『存在と時間』が読まれる理由は、「存在とは何か」という問いもあるんだろうが、ハイデガーの思考の流れや語法(論理展開以前の感覚的なところ)が、自分の思考のエンジンになるからだと私は思う。
ハイデガーは既成の基準や定義を斥ける。
それらは社会に流通している一見妥当な思い込みでしかない。それでは通俗な世界しか理解できない。
例えば、人間の歴史は時代を追って進歩したのでなく、起源において偉大だった。偉大なものしか始められない。つまり、源流は濃い。
『存在と時間』が読まれる理由は、「存在とは何か」という問いもあるんだろうが、ハイデガーの思考の流れや語法(論理展開以前の感覚的なところ)が、自分の思考のエンジンになるからだと私は思う。
ハイデガーは既成の基準や定義を斥ける。
それらは社会に流通している一見妥当な思い込みでしかない。それでは通俗な世界しか理解できない。
例えば、人間の歴史は時代を追って進歩したのでなく、起源において偉大だった。偉大なものしか始められない。つまり、源流は濃い。