「書く、前へ前へ」(2024年6月号「新潮」創刊120周年記念号、特集「創作の小さな真実」)

「猿が話さないのは、仕事をさせられるのが嫌だからだ」
 ボルヘスに先行するボルヘスが賞賛を惜しまないアルゼンチンの作家レオポルド・ルゴーネスが短編『イスール』で書いていた、ジャワ島の言い伝えだが、たしかボルヘス自身も、同じ文をどこかで書いていた気がする。

 猿に言葉を覚えさせようとしている学者は世界中に何人もいるのだろうが、人の言いなりになるような猿は頭があまり良くないわけだから、言葉くらいしか覚えることができないという理屈になる。
 人間がこんなにも馬鹿になったのは言葉に頼りすぎるからで、言葉で説明できなければ、目の前の人の痛みや悲しみどころか、自分自身の体の不調もわからないようになってしまった。
 話す・聞くの言葉でさえそうなんだから、書く・読むの文字に何が伝わるだろう。しゃべり言葉には、抑揚・テンポ・声質・音圧……それから何より、表情・身振り・手振り……その人の体との連絡がいろいろあるが、文字はそういうものはない、話す聞くは同じ空間にいることだから、それがまずある、それは文字はかなうわけがない。
 手で書いていた時代は筆やペン先の運びに体の反映があっただろうが、活字は言葉の持つ身体性を切った。結果でなく、それが目的だったとしてもおかしくはない。

 私はしゃべるように書きたい。最初からしゃべるような文章を書いていたが、しゃべるように書けていたわけではなかった。しゃべるように書いたのは、カフカと小島信夫だ。この二人は直観で書いた。他の人たちは直観が及ばないから論理とかそれぞれの思考を使った。読む方も直観を直観で受け入れればいいという風に思えないから、この二人の書いたものを、深淵だとか締まりのない駄文の羅列だとか言ったりした、それはどちらも防衛だ、とにかく愚図い。
 直観で書かない文章は、構成と結末を重視することになる。どちらも良くないんだが、結末は人間に覆い被さる呪いのようなものだ。結末はいくつかの思考に支えられていて、私は「人類史を根本からくつがえす」という副題がついているデヴィッド・グレーバーの遺著となったデヴィッド・ウェングロウとの共著『万物の黎明』で、人類が農耕をはじめたことを歴史の必然と考えない、グレーバー以外の人類史を語ってきた人たちは農耕をはじめことを前提にして、農耕以前の社会を農耕に至る社会として描いていた、これも結末に縛られた思考の否定だ。農耕を必然とする人類史は答え合わせの思考で現状の追認で、その人はきっとすべてのことに対して結果によって原因を説明している。現状をどれだけ批判してもその批判の底には現状の肯定がある。
「農耕以前」に限らず「○○以前」の状態は、○○に収斂されないポテンシャルを持っている。岐路を思い返して、現実となったものを必然としてその理屈を考えるのが書く思考で頭がいいとされてきたことだったが、それはバカで日和見主義だったわけだ。

「過去は現在と並行して在る」
 とベルクソンは言ったとドゥルーズが書いていた。私はベルクソン自身のその文章にまだ出会ってないんだが、ベルクソンはバークリーという神学者の観念論を「物がそれを見る人の観念に浮かぶ通りのものであり、それ以上の広がりも奥行きもない」と説明をしていて、この観念論が哲学で一般にそう言われる観念論を指すかどうかはともかく、ベルクソンにとっての物が観念論の物でないなら、物はセザンヌがサント・ヴィクトワール山について力説したように、人が五感によって把握する以上のものを内包していたり生産していたり媒介していたりしている。
 ベルクソンのこの物のように力を持った状態として過去が在るのだと、ベルクソン自身の文章を読んでいると、すうーっと、覚醒のように理解がくる。この感じはドゥルーズなど他の人による間接的説明にはないものだ。ベルクソンは王道の哲学は理論武装しているあいだに直観を見失うと言う。
 ベルクソンの物のように過去が在るということを実感あるいは目撃したい、目撃といってもそれはセザンヌがサント・ヴィクトワール山の造山活動を視覚をもとにして洞察したような仕方ということになるだろう、セザンヌの洞察は目が見ている視覚以上のリアリティがある。

 しゃべるように書くというのは前へ前へと書くことで、結末に向かって書くことではない。結末とは農耕以前の社会を農耕で説明するようなことで考えを前に進めない。しゃべることは書くより明るい、というのは世界に対して肯定的であることで、過去は物のようにも現在に在る、カフカもまたそうであり、小島信夫もそうであり、私もそうでありたい。