今は瀬戸際の時代だ。書いたり考えるたり表現したりすることが、物語〜歴史(つまり権力)に組み込まれるか、そこから逃れられるか
「物語のように」「歴史のように」書かないためにはどうすればいいか?
坂口恭平『絶望ハンドブック』で言ってる書き方はカフカの書き方とほとんど同じで、坂口恭平は〈事後〉に追いつかれないように書き続けた
小説など文章の書き方には
A)事前に構成を考える
B)書きながら考える
A B 2つの方法があって、坂口恭平やカフカは無論Bだが、
問題は詰まった時書き進められなくなった時どうすればいいか?
今まで書いたものを最初から読み直すのは、もっともらしいが、これがじつは罠で、〈事後〉に追いつかれる。つまりこれは物語(もっともらしさ)の誘惑だ。
カフカの、万里の長城建設の話(1番長いバージョン)と日記に入ってる「カルダ鉄道の思い出」が典型で、詰まったら話を換える。脈絡など拘らず、ガラッと話題を換える。
『審判』も『城』も物語はない。あれは断片のつぎはぎだ。マルケス『百年の孤独』もエピソードのつぎはぎだ。
マルケスは小説を、脈絡ないエピソードをどんどん詰め込む器にした。
マルケスはカフカからそこを教わったわけだが、カフカはもっと凄いことをした。
つまり、カフカは書きかけの小説を
未完のままにした。
完成させなかった。
無理に完成させることはない。
それが完成しているかどうかなんて、最後の一行まで読者にはわからないんだから!
それが完成していようが未完だろうが、読者が最後の1行まで読んだなら、同等だ。