「大量なのにかくもせわしなく」(小島信夫長篇修正⑧ 『寓話』解説)

私はびっくりした。

私は一時卒業論文にもしようと思ったことがあるその『ハムレット』のことを話してやった。浜仲もこの芝居のことなら知っているといった。プリンスの思いは、たとえホレイショという友人がいるとしても彼のみしか分つことができないのである。彼の思いは芝居となって自分たちがこうして読んだり噂にきいて知っていたりする。しかし、もしこの人物とそっくりのプリンスがいて、そのままで死んで行き、ホレイショというような人間も残らず誰も語り伝えることがなかったとしても、たとえば彼がプリンスではなく、誰にも知られず、あるひそかな思いを抱いて死んで行ったとしても、それはけっきょくは知られたと同じことである。ほんとうのことは、誰の場合でも、そのときどきには知られることがあるであろうか。その点は誰の場合にしてもまったく同じではないか。

『寓話』第3章、『寓話』は算用数字で55、序を含めると五十六からなるパートはただ数字が書いてあるだけで「章」とは書いてないが便宜的に章と呼ぶことにする第3章のこの段落を今回あらためて読むとこれは私がここ何年も書いていることそのものだった、私はここを読んだからこういうことを考えるようになったわけではない、そうだとしたら私は少なくともここを四回か五回読み、あまつさえ傍線まで引いているのだからもっとここをしっかり記憶しているだろう。

いや違うか、ここを完全に自分のもとのしたから私はまるで誰に言われたのでない、自分の手さぐりによってこういうことを考えたと錯覚したということだろうか。私はいま(思考の)盗用というようなことを問題にしたいと思っているわけではまったくない、人の考えというのはどのようにして人の心の中で芽生えるか、芽生えた考えを人はどのようにして育てるのか、というようなことに考えをめぐらせようとしているのだが、とにかく私はここをどこまで記憶の奥に保存し沈めたか自分ではまったくわからない、私はほとんどこのままの考えを持つにいたっている。まさに、

「誰にも知られず、あるひそかな思いを抱いて死んで行ったとしても、それはけっきょくは知られたと同じことである。」のだ。

『ハムレット』という芝居がなかったとしても、王子ハムレットやそれと同じ境遇にあっても知られることがなかった人の思いが知られないわけではない、それはいつか知られる。むしろ、

「ほんとうのことは、誰の場合でも、そのときどきには知られることがあるであろうか。」

本当のことは過ぎ去り時間が経たないと知られない、「ほんとうのこと」というのは、いつ・どこで・誰が・何をした、という簡単に記述し伝えられることを意味しているわけではない、「ほんとうのこと」というのは外面的な事実のことでなく奥深い、いわく言いがたいことだ。情報伝達が簡単になった現在、この「ほんとうのこと」と全然別の表層が情報として受け渡しされているだけでこの「ほんとうのこと」はいよいよわからなくなりつつある、思うに情報は受け渡ししにくいそのしにくさの度合いによって情報として簡単には受け渡しできないものを守ったり醸成したりするのではないか、情報がクリアで明瞭で簡便なものとなればなるほど、送り手からも受け手からも内側にある不明瞭でいわく言いがたいものが削り取られる。

『寓話』は暗号が大きな要素である、暗号は解読できない者には何が何やらさっぱりわからないが解読できる者たちにはきわめてクリアな情報だ、ということの比喩として私はここまでを書いたのではない、そんな簡単なことではない。

私は『寓話』が長く絶版であり、同時期の『菅野満子の手紙』と並んで、約千枚という厚さから講談社文芸文庫に収録される可能性もないと思い、自分のホームページでみんなに声をかけて十七人だったかのメンバーに五十六の章を割りふってそれぞれ手入力で個人出版の形で『寓話』を出版するとき小島さんに個人出版『寓話』のためのあとがきを書いていただいた、それはこの解説の文末、あるいは解説の前に載ることになると思うが、そのあとがきを書くことを快諾されつつも小島さんは、

「この序文の年譜作成者の話は読み直してみるとじつによくできているんですよ。この序文で全体が言い尽されているくらいですよ。もう他に何も書き加えるべきことはないと感じるくらいですよ。」

と私に言うのだが、この序文の何が『寓話』の全体を言い尽していると言うのだろうか。坪内祐三がたしか四百枚ぐらいだったと思う『「別れる理由」が気になって』という本を出したときも小島さんは、

「坪内さんのあの本で『別れる理由』はもう言い尽されているんですよ。」

とさかんに言ったが何が言い尽されたのか私は全然わからなかった、まさか、もともと言うべきことなど何もないと言いたかったわけではあるまい。小島信夫という人は書かれたことも自分の書いたこともその【奥】というには手近すぎる、茫洋とした遠くの遠くにあるようなことを考えていたのではないのか。それはもうホントにその場では何のことかさっぱりわからないが、まさにそれこそ、

「ほんとうのことは、誰の場合でも、そのときどきには知られることがあるであろうか。」だ。それでもきっと

いつかわかることはあるであろう、私というこの人間がわからなくても私の次に来る人がそれをわかることがあるであろう。

『菅野満子の手紙』の中でも繰り返し出てくる、小島さんの先生にあたるヘンダーリンやニーチェやゲーテを訳した独文学者の手塚富雄の同世代の菊池栄一という人の『唱和の世界』が『寓話』でも回数は少ないが出てくる、その『唱和の世界』を書いた菊池先生が浜仲がすでに絶版の『唱和の世界』を分けてほしいと問い合わせたのでその返事として浜仲に手紙を書いた、そして言う、

私は空想とは、ただ遠くへ遠くへ飛んでいってしまうということではなくて、凡庸なものたちの間では、無関係であるものどうしのなかに、関係ある紐帯を見つけるというようなことをいうのだ、(12章)

菊池先生はその一つ前の段落で、彼の授業を受けた小島青年をこう描く、

「彼の試験の答案はすこぶる空想的なものでした。私はその空想を賞でることにしました。私は彼の夢みる少年の小説を読んでいたからです。それに私はたまたま出席すると、別の頁をあけていたり、夢みがちな眼をあげて、本よりも、講読している私そのものを眺めている彼のことが記憶にあったからです。私の顔や声の向う側にあるものを、私はさがしています、とでもいっているみたいでした。」

ここから、一つ前の一字下げにした引用部にいたるくだりが私は大好きだ、この菊池栄一先生からの手紙は創作だろう、というか、『寓話』に書かれた手紙はほとんどすべて創作だろうし、しかし初読時、私は素朴にもここに書かれた手紙が本物の手紙だと思っていた、こんなことを書くのは一種のネタバレなのかもしれない、読者はある時点まで手紙も人物も実在すると思って読んでいく方が『寓話』は何と言えばいいか読みやすいかもしれない。

さて実在はするだろうが手紙となると「?」となる宮内寒彌氏がこういうことを書く、

「あなたが、そういうものを、ほとんど誰にも知られず考えつつあったということや、とうとう発見することができなかったということこそ面白いではありませんか。だって、文学者というものは、常にそういうものではないでしょうか。」(17章)

その宮内寒彌氏のことを「何も信用しない人です。どんなことでも疑う人です。」という編集者の言葉に著者はこう思う。

「私が会ったり、手紙のやりとりをした印象からすると、疑ぐりぶかいというよりも、何か一つのことを信用しているあまり、そう見えるのではないか、というふうに思える。といってもその一つのことが何であるかは、私にも分らない。」(23章)

おい、おい、それじゃあ話が違うじゃないか? さっきおまえは「それはけっきょく知られたと同じことである」という一節をさかんに引用し強調してたじゃないか? いつかわかることがあるであろうと言ってたじゃないか? 私は矛盾したことを筆の勢いにまかせて書いているのだろうか? 私は読者に言いたいのは、知られないとか分からないというのが理解の比較的浅い層での判断で、ハムレットであれ誰であれその人の思いが言葉にしなくてもいつかは知られるというのは理解をこえた共感ともいうべき心のもっと深い層での出来事であるということではない。はじめのところを読めば「そうだ、そうだ」と深く頷き、あとの方で違うことが書かれていても「そうだ」と思う、そういうことが小島信夫を読むということだ、そういうことがすべて唱和するのが小島信夫の小説だ。

私はこの『寓話』を読んだのは最初の小島信夫体験ではなかった、私の最初の小島信夫は『美濃』だったが二冊目か三冊目には『寓話』を読んだ、三冊目だったとしたらその二冊目は『私の作家遍歴』ということになる、もっともそのときには『作家遍歴』は二巻までしか読まなかったと記憶する、とにかく『寓話』と早い時期に出会った、私はこれはひじょうに幸運だったと思う、私は『抱擁家族』や短篇ははじめの頃、というのは『寓話』も『菅野満子』も読んでもなお、それらのものはこの二作と『美濃』ほどにはおもしろいとは感じられなかった、その後、私は今ではどれを読んでも面白さを発見し、そのつど面白さに驚くわけだがそれでも『寓話』を含む三作と『私の作家遍歴』はやはり別格で、『寓話』はやはり頂点にあると思う、作品を評価したり序列をつけたりするのは浅薄だ、下品でもある思う、それでもやっぱり数が多すぎる作品がある小島信夫の中で人が何から読もうか迷うことがじゅうぶん考えられるそこでやはり『寓話』は私はとび抜けている、私は早い段階で『寓話』に出会えたことは繰り返すが幸運だった。

個人出版のために書かれたあとがきを読むと私は『寓話』の中身をまるっきり何が書いてあったか憶えてないと言ったそうだ、小島さんの私に関する記憶はウソばっかりでたとえば私ははじめて小島信夫に手紙を書いて依頼したカルチャーセンターの企画というのは座談とか対談とかそんな小さなことではなく小島信夫を校長とする創作コースの設立だった、しかし小島さん本人がそれに対してまったくいい返事をしなかったことはともかく、小島信夫を信頼していると思っていた後藤明生や田中小実昌もほとんど完全否定だった、私はそのとき作家という人たちの気難しさの一端を見たと感じた、気難しさというのが適切な形容かどうかはともかく、この気難しさのようなものは今の小説家にあるだろうか、すでに二十六、七年も前のことだ、当時作家は今のように簡単に書店でのトークに出てくるようなことはなかった、作家はやはり今よりずっと何かに守られていた、自分でもそれを守ってもいた。

小島さんの記憶は間違いだらけだったがこの、私が『寓話』の中身をまるっきり憶えてないと言った話だけは本当だ、『寓話』も『菅野満子』もラストに何が書いてあったか憶えてなかった、たいてい小説は途中わけがわからなくてもラストぐらいは逆に憶えている、しかしこの二作はラストを憶えていない、では途中はどうかというと途中も憶えていない、再読する前は導入が年譜作成者との対話であること忘れていた。しかしこの小説は、これこれこういうことが書かれていたということを事後的に振り返って人に語るかのように自分の頭の中で再構成するような小説ではない。

このあいだたまたまネットで『寓話』のあらすじというか構成というかそういうものをじつに見事にまとめているブログを見つけたがそこには『寓話』の何もなかった。哲学の研究者でカントでもデカルトでもニーチェでもドゥルーズでも誰でもいいがそれをよく研究してどこに何が書いてあった、最近の誰々の考えはカントがどこどこですでに言っていることだと、そういう事実的なことは何でもよく知っている人がたくさんいるがそういう人と会って話していてもその人自身には哲学の何もない、そういう人たちは人より優位に立ちたくて哲学を勉強したとしか見えない、その人に面と向かって言ってはいけない言葉だらけだ、みんな知識を鎧にし、知識に逃げ込んでいる。

『寓話』は読むこちらがひたすら熱に浮かされるような小説だ、私は読み出すと早々に本を投げて駆け出したくなった、他にそこまで興奮したのは三十になるまで読むのを避けていた『罪と罰』のラストちかく、二人のやりとりの途中私は大阪に向かう新幹線に乗っていたが私は窓を割って飛び降りたくなった。こんな子どもの読書感想文でも×しかつかないようなことを書いても何の解説にもならないことはわかっているがそうとしか書けない小説がある、いろいろわかったようなことを書くよりも自分のそのときの体感を書く方が読んでない人にも何ほどか伝わると思わせる小説が現にこのようにあるのだ。

私が一九八〇年の今日、ここにこうして書いていることは大ゲサにうつるかもしれない。『墓碑銘』の記録の中の浜仲が部隊を悩ませたのと違って、私どもは、彼が嬉々として天国にいるように、十分に能力を発揮して(もっとも発揮し足りないが)いるのを見て、悩ましく思った。劣等感をおぼえたのは、こちらの方だった。といってもそれはあくまで心の奥底でのことで、それも簡単なものでなく、遠く南の海に渡り、今や何故か知らぬが生き生きしてきたところの、そうして妹の茂子に、二度とみんなと会うことがなくとも、このままこの若さで心のこりなく死んで行くことができ、日本人であると思いきることができるとくりかえしている浜仲本人よりも、複雑な劣等感をおぼえるくらいであった。

これは第2章にある段落だ、『墓碑銘』というのは『寓話』が下敷き(?)にしている二十年ほど前に作者本人が書いた南方での戦争の話だ、それを読まなければ『寓話』がわからないと思う人は『寓話』は読めない、そんなことはいっさい気にせずに読むわけだがそれにしてもこの段落の一つ一つの名詞あるいは言葉あるいは概念が持つ背景の大きさは何だ! この段落は極端としても『寓話』は書いてある言葉すべてが背景なり過去なり経歴なりを背負っている、まるですべての出来事が本当にあったことで実在する人物たちがそれを語りたいというやむにやまれぬ意志を持って寄り集い、この本のページに立っているかのように思えてくる、しかもそれがせわしなく語られる。序の冒頭の会話につづく地の文を見るとわかる、ここでの文章は接続詞が極端に少ない、これだけの量を背負った言葉をこのようにせわしなく書く人は一人もいない。

小説家は自分の書く言葉の持つ背景、過去、経歴、イメージの広がりに敏感なところがありそれらの量が多い言葉を書くとき語り口はゆっくりになる、私はその典型がプルーストだと思う、背負う量の多い言葉を悠々とオーケストラを奏でるように書き連ねる。ところが小島信夫はそれを余韻や言葉の響きに無頓着に書く、ひどいときは演奏前に楽器が勝手にチューニングしているようにバラバラになる、それをブラスバンドが勝手に吹いているようだと私は『美濃』の講談社文芸文庫の解説で書いた、『寓話』にはそのようなアナーキーな高揚はないが、重い背囊をしょって泥の中を重い靴でずんずん歩かされるような大変さがある。この大変さが素晴らしい!

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