【お知らせと小説的思考塾的メモ】

福田拓也さんの詩集『DEATHか裸(ら)』の巻末に解説を書きました。
解説というより読み方か? 3/3の『哲学で抵抗する』で書いたと同じように、この本で脈打つ詩群は静的に定義されることを望んでいないのです。
ここにある詩群と同じように、読む方もわかるとかわからないとか関係なく、声に出しても出さなくても、叫ぶように読む!そうしているうちに、散文からスリルを奪っている、「正しく伝えなくては」という思い込みが解けるのではないかと思う。
私はここ何年か、福田拓也さんの詩と大木潤子さんの詩(お2人は夫婦)から、散文に対する刺激(別の視野)をもらっています。