【小説的思考塾vol.14】12/23(土)午後5時👉https://peatix.com/event/3751923
「私が死んでも世界はある」と私が言うと、「自分が死んだあとに世界があるなんて考えられない」と反論する人がいる。世界は私の死とともに消滅するーーそう考える人は、世界が不確かなのでなく、私(自分)が不確かなんじゃないか。
世界も私もわからないこと(知りたいこと)だらけだが、 「私は何(何者)か?」 「世界は何(どういうもの)か?」 という問い以前に、 「私はここにいる」 「あの人がいる(いた)」 「世界がある」 という、「在る」ことの素朴な驚きが私は大きい。
「在ることの驚き」が、「在ることの意味」を吹き飛ばす。つまりそれは、
「在ることの驚き」それ自体が、「在ることの意味」の説明となっていると考えられないか?