでリンチをはじめたりすることはない。
六月号の『桜の開花は……』を書きながら、私は「こんなことしか考えつかないんだなあ」と思っていた。妄想したりすることは少しも「勝手なこと」ではなくて「型にはまったこと」なのだ。これは人間の「自由」「創造性」の問題で、数回先のこの連載でもっときちんと考えるつもりだけれど(と言って、先送りしてしまっているものがいくつもある気がするが)、「自由」というと人を殺す自由ばっかり考えたり、「創造性」をこの社会のあたり前の了解を破壊したつもりになっている犯罪のことだと考える傾向が特に最近の文学の中にあるけれど、それは「自由」や「創造性」ではない。
子どもを殺すことを創造性の発揮だと考えていた神戸の当時十四歳の少年だけでなく、犯罪を犯すことが「自由」「創造性」だという誤解は最近どんどん低年齢化していて、その現象だけでも、それら誤解された「自由」「創造性」が型にはまったものであることがわかるはずだ。
誰が言ったのか忘れてしまったが「子どもは天才だ」という言葉があるけれど、それはたぶん、身体と言語の不一致の状態を苦もなく生きている子どもしか指していない。小学校に入って読み書きができるようになって、大人たちから「作文がうまいね」なんて言われるようになったらもうその子は「天才」ではなく、いったんは大人になって、身体と言語の齟齬を意識することからやり直さなければならない。「自由」も「創造性」も——そして「勝手」も大人には齟齬を意識化することからしかはじまらない。
だから「小説の中で登場人物たちに思いっきり勝手なことをさせる」というのは、小学校の教室で子どもたちがワーツと大騒ぎすることではなく、その次にくる、ファーブルが虫の観察に没頭している状態のことなのだから、きっと小説は何かに向かって進むだろう。その何かとは作品ごとに個別にあらわれるもののことだから、いまここで具体的にこういうものだと言うことはできない。その外かは作品を書きはじめる前に作者として考えていたことより広がりを持っている。
評論家と小説家はシステムが別
頭の中だけで考えることにはどうしても限界があって、小説の構造、人物の配置、それらの織りなす細部、全体の展開……などをいっぺんに考えることはできない。頭の中にあるものよりも文字に書かれて作品として頭の外に作られたものの方がまず量的に大きい。『城』でも『百年の孤独』でも、作者としては書いたものをほぼ憶えているというようなことを、私は前々回に書いたけれど、作者として書いている途中で読み返してみても、自分の頭の中にあるものより広がりを感じるだろう。
ファーブルが「好きにしていい」と言われたときに校庭の隅で虫を見ているとして、エジソンだったら何をしているか。多動症児でもあったらしいアインシュタインだったら何をしているか。長嶋茂雄だったらどうか。いまこういう文章を書いているときには全然イメージが浮かんでこないけれど、小説を書いていたら、それまで書いてきた部分とそのモードに入っている思考様式が彼らに見合った行動を生み出してくれる。
大西巨人『神聖喜劇』のちくま文庫(現在絶版。同書は現在は光文社文庫)の解説で、「二十年以上にわたって書きつづけられたこの小説のラストシーンは、驚くべきことに書きはじめた時点ですでに作者の頭の中に出来ていた」ということを書いていた人がいたが、だからといって大西巨人が書きはじめに全体を構想していたことにはならない。あるいは全体の構想があったとしても、それが小説になるわけではない、もっと言えば、小説が小説となるためには構想と全然別のものが必要だということを、二十数年という執筆期間の長さが示している。『神聖喜劇』は全体で約六〇〇〇枚だが、構想だけで書けるなら十年ぐらいしかかからなかっただろう。
評論家によるこの種の驚きに接すると、小説家の側は、小説を書いたことのない人が小説を書くことについて、理解(または想像力)がスッポリ抜けている部分があることを知る。
『神聖喜劇』で言えばもう一つ、「これは断じて喜劇などではない」という、ひどい誤解をした文芸評論家がいる。「神聖喜劇」とはDivina Commediaつまりダンテの『神曲』を直訳した日本語であり、そういうことを調べようともしないで、吉本新喜劇か何かの「喜劇」と解釈した怠慢にはあきれるが、それよりもっと重大な間違いは、作品を読んでなお「喜劇」という言葉の定義を変えなかった硬直した読み方の方だ。
『神曲』の原題を知らなかった人でも、『神聖喜劇』を読めば、「喜劇」という言葉の意味やイメージが変わるはずなのだ。作者は作品を通じて「喜劇とはこういうものだ」と言っているのだ。
同じ読み方で、小島信夫の『うるわしき日々』の書評で「いったいこれのどこが『うるわしい』のか」ということを書いた文芸評論家もいた。息子が重度のアルコール依存症になり妻が痴呆症で記憶をなくしていく。しかしその日々が作者にとって「うるわしい」。反語法などではなくてストレートな意味で「うるわしい」。「うるわしい」とは作品の中で展開されるこの日々のことなのだと、『うるわしき日々』と題された小説を書くことによって、作者は「うるわしい」の言葉の意味に厚みをつけ加えたのだ。
二人の文芸評論家がまったく傾向の異なる二つの小説について、同質の硬直した読み方をしてしまったということは、文芸評論家的思考の型があるということを示している。もちろんそれはすべての文芸評論家にあてはまるわけではないが、何割かの文芸評論家はそういう読み方をするということだ。
この人たちは小説を読むときに間違った「わかり方」をしようとしている。というか、「わかる」こと、「わかろうとする」ことが、結局、小説を読む前に持っていた自分の思考の材料を更新することではなく、事前にあったそれらで小説を腑分けすることでしかないということを示している。
評論家というのは、自分が正しい。という前提で振る舞わないと文章を書けないタイプの人間がほとんどなのだ。しかし、小説家というのは正しい−間違ってるというのと別の場所で書き考える人間なのだ。正しいか間違っているかは結局小説に任せるしかなく、その正しい−間違ってるは、作品に先行してある社会と別の基準・規範による。
このことを本人がどこまで意識しているかにかかわらず、こういう風に考えられる人だけが小説家になるから、正しさを己れの判断・読みの根拠とする評論家的な読み方で作品がわかることの方がむしろ珍しい。
小説家になって自分の小説が文芸時評などで批評されることになって、作者として信じがたく違った方向で読まれた経験を持っていない小説家は一人もいないだろう。はじめのうちは、そのあまりのひどさに、「わざとそう読んでいるのか?」とか「悪意でそう読んでいるのか?」とか、あるいは「彼らはただの馬鹿なのか?」と、いろいろに悩み、もっとナィーヴな人だったらものすごく傷ついていたのではないかとも思うのだが(しかしナィーヴではやっぱり小説は書けないのだから、こういう読み方に出会い、鍛えられたり淘汰されたりすることは必要であるとも言えるのだが)、小説家と評論家は、つまりシステムが別なのだ。
それはたぶん、身体と言語の不一致の度合とかその質によるのだろう。言語を言語として自分の身体に定着させているそのあり方が、両者で根本的に違っているのではないかと思う。小説家というのは、身体と言語の不一致をラカンなどの理論によって理解する人間でなく、その不一致つまり二つの原理の違いを実感ないし体感として生きている人間のことで、だから書くものにそれが反映する。
三〇五ページ上段一〇行目に書いたように、身体の個性というか感度は人それぞれ違うから、読むときにはまずその感度特性を探っていかないことには、ほとんどの小説はつまらないことしか書いてない。小説は「何を書いているか」でなく「どのように書いているか」に比重があり、そのために小説はテクニックの次元で読まれがちだが、テクニックは感度特性をむしろ隠してしまうことが多い。
「どのように」は「何を」と比べて瑣末な差異になると思われがちだが、「どのように」とは身体と文字の齟齬の中で「見ること」「聞くこと」を作り出すことだから、小説の「何を」の劇的な変化もここからしか出てこない。社会ですでに問題になっていることを題材(「何を」)にすれば読者にはわかりやすいが、そういう小説では身体と言語の関係(「どのように」)は社会で普通にあるとおりの身体と言語の関係でしかないことがほとんどだから、小説の存在意義はそこにはない。
ところで二九七ページで挙げた三つの理由の三つ目について私は一言もふれずにきてしまったが、あそこに書いた「焦点距離の長いレンズ」というのは、身体から発したのではない視覚のことだ。
電車の向かいの席にすわっている人という場面設定では単純すぎてわかりにくかったが、その場面が現在時の場面でなく記憶の中の場面だったら、レンズの持ち換えは簡単に起こる。車輛の隅で起きたことを、十メートルくらい離れたところで見ていたはずなのに至近距離で見たかのような記憶になっていたりすることがあるが、それは私たちが視覚の記憶を一言語に変換して圧縮して保存しているからだ(こういうときコンピュータはモデルとしてひじょうに便利だ)。
人間の身体は何重にも言語化されているために、視覚のように生身の感覚であるはずのものにも言語は侵入していて、記憶のような場面になると言語が強く出てきてしまう。二葉亭四迷『浮雲』の冒頭の、テンポを持った言葉の連なりは言語の自律性だが、生身の感覚に侵入している言語もまたもうひとつの言語の自律性で、これは外部化(意識化)しにくいということだ。