2022.3.13【小説的思考塾vol.7メモ】その1『芸術作品の根源』p.109

☆作品を作品たらしめることを、ハイデガーは「作品を見守る」と定義している。

もしかりにそれがいやしくも作品であるならば、そういう作品はつねに見守る者たちに関連づけられている。
その作品が、まずは見守る者たちをただ待つばかりで、作品の真理に彼らが立ち寄ることを得ず、それを待ち焦がれている場合であっても、そしてまさにそういう場合こそ、そうなのである。
作品が忘却されることもありうるが、その忘却でさえも何ものでもないというわけではない。忘却もやはり一種の見守りではある。

🎃本当の作品は、鑑賞者の有無に拘らず作品である、ということ。
未だ正しく評価されてなくても、今はもう忘れられていても、作品は作品である。(作品としての真価は失われない。)
ハイデガーの考えは、事のど真ん中だけを目指してひたすら掘っていく。(意外と思う人が多いかもしれないが)青臭いくらいに真っ直ぐで、創作者を勇気づけて、心を迷わす余計な雑音から遠ざけてくれる。