ずうっと後回しなってた佐々木敦『半睡』をようやく読んだ。
『半睡』を読んでいると、或るとても大きな関心の地殻変動が起きていると感じられて、『うららかとルポルタージュ』『無断と土』、私(保坂)が書いたり言ったりしていることが、広範囲に響き合う。
荒川修作の「死なない」を私の解体であるとするなら、『うららか』の全体のヴィジョンでもある。
人間は時間に閉じ込められた存在であると、『半睡』も『うららか』も、とても強く感じさせる。
下世話な言い方をすると、〈私の解体〉〈死と再生〉〈生の連続性〉とは幽霊のことだ。
下世話でなく考えると、いま生きている私に、外と中から圧をかけると私の解体が起こる、ということを『うららか』は目の前の人間で遂行しようとして、『半睡』は言葉による像を対で仕掛けることによる演算の複雑化でやろうとしている。