【小説的思考塾vol.6 メモ】その14 並行モンタージュ

今回(2/6)は、話の枕はありませんが、並行モンタージュを話の助走にして、そのまま本題に入ります。
並行モンタージュは、朝ドラ『カムカムエヴリバディ』で頻繁に使ってる手法です。2つ(以上)の異なる場所で起きていることを交互に繋いでいく。(写真はペチャと花ちゃんの並行睡眠)
映画史上有名なのは、『ゴッドファーザー』のアル・パチーノの結婚式の場面。同じ時刻に敵対する組が粛清されてゆく。(もう50年も前だ!)

ドラマのラストで、過去の回想が次々入るのはフラッシュバックと言って、並行モンタージュではないんだろうけど、繋ぎの技法ということでは同じ趣向。
チェーホフは映画のない時代に似た想像をした。『学生』では1900年の時を隔てた鎖の両端が揺れる。『中二階のある家』では、自分が彼女を懐かしみ愛おしく思う気持ちが、彼女に共有されているのでは……と思う。→繋ぎには、空間の隔たりの繋ぎと時間の隔たりの繋ぎがあるということだ。

私の『残響』はもろ繋ぎの技法だ。繋ぎの技法で何かを描かずにいられなくなった。
並行モンタージュetc繋ぎの技法は、一元的に語るのでは出ない、別の世界像を喚び起こす。或いは、世界の別の相貌を予感させる。

宗教儀礼や祭や儀式は、太古の決定的な出来事の模倣と言われるが、並行モンタージュと考えると意味が変わる。現在進行の儀式と並行して過去が活性化してゆくのだ。
「忘れないため」「過去の出来事を忘れないため」という言い方は穏当だし合理的でもあるが、忘れないためだけなら語り聞かせで足りる。儀式で人は演じる(成り切る)のだから、過去をただ過ぎ去ったものとして、過去の出来事を穏やかに眠らせておこうと考えているわけではないだろう。