小島信夫長篇集成の『寓話』の巻の解説で、「たまたまネットで『寓話』のあらすじというか構成というか、そういうものをじつに見事にまとめているブログを見つけたが、そこには『寓話』の何もなかった」と書いた。『寓話』は読み出すと、居ても立っても居られなくなる小説で、熱に浮かされるようになるそのことが伝わらなければ『寓話』にならない。読むのは、ただ読むなら、アプリの読み取り機能でも読むことになる。読むというのは、上演や再生みたいなもので、情報の整理でない。ここがこうだった、誰々が何をした、で伝わるなら、小説はそのとおり「ここがこうだった、誰々が何をした」と書けば済んでしまう。