【小説的思考塾vol.7のための箇条書き】

1.風は吹くことによって風として留まっている。詩人は吹く風の中に留まっている。
(ハイデガーは総じて動的状態を安定と定義する)

2.人は見てしまっている場合にはじめて本来的に見る。
(見るということは目から規定されるのでなく、存在の空け開けから規定される。)

3.想起されたものは我々の現在を軽く越えて、彼方へと身を躍らせ、そして突如、未来の中に立っている。
想起されたものは、我々へと向かって来たるのであり、今なお充足されていず、その意味で未来であり、未発掘の宝である。

4.詩の言葉を初めて聞いた際に聴き取ったものを、なんらかの〈内容〉(解釈)へと凝固させてはならない。

5.世界とは、数えられるものと数えられないもの、あるいは、既知のものと未知のもの、それらの総和ではない。
(本質の説明不可能性)
(芸術作品はすべて、説明可能な要素からは説明できない。)

6.存在者はイデアの写しではない。
(存在者自体が厚みや広がりを持っている。)
(ここで、「机のイデア」とか考えても話は見えない。「民族のイデア」と考えると見えてくる。)

7.〈主観ー客観〉〈主体ー対象〉などの二分法をいったんリセットする必要がある。
(ハイデガーが繰り返し言ってること)

8.「夢想的なもの」をハイデガーは否定しない。
「夢想的なものを現実的でないと否定する人は、現実的なものが何かをわかって言っているわけではない」

9.心情的に理解することは、作品自体に対しては拒んでいることになる。
(現代は、心情・主観ばかりだ。)

10.芸術作品において、素材となっている物がはじめて、その素材としての本質を発揮する。
(石の硬さ、色彩の輝き、音の響きetc)
(素材自体に着目したのは、斬新だったはずだ)

11.芸術作品は、そのものなりの仕方で、存在するものの存在を開示する。
[別の言い方]
作品が創作されているということは、真理が形態の内へと確立されていることを意味する。

12.「理由もなく行き倒れになってそのままいつまでも転がっているような者を、人々は怖れる。これが先例となって、この先例から真理の悪臭が立ちのぼることを人々は忌む。」(カフカ)

13.ハイデガーには「人は何をなしうるか」という、人間に対する強い肯定がある。
ベケットはそれへの異議として、無力さをぶつぶつ言った。ベケットは何も主張しない。主張したら、同じ基盤になってしまう。