2023.08.21【小説的思考塾vol.13対話篇+伊藤彰彦】対面+リモート

『仁義なきヤクザ映画史』第六章「かつて民衆とヤクザは共闘した」から抜粋

秩父事件は、群馬事件同様、農民の困窮を背景に起きた。庄屋の井上伝蔵らは、高利貸の家を打ち壊し、証文を焼き捨てようとしたが、その際、「総理」を博徒の田代栄助に、「副総理」を同じく博徒の加藤織平に依頼した。 田代の生家は父親が村長を務める名主だった。
維新後は没落し、養蚕業を続けるために高利貸から借金しなければならないほど困窮していたが、彼は二つの家に合計二十三人の人間を住まわせていた。身体に障害がある者、自活できないほど困窮した者を自宅に引き取り、面倒を見ていたのだ。
また、無免許の弁護士(三百代言)として村人の紛争の仲介も行なっていた。田代は専業の博徒ではなく、「弱きを助け、強きを挫く」侠客精神を抱いた村の「世話役」だったのだ。副総理の加藤織平は田代よりも直情径行な博徒だった。
決起の話を聞いたとき、小作農に対する自分の貸付証文百五十円を進んで破り捨て、「畳の上では死ねないのが博徒だ」と嘯いた。