小島信夫『アメリカンスクール』解説(新潮文庫、2007年10月)


小説というのは意味伝達の無色透明な媒体ではないということを小島信夫の小説は全身であらわしている。

芝居で、ただの説明としか聞こえなかった台詞が別の役者によって抜き差しならない状況そのものとして響くように、音楽で、楽器の音がただのメロディをこえて空間を一気に変容させてしまうように、小島信夫の小説はいきなり読者をある不安定さに突き落とす。

どうしてそんなことが可能なのか? 解説というからには、とりわけ小島信夫の小説については、テーマや題材を語るのではなく、文章の響きとかあの特異な跛行感【はこうかん】に踏み込んでいかなければしょうがないのだが、私はその課題の前で途方に暮れている。しかしいつまでも途方に暮れているわけにはいかないので、わかっていることだけでも書いていくことにする。

『馬』のはじまりから二段落目にこういう文章がある。

ことがらの意外さに僕は向脛(むこうずね)の痛みも忘れかけていたが、妻のトキ子の姿を見るに及んで急に痛みがよみがえってきたのには、またおどろかされた。たぶん長年の習慣で、どんな痛みにしろ、トキ子の姿を見ると生き生きとしてくるのかも知れない。僕の歯の痛みにしろ、心のすみのウズキにしろ、トキ子の日常的な姿を見ると、とたんにこんなぐあいに自分でもおどろくほどよみがえってくる。(286〜287ページ)

ここで、痛みやウズキは突然襲う。文章の形からいえばいちおうトキ子の姿を見ることがその原因ということになりはするが、それでは痛みやウズキの本当の原因が説明されたことにはならない。原因はないのだ。カフカの『変身』でグレーゴル・ザムザがある朝巨大な虫になってしまったことに原因がないように、小島作品では事件も気持ちの変化も原因なく起こる。この文庫に収録された作品では主人公はみなのっぴきならない状況に置かれているが、その状況は時間的猶予なく出現する。原因がないのだからそれは当然で、そこに時間が介在しようがない。

しかしそれは近代小説の流儀を外れている。小説とはいくつかの要素が原因となったり前ぶれとなったり伏線となったりして、時間の中である破局や大団円に向かって展開していくはずのものではなかったか。しかし小島作品では前ぶふれなく襲いかかる。それは主人公に襲いかかるだけでなく、読者の読むという行為に向かっても襲いかかる。

『微笑』は作者が最後まで愛着を持っていた作品だが、ここでの主人公の小児麻痺の息子への気持ちには、それこそ作者も翻弄され、読者も翻弄される。

僕は遊動円木にのせに連れて行った。
「いいか、乗れ」
僕がほんとに乗せてやりたい一心で連れて行ったのなら、誰も見ていないところで、いたわりながら抱いて乗せてやったにちがいない。しかし僕は、
「いいから乗れ」
といって不安げに僕の方を仰いでいる臆病な息子に手をかさないだけでなく、びっこをひき右手を後ろにそらせて円木に近づくのをじっと見ているのだ。
(勇気をつけねばならぬ、この不具の子がこの世の荒波にたえられるように)
僕はそう思ったつもりではげしくゆすぶった。僕はその時息子がどのような醜悪な表情で泣くかを知っていた。その顔は僕一家の泣く表情に似ているだけでなく、この病人特有の不釣合なゆがんだ表情なのだ。(203ページ)

作者は自分がどうしてそういう行動をするのかわからない。これを読んで二十世紀末以降の時代を生きる私たちは「幼児虐待」という言葉を思い出すかもしれない。しかし、幼児虐待する者の特殊な心理が説明されていると言ってしまったら、この作品は私たちから遠くへいってしまう。これは主人公にだけ起こった誰の心理とも通約不可能な一回かぎりの出来事なのだ。

主人公にとってさえこれは保有不可能な気持ちの出来事であるために、『微笑』では主人公は性懲りもなく繰り返す。しかし何度繰り返そうが、一回かぎり突発的に理由もなく時間的猶予もなく起こる出来事であることに変わりない。作者は人が自分の気持ちでさえ保有できないことに魅せられている。『燕京大学部隊』で、

僕は途々おかしくて晴々として仕方がなかった。いくら云いきかせても無駄だった。からだが笑っている。まるで他人のからだのようだ。他人の口のようだ。いやいやほくそえんでいる。どうしたと云うのだ! あちこちの戦場で人が死んでいる。それなのにどうも分らない、いやおかしいわい。(107ページ)

これも同じで、説明のしようがない。精神分析なり何なりを援用して説明して、少しでもわかった気持ちになったらどんなに楽か。しかしそれは作者の思うツボだ。

僕はそういう時に、自分がこの息子の父ではなく、隣家のおじさんであって、崖の上からでも眺めていて、美しい情景を見て、涙を流す立場にあったらどんなにいいだろうと思った。(『微笑』218ページ)

小島作品を解釈したり理解したりすることはすべてこの「隣家のおじさん」の居場所に逃げ込むことだ。自分が置かれている状況の外に出たら、どんな悲惨が書かれているものでも「美しい情景を見て、涙を流す」文学にしかならない。だから小島作品では主人公はいつ終わりがくるのか見当もつかない事態から逃れられない。主人公が置かれている事態の原因が説明されたら、主人公も読者も作者もその事態を囲い込むことが可能になる。

原因を持たない事態、「なぜ」に対する答えのない事態は渦中にいる者の心に罪悪感を生む。「なぜ私だけが……」原因がないからこそ、「なぜ」の思いは肥大し、彼が生きている世界を歪ませ、彼はいよいよ世界の全体から責められる心理状態に陥ってゆく。

と、こんなことならいくらでも言うことができる。こんなことを書き、作品からの抜粋を書き写しているかぎりにおいて、私は小島作品の外に立ち、小島作品の文章を無色透明な意味伝達の媒介と同次元で扱ってしまっている。本当に問題なのは、小島作品の文の組成なのだ。

私はこの一ヵ月、小島作品の文の組成を知るために、小島信夫のような文で頭に浮かぶ情景を何度も書いてみた。どこまで小島信夫の文に似ているか、まったく自信はないがとにかく書いてみた。私はまがりなりにもデビューしてすでに十八年目の小説家だ。年齢もすでに五十一だ。キャリアも年齢もこの文庫に収録された作品を書いた時期の小島信夫を上回っている。しかし文学というのはまったくそんなことで測れるものではない。宮沢賢治の詩を詩人たちは七十歳すぎても読みつづけるではないか。私は小島信夫の文で書いてみると、文が手の中で勝手に動くようだった。文の重心が予測できないのだ。重心が不安定に作られた球体のオモチャがたしかあった。私はそれを振っているうちに手が球に振り回されるようになって、止めようにも止まらなくなった。

私は二十一歳で内地をたつ時、二十六歳の年上の女で出征中の夫をもつ人妻に、あたえられ得る最大のことをのぞんだ。(『小銃』125ページ)

伊佐は一週間前に山田の前でイキリ立って何かわめいたのも、山田のつまらぬ発言がもとになって、モデル・ティーチングなぞをやらされたらどうしようかという、発作的な恐怖からであった。(『アメリカン・スクール』234ページ)

僕は自分のアタマが三十五を越してきゅうにまわりが悪くなったかと、腹立たしい気持にかられてはじめてトキ子の顔をジッと見るとその顔は肉がたるんできてはいるが、僕の心のすみずみまで知りつくしているような、昔かわらぬ自信ありげな風貌だ。(『馬』289ページ)

引用した三つの文は明らかに日本語としておかしい。一つ目は、「二十一歳で内地をたつ時、私は二十六歳の……」とすべきだろう。二つ目は、「伊佐が一週間前に…」とすべきだろう。三つ目は、「自分のアタマが三十五を越してきゅうにまわりが悪くなったかと、僕が腹立たしい気持ちに……風貌だった。」とすべきだろう。

しかし、もとの文の方がずっと魅力があり、力がある。三つとも文頭にいきなり「私は」「伊佐は」「僕は」という提示がくる。それによって日本語として破調になるのだが、回想や事情説明や心理状態であるはずの文がなまなましい出来事と化す。

こんなことは文法や国語学の本はきっと書いていない。しかし少なくとも小島作品においては、「は」は「が」より強く、「は」を途中に入れるより文頭に持ってくる方が強い。それによって読者は書かれた内容との距離感を失なう。『鬼』はセンテンスの二つに一つが「私は」になっていると言っていい。他の作品でも「私は」「僕は」「彼は」ではじまるセンテンスが他の日本語で書かれた小説と比べてずっと多い。

これはふつうに考えるといかにも無造作な書き方に見える。しかし実際に自分で書いてみると小島流センテンスをこんなに頻繁に使えない。どうしても「が」を使ったり、「は」が文の途中に来たりしてしまう。省略してしまうことも多い。書こうとする情景や心理状態と書く自分との関係を、よくよく心して変え、しかもそれを注意深く持続させていないと、すぐにセンテンスは「は」でなくなってしまう。文を書くということは思う以上に対象と距離を取ることだったんだなと痛感した。

一ヵ月かかって私はこれしかわからなかった。『アメリカン·スクール』の冒頭など「は」では説明がつかない。『燕京大学部隊』のおもしろさは「は」の用法とまったく違うところにあるように思える。今回あらためてこの文庫に収録された作品を読んで、意味にばかり囚われていた日本文学の中にあって意味が形成される以前の事態を書きつづけた初期作品群は、『抱擁家族』以降の中期·後期の長篇とはまた別に、あえて ”巨大” といってもいい星雲をなしていると思った。