2022.3.28【小説的思考塾vol.7メモ】その6 ハイデガーの言葉

『書きあぐねている人のための小説入門』から『小説の自由』3部作で、私が書いていることは、ハイデガーの言葉を私なりに言い直した(格好よくいえば、時間を経て私の中で発酵した)ものだ、ということに気がついた🐱2008年11月花ちゃん9歳

例えば、ーー
芸術(文学)は日常の言葉で説明することはできない。日常の言葉こそが芸術(文学)に支えられている。
競技者は拘束=ルールに対して主体的でなく受け身になるから自由を実現できる。自由とは最高度に受け身の状態だ。
小説において、〈形式〉と〈内容〉という二分法は意味がない。
芸術の価値は趣味の良し悪しではない。
文学は心情的(情緒的)に解釈されるものではない。また同時に作家の個人史(人生)から説明されるものでもない。

ハイデガーは、「それしかない」「そういうものだ」と思われている思考法や芸術観や定義を覆えす。そこに私は共鳴するんだと思う(生き方は全然違うんだけど)。

あと、なんと言っても、答えを導き出すことより、問い続ける中に答えがある、という姿勢。
(問いと答えという二分法も否定している)