【小説的思考塾vol.7メモ】その9 科学的思考と芸術

ハイデッガー全集では、『存在と時間』でなく、『有(う)と時』という邦題になっている。
〈存在〉という言葉を使うと、〈ある/ない〉の区別から考えが自由にならないので、東洋思想にも通じる〈有〉としたそうだ。
ハイデガーの〈存在〉は確かに、ただの「存在」よりもずっと大きく、「有るを有らしめている」何ものか、「有ると無いの両方が起こる」何ものか、だ。(私は、「有る」より「在る」の方がいいんじゃないかと思うんだが。)
ハイデガーは、科学的(日常的・通俗的)な〈ある/ない〉の区別を、本質的な区別とみなさない。
これは、芸術作品(絵・音楽・劇etc)を考えるとわかる。わかる人には〈ある〉(または〈起こる〉)、わからない人には〈ない〉(または〈起こらない〉)。
あるいは、或る特定の精神の活動状態の時だけ〈ある・起こる〉ことがある。
それは科学的(日常的)思考では説明できない。つまり、自分の立場から一歩も動かない人は、わかりようがない。

私たちは科学的思考を判断の根拠にしている。しかし、その思考法では生きるための肝心なことは、何も説明できないのだ。

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