2023.08.18 群像9月号『鉄の胡蝶』その3

群像9月号『鉄の胡蝶』p.415〜

あったことは確かなんだが、何があったかは残された断片や他の絵から想像するしかない、昨日あそこで、しゃべればしゃべるほど、そしていまこうして書けば書くほど、断片として残された絵の切り捨てられた部分、部分という言葉はなんかここでは消極的で、目の前にないことの存在感が伝わらない、切り捨てられたのは部分というより、面積、用紙、なんかそういう言葉で言われるようなもので、 切って捨てられた面積の証拠となる断片である絵とでも言うのか、いや、人は絵とは言わないか、それは否定的な意味で絵とは言わないわけだが肯定的な意味でも絵というよりコンセプチュアルアートなのかもしれない、まったく逆の方向からあっちは時間を浮かび上がらせ、こっちは空間ないし平面を浮かび上がらせた、あっちとはジョン・ケージの〈4分33秒〉のことだ、あっちは計算でこっちは偶然だが、佐貫さんはそれを展示した、ふつう展示しない、展示したことがすごい。