小沢さんと初めて会ったのは2012年3月で、福音館書店の編集の岡田くんのセッティングで3人で食事しながらゆっくりたくさん喋った。小沢さんがウィーンに留学していたこととか、私が音楽じゃないのにウィーンなの?と無知なことを訊くと、ウィーンは音楽だけでなく美術でもウィーン幻想派とか、さすがかつての文化の中心だからいろいろあるのです、というような話をしてくれたのだから、小沢さんはそれなりに話をしたんだろうけど、小沢さんというと、私のするくだらない話を不機嫌な顔をせずに穏やかににこにこ笑って聞いている印象が強い。
そんな感じで一度はゆっくり会って話をしたんだが、『チャーちゃん』の絵は半年経っても一年経っても出来てこない。二年経ち、三年経つ頃には私は、「あの話はなかったのか……」と思うようになっていた。
そしたらその八月、ということは、2015年の八月のある日、編集の岡田くんから突然、
「できました」
という電話がかかってきて、私は福音館書店までバラのページの状態で、印刷された絵を見に行くと、そこにはいろいろな空間と時間と世界と感情を駆けまわるチャーちゃんがいた。
私はその日から仮り綴じの『チャーちゃん』を持ち歩いてみんなに見せびらかすことになるわけだが、絵を見て特別感心していたのは横尾忠則さんだった。横尾さんは草っ原を走るチャーちゃんのページを指先でこすりながら、
「キャンバスの質感がこんなにちゃんと出てる」
と、自分の絵みたいに喜んでいた。
グラフィックデザイナーの平野敬子さんは絵本が届いた夜、ダンナさんに朗読して聞かせた。
岩手の三陸の近くに住む友人は、最後のたくさんの生き物たちが空で踊るページを見て、
「津波で亡くなった人たちへの鎮魂だと感じた」
と言ってくれた。
絵本が刊行されて、何回か小沢さんとトークをした。その一回目のステュディオ・パラボリカのときだったと思うが、「三年経っても何も言ってこないから、もうできないのかと思ってた」と私が言うと、小沢さんは、
「なんでですか?」
と、咎める口調なんかでは全然なく、とても素朴に、まったく他意なしに「そんなことあるわけないですよ」と訊き返してきた。その瞬間、私は時間を時計やカレンダーの数字で計っていたことに気がついた。
私と初めて会ってから三年と何ヵ月間、小沢さんは『チャーちゃん』の絵をずうっと描いていた。「描いていた」というのは、描いていない時間も含めてずうっと描いていた。絵筆を実際に動かしている時間だけが「描いている」時間なわけではない。
それは私自身が小説家として、じゅうぶんに知っているはずなのに、自分が書く時間から離れたり、自分以外の人の創作の時間を考えたりするときに、つい、うっかり、社会一般の数字による時間の尺度で「ものをつくる」または「何かを生み出す」時間を計ってしまっていたことを、本当に、〈覚醒〉のように気がついた。
私はこれを教えてくれた、小沢さんのあの時の、声の調子や表情や、あの時の全体に、心から感謝している。