書き換えられない記憶
今月号は「小説をめぐって」の(七)でなく(六)のはずではないかと思われるだろうが、先月号の「新潮」創刊一〇〇周年記念特大号に載せた短篇『桜の開花は目前に迫っていた』を連載の(六)とすることにしたので、今回は(七)になる。
この連載をはじめたのが一月号だから、連載の回数と「新潮」の月号が一致しているのは整理のために都合がいい。この連載が二年三年とつづいたとしても(事実私はそのつもりなのだが)、私がどんな形であれ、毎号毎号きちんきちんと休まずに書きつづけさえすれば、連載の回数を間違ったり忘れたりする心配がない。私は本や自分の書いた原稿の整理がひじょうに悪いので、整理の一助になると思うことは何でもしてしまう。
ところで今回は、先々月号の(五)の内容を受けると、「わかること」「わかるとはどういうことか」であり、「小説が小説として立ち上がるとはどういうことか」というようなことに、少しでも近づくことになるはずなのだが、その前に先月号(六月号)の小島信夫さんの 『ラヴ・レター』という短篇で書かれている保坂和志なる人物の発言や行動について、本人として訂正させてもらおうと思う。
小島さんは『ラヴ・レター』の中でも、その前の連作小説集『各務原・名古屋・国立』の中でも、保坂和志なる人物が「ぼくは秀才ですから」という台詞をたびたび口にするように書くのだが、私は一度もそんなことを言っていない。
「だいたい『秀才』という言葉はぼくのボキャブラリーの中にありません」
と、小島さん本人に一度ならず言っているのだが、小島さんはその記憶を書き換えてくれない。
私といろいろなことを話していて、小島さん本人が忘れている小島さんの発言を私が再現すると、
「そうか、私がそんなこと言ったのか。でも、あなたが言うんだから確かなんでしょう。あなたは何でも私よりよく憶えているから」
と、記憶というか過去を、他人に一任しているようなことを言うのだけれど、「ぼくは秀才ですから」という、ありもしない過去の発言はどうしても書き換えてくれない(と、私は小島さんの行動に対して敬語表記をしていないが、敬語を混ぜて書くと繁雑になるのでご容赦願いたい)。———しかし。
私がいまこうして「記憶を書き換える」と書くとき、私は人間の記憶をパソコンの保存機能のようなものだと思っていないか。いったん書き終わって「保存」した文書をもう一度引き出して、修正して、それを「上書き」処理して再度「保存」すれば、最初に書いた文書の誤りがきれいに修正されて、最初の誤った文章は「消去」されて、修正された文書の方だけが残る。しかし、人間の記憶はそのように単純なものではない。
『各務原・名古屋・国立』の中で、保坂和志なる人物が「ぼくは秀才ですから」というくだりは、どういうところかというと、小島さんの奥様の痴呆の治療について保坂和志が語り手=小島信夫に相談を受けて(といっても、はっきりとした「相談」でなく「悩み」を聞くような感じなのだが)、
「ぼくは秀才ですから、生半可な医者が脳を理解しているのと同じくらいのことはわかっています」
とか何とか言うところなのだが、実際に私が言ったのは、
「具体的にどんな薬が効果があるかなんてことは医者にしかわからないですけど、脳みたいに研究途上でよくわかっていないようなものは、素人がテレビや本で知ったことから推測していく方が正しいことだっていっぱいあるはずで、今の話だと(その具体的な中身は忘れたが)、医者も素人も同じようなもんですよね」
というようなことで、その発言のあとに「何しろぼくは秀才ですから」という台詞が付け加えられたとしても不思議ではない。というか、私がそうしゃべっているあいだじゅう小島さんの頭の中では「ぼくは秀才ですから」という台詞が響きつづけていたということなのだろう。
自分を秀才だと思っていない人間がそんなことを言うはずがあろうか!ということなのだが、脳にかぎらず病気はすべて本人か周囲の人間の観察があってはじめて治療できるもので、こちらの観察をきちんと聞こうとしない医者はおかしい。———そういう話も出たのではなかったか。
『ラヴ・レター』ではさらに、こんなことが書かれている。
彼は自分のことを秀才だというときに、「ぼくのほかに友人のKと、この二人は間違いなくそうで、そうそうもう一人いる。目立たない方面で仕事をしているが、……」という。この三人は高校の同級生である。ぼくはこう書きながら、彼のほかの二人は、「ぼく秀才です」とはいったことがないのではあるまいか、と思う。
だから私だって、そんなこと言ってない。
この引用部分で読者は「ぼく」以外に「秀才」が二人いると思うか、三人いると思うか。一回目に出てくる「二人」とは「ぼく」を含む二人ということだろうか、「ぼく」を含まずに二人なのだろうか。
短篇の中でも触れられている弘前劇場という劇団の芝居を池袋まで小島さんを案内して観に行った帰りに、主宰の長谷川孝治と「婦人」と書かれている私の友達を混じえて四人で少し早い夕食を食べながら、私は「『秀才』はぼくのボキャブラリーにない」と訂正したのにつづいて、「ぼくの高校の同級生にはとんでもなくアタマのいいのが三人いて、その三人を近くで見てきてモノが違うということがよくわかっているから、努力すれば誰でも一番になれるというような甘い幻想は持っていない」
と言ったのだ。つまり私は、アタマの出来というのを身長や容貌や、一部の飛び抜けたスポーツ選手の才能と同じくらいに明白なもので、解釈のブレによってどうともとれるような暖昧なものとは思っていず、そういう突き離したような一種ヒューマニズムに反するとも見える“頭脳観”を持っていることが、小島さんにはショックというか理解しがたく、そういう仕分けをする人間が自分を優秀の側に置いていないはずがない、という思い込みが、どうしても「ぼくは秀才ですから」というありもしない発言の記憶を書き換えられないということなのだと思う。
それにまた、とんでもなくアタマのいい人間を身近に見るのは、ものすごい美人を見たり、スポーツのものすごいプレーを見たりするのと同じで喜びであり、そういう特別な経験を持っている自分が誇らしくさえある。だから三人の同級生のことを私がしゃべるときには、その誇らしさがオーラのように全身から放射されているために、小島さんは、保坂が今しゃべっているのが「よもや自分のことではなく友達のことだ」とはどうしても思えない、実感として理解できないということではないかとも思う。
この不穏さはなんだ!
小島信夫の初期の短篇に『馬』というのがある(ここから先は読者と作家=小島信夫という関係になるので敬称は使わない)。
主人公「僕」がある晩仕事から帰ってくると、庭に建築資材が置かれていて、主人公はそれにつまずいて向こう脛を打つのだが、その痛い向こう脛をさすりながら「僕」が妻のトキ子に「何のためにこんなものが置いてあるんだ」と訊くと、トキ子は、私が置かせたもので、それで建てる家にあなたが住むんだと答える。その金を出すのは妻なのだが、ではその金は誰かに貢がせたものなのかとかんぐる「僕」に、「まあいやらしいわね。それはあなたよ」と、妻は答える。
というような、険悪なようでいて「僕」のうら淋しさ、情なさが印象づけられるやりとりが書かれた翌朝の場面がこんな風になっている。
翌日僕が起きるより前にトキ子が起きるので、ふしぎに思っていると、にわかに庭がさわがしくなってきたので、雨戸の穴から外をのぞくと、数名の仕事師が、僕の庭に立ちあらわれて、その逞しい背中や首すじを見せながら、トキ子をとりまいて職人たちが指示を受けているさまは、戦争中を思わせる。
いま書き写してみてはじめて「仕事師」と「職人」がダブッていることに気がついたが、そんなことはともかく、この不穏さはなんだ!と思う。
中でも「その逞しい背中や首すじ」という一瞬の心理的力関係の提示はすごいが、そんなフレーズをこえて、情景全体に不穏さが満ち満ちている。
『ラヴ・レター』の中で保坂和志なる人物が実際には一度も言ったことのない「ぼくは秀才ですから」という台詞が書かれてしまうのも、きっとこの心理によるのだ。「ぼくは秀才ですから」と書かれる一つ前の段落はこうなっている。
彼は拡大鏡は広がったものの方が見え易いと考え、眼鏡屋で買い求めて送ってくれたが、早速使ってみると、見えにくいので驚いた。ぼくが驚いた理由は見えにくいということよりも、送ってくれた品物が実用に適さぬということであった。ぼくは身勝手かもしれないが、どんなことでも彼のしたり云ったりすることは正確でもあり役にも立つと信じこんでいたからであった。
「彼」=保坂和志が「ぼく」よりもはるかに優れていることが、「ぼく」の中で前提されてしまっていることがわかる。小島信夫にとって関心の対象となる人物や事象は、〈私〉に対して圧倒的な優位性を持ち、その前で私はとことん無力になる。
たとえば『抱擁家族』で妻と子供をひきつれて映画に行こうと乗ったバスで、車掌に「あの人たちはあなたの連れですか?」と訊かれて、
「あそこにいる二人もいっしょです。そうですよ、いっしょですよ。あれは、私の家内と子供ですから」
と車掌に向かって叫ぶ場面。
あるいはまた『うるわしき日々』で、重度のアルコール依存症の息子の知能検査として、医師が、机の上に腕時計、ボールペン、万年筆、ケシゴム、手帳などをさりげなく置いてから、それをすぐに隠して、何が置いてあったか思い出してくださいと言ったときに、
「急に隠してしまったのでは、それはペテンというものではないか」
と、心の中で訴える場面。
主人公はいつもとことん無力で、周囲に対して「おかしいじゃないか」「そんなことないよ」「それはひどいじゃないか」と訴えかけている。
小島信夫の『抱擁家族』以降のほとんどの小説を私小説と位置づけたがる人が多いけれど、その読みは間違っている。現実に材をとれば、現実をありのままに書けば、私小説になるわけではない。それは単純すぎる定義というもので、私小説の書き手には「この私を見てくれ」という願望が休みなく働いていて、その願望がその人の書くものを私小説たらしめていて、その願望が成就されるかぎり、どんなに悲惨な境遇に突き落とされているとしても救いがそこにある。
「この私を見てくれ」と訴える私が見てほしいと思っている相手はたぶん読者ではない。私が見てほしいと思っている相手は、私を私たらしめている、私の心の中に住んでいて私に私の自己像を保証してくれている仮想的な視線のことだ。フロイトの用語に「超自我」というのがあるが、これは自我より上位にいて善悪の判断にかかわって、自我を裁く働きがあるらしいのでそれは違う(「超自我」は私自身がよくわかっていないのだが)。
それよりも When I find myself in times of trouble mother Mary comes to me speaking words of wisdom, let it be.という母の方に近く、「いいよ、いいんだよ。おまえのことは私が見ているから」という声さえ聞こえてくれば私小説の書き手は救われる。
もっともlet it beが words of wisdom だったらあまりに安易で相田みつをになりかねないが、それはともかく、小島信夫にはこの救いの契機がないように見える。
自分はとことん無力でそれに対して周囲は圧倒的な力を握っている。この構図というか力学は私小説なんかではなくて、カフカなのではないか。
メタレベルのない作品
そういう分類や類似めいたことをあまり決めつけてしまってもしょうがないが、「小島信夫はカフカなのではないか」と考えてみると、圧倒的な力を持った周囲ととことん無力な自分(主人公)という関係が一層はっきりしてくる。
だいたい、どうしてこういうことになるのか。
私はさっき「自己像」という言葉を使ったが、「メタレベル」という言葉を使ってみるとどうなるか。自分にとってのメタレベルが自己像だとしたら作品のメタレベルはどういうことになるか。「自己像」と「メタレベル」を厳密に定義しないまま言葉をするする置き換えてしまうのは分析としては許されないが、いまは分析以前の「ただ読む」「ただ考える」段階なので勘弁してほしい。
カフカ作品にも小島作品にもメタレベルがない。『城』の城は何のことか。城とは何を意味しているのか。城は何の比喩なのか。と考えることが作品のメタレベルを考えることと言えるだろうが、『城』においては、城とはそこに書かれているとおりのものでそれ以上の何かなのではない。つまり作品の外に作品に書かれている以上の意図がない。
城が官僚機構に似ているとか何に似ているとか、いろいろ感じることは読者の勝手だが、『城』で描かれた城は書かれているとおりのものとして、そのすべてを記憶するように読むのが一番おもしろい。
ところが『城』はうまく記憶できない。長いことと筋らしい筋がないこと———それから私自身が筋(展開)を憶えるのが苦手なこと———という理由があるにしても、五年前に試しに三回つづけて『城』を読んでみて(それ以前にも二回読んでいる)、三回目を読んでいる最中とそれから一、二ヵ月ぐらいのあいだだけはどういう順序で何が書いてあるのか憶えていたが、いまはやっぱり順番を思い出せない。『城』を全体として束ねる(俯瞰する?)何かがあればもっと憶えられるはずだと思うのだ。しかし、だからこそ書かれているすべてを記憶したくなる。
『城』には二回や三回読んだだけでは気がつかない連関がいっぱいあって、その連関に気がつけばもっとよく記憶できるのではないか———、というよりもむしろ私の気持ちとしては、書かれているすべてを記憶する方が先で、そうすれば記憶した私自身の意識にのぼってこない連関が私の中にできあがって、もっといろいろおもしろいと思うことが増えるのではないか、と感じているらしい。
自分が書いている小説だったら『城』の長さでも書いている期間かなりの細部まで記憶しているのだから(その証拠に同じ場面や同じ会話をうっかり二度書いてしまうことはない)、読むときにそれができないはずはないだろうと思ったから三回つづけて読んでみたのだが、三回ぐらいではそういう風には記憶できなかった。
数直線の年表のように、作品に書かれている要素を順に書き並べていって、それを俯瞰しながら細部の記憶を固めていくという方法もないわけではないが、自分の書いている小説で私はそんなことはしない。それを一度だけしてみたことがあるけれど、そういう要索の書き並べよりは記憶していることの方がはるかに多くて、それを見たところで訴えてくるものがない。それではと、記憶しているかぎりのものを書き並べていくと量が多くなりすぎてしまって、展開や流れを一望することができない。
だいたい自分自身の人生の記憶がそういうものではないか。数直線上に時系列に書き並べてみてもそれよりずっと多くのことを憶えているというか、全然そういうものではない。そんな風に並んでいるわけではなくて、たとえば二十年のつきあいのある友人だったら、その友達一人が頭の中に登場するだけで奥に向かってどんどん厚みを増していくというようなそういうものが人生の記憶で、小説を書いているときにそれを把握しているあり方もそれにちかい。
『城』がそういう風に記憶されることを期待したのだが、結局そこまで読みつづけることができなかった。
ところで、『城』の城はそこに書かれているとおりのもので、解釈することのできるメタレベルを持つ何かなのではないのだが、それでもやっぱり、読者にとってもカフカにとっても何かなのだ。
解釈して何らかの形に収まってしまうようなものは「何か」ではなくて「ただそれだけ」のものだが、どう解釈してみても解釈がとうてい対象(=作品)の豊かさ複雑さに見合わず、それゆえ次々と別の解釈への誘惑を起こし、解釈してもしつくせないために全体の展望が得られないものが「何か」ということで、それが何なのかを知る能力は誰にも与えられていない。ひとことで言えば、それは何かではあるがそれが何なのかは知りえない、ということだ。
これは小説そのものだ。
いや私は城でなくて『城』のことを書いたのだから小説そのものに決まっているのだが、四回目(四月号)で書いた「現前するもの」とはこういうことでもあって、書かれたことが葉となって生い茂っているために幹の姿が想像できないのが小説で、葉が生い茂っている木があったらその奥に幹があることを期待するのが人の思考の生理というものだが、小説は木ではないのだから幹が奥にある保証なんかどこにもない。掻き分けても掻き分けても葉っぱの層があるだけかも知れないではないか。
しかし、掻き分けても掻き分けても葉っぱの層があるだけだとしても、もっと掻き分ければ幹があるかもしれない。木という簡単に実物をイメージできるものを比喩に使ってしまったのはちょっとどころかだいぶ失敗だったが、この葉っぱと幹を読者の頭の中で何段階か抽象化させてもらって話をつづけると、「もっと掻き分ければ幹があるかもしれない」という思いを消し去ることができないのが人間だ。
つまりそれが「何か」ということなのだが、小説を根底から(おっ!ここにも木が比喩的に使われている!)そういうものにしてしまったのがカフカで、それゆえにカフカこそが現代小説なのだが、文学の業界でふつうに「カフカ的」と呼ばれる小説は、いま思い浮かぶかぎりどれも作者本人は幹をちゃんと気持ちのどこかに持っていて小説のテクニックで巧妙に隠しているか、幹など深刻に思い描く必要のない、まあとるに足りないことを葉っぱだけにして書いているかのどちらかで、小説としての現前性によって「何か」がその向こうにある、つまり「この現前するこれは何なんだろう」と、読者だけでなく作者本人までが考えているのは小島信夫だけなのではないか。
カフカは『城』でも『審判』でも設定が非日常であるために、「この設定が何を意味しているのか」と、まず考えたくなってしまうのだけれど、小島信夫では設定が作者が生きている日常そのものになっている。そのために読者はカフカを読むときのように設定の意味を考えずに済ませてしまうのだが、主人公が状況に対して能動的に振る舞えない、ないし、主人公が何か行動を起こしたとしても事態の解決にはならない(なりそうもない)と行動の起こしはじめから感じられてしまうという、状況と主人公の力関係ではまったく同じと言えるのではないか。
もちろん小説の現前性ということでいえば、設定を日常に置くのと非日常に置くのとでは全然違う。カフカを読みながら「この設定が何を意味しているのか」と考え、その考えから自由になることがまず絶対にありえないところがカフカのカフカたる所以でもあって、そこを無視して、状況と主人公の力関係だけを抜き出して、「小島信夫はカフカである」と言うのは、わかったつもりになる、私が批判する読みと同じなのかもしれないが、いまはつづけていくことにする。わかったつもりになることで小説のダイナミズムが失われるのはよくないが、読むための要素というか方向が増えていくのはいいことだ、というのが大雑把に言ったときの私の態度だと、いまは簡単に書いておくことにする。
『うるわしき日々』では専門家がいろいろ出てくる。ル=コルビジェの黄金律のことをさかんにしゃべる彫刻家、現在住んでいる非常に住み心地の悪い家を三十年前に最新のデザインで建てた設計士、仙骨という背骨の一番下に隠れているような骨が人間の身心の「自在」を司っているんだというような宗教じみたことを言う人、それから息子のアルコール依存症を担当する医師……などなどいろいろな人が出てきて、主人公は彼らと対話しながら、アルコール依存症で思考がやられてしまった息子と痴呆で記憶が急速に失われている妻の二人を救う道がないものかと考えつづけるのだが、「小島信夫はカフカである」と考えてみると、これらの登場人物は『城』や『審判』でKとヨーゼフ・Kが出会う人物たちと似て見えてくる。
それら専門家の話を聞きながら主人公は、何であるかは知りようがないがそれでやっぱり何かであるこの現実について一所懸命考える。こういうことを書きながら思いあたったのは、小島さんが、
「保坂さんが『小説修業』で書いていたチェーホフのことで、何を言おうとしていたのか、最近やっとわかってきた」
というようなことを何度か私に言ったことだ。
小島さんにそう言われても私自身は、あそこで書いた以上のことを何か言いたかったのか思いあたらず、「何のことだっけ?」と考えているうちに話が次に移っているから、肯定も否定もしないまま———ということは小島さんにしてみれば肯定と映るだろう———になってしまうのだが、小島さんは自分以外の人間が、自分よりも多くのこと、正しいことを知っているときっと思い込んでいるのだ。
小説を書くのも芸術作品を作るのも哲学するのも政治にたずさわるのも、広い意味ではすべて神経症の症例なのだと言ったのは、私がものすごくアタマがいいと言っている同級生の一人である友人のKだが(しかしこういう書き方をすると、私の素直な気持ちを書かれた文字が裏切って、どこか揶揄しているように見えてしまうのは、文字のどういう性質によるのだろうか)、それで言うと小島信夫の神経症は、自分をとことん無力と思い周囲に過度の力を期待し、もとよりそんなことが成就されないために、全体として怖れへと変わるということになるだろう。
小島さんはこの連載を毎回読んでくれている。「楽しみにしている」と言っても言いすぎではないだろう。その小島さんのことをこれだけ書くということは、私はまた書かれてしまうことを覚悟しているということでもある。言っていないことが言ったとして書かれたり、言ったことが間違って書かれたりするのは愉快なことではないけれど(妻は他人事だから愉快そうに笑っているが)、小島さんが新しい小説を書くきっかけになればそれでいいとも思っている。願わくば保坂和志なる人物が登場しない小説であらんことを、だが、そんなことまで私に言える資格があろうか!
先月号の短篇特集で、私は何も書きたいことがなかったから、いっそ直前まで書いている振りをしてアナを空けようと思っていたのだが、「文藝」の編集者から「阿部(和重)さんと中原(昌也)さんが合作小説というのをやって、保坂さんが実名で登場するんで、中原さんが『保坂さんがおこるかもしれない』って心配してるんで一応見てください」とゲラが送られてきて、それで「合作小説」に対抗して「返答小説」を書こうという気持ちになったくらいだから、何が小説を書くきっかけになるかわからない。
書き手と書かれたものとのかけひき
小島信夫とカフカに戻ろう。
作品を構成する力学ないし作者の世界観のようなものがそういうものであっても、それだけで小説になるわけではない。小説とは書き手と読者との休みないかけひきの産物、———というのはウソで、正しくは、小説とは書き手と文字として書かれたものとの休みないかけひきの産物なのだ。
書かれた文章は書き手のイメージの写しではない。そんな幸福で安定した文章は十九世紀までのもので、というか最近気まぐれにモーパッサン『女の一生』を読んでみたのだが、文章が正確に書き手のイメージの写しになっているということではモーパッサンが一番で、ほとんど他にいないのではないだろうか。読みながら、デッサン力と言い換えてもいい描写の的確さに感心しながら、的確さゆえに退屈してきて途中でやめてしまったのだが、その的確さは素晴らしい。
話を戻して、書かれた文章は書き手のイメージの写しではなくて、書き手は半分は書かれた文章からその先を書くヒントを得る。という意味での「かけひき」だ。
野球でバッターが絶対に打てない速さの球を投げられるピッチャーがいたらかけひきなんかなしにド真ん中だけ投げればいい。しかしそんな速さの球はみんな投げられないからかけひきが生まれる。一番有効らしいのはバッターの得意なゾーンから少しだけ外れたボール球を投げることで、そうするとファールフライになったりゴロになったりするらしい。
カウント2−2で解説者が「ここはストライクを投げる必要はない」というのはそういう意味なのだが、こんな緻密な野球理論が素人が聴く解説のレベルにまで浸透してきたのはここ十年か、せいぜい二十年だと思う(しかしアメリカでもそうなのだろうか)。それはともかく、何が言いたいのかと言うと、「打ち取った」「アウトにした」とただ言うだけでは、何がそこで起こったのかまったく言ってないのと同じように、小説について語るために必要なことは、ピッチャーとバッターの一球一球のかけひきと同じことが、書き手と書かれた文章のあいだで起こっているということをきちんと示すことなのだ。そのかけひきがあるから、読者の注意を逸らさずに読ませることができる。そのかけひきなしに作品の構図や世界観を提示しても小説にはならない。
というか、哲学でも科学でもただ世界観だけを提示することは不可能で、アインシュタインのE=mc2、にしてもそこに至る道筋が示される必要がある。ただ、科学ではE=mc2がいったん導かれてしまえばそれが独立で流通しうるのに対して、小説の世界観は書かれた全体であるところが決定的な違いになる(哲学はその中間ぐらいの感じだろうか)。———こう書いてみても、世界観というようなキーになる概念が、どうしても数学の証明問題の結論部にあたるものであるという思い込みが私たちの中に抜きがたくあって、そういう風に言葉を配置することに馴れすぎているために少し混乱するのだが、小説においては証明問題の証明のプロセスそのものが世界観に相当していて、独立で抜き出せる結論部は小説には存在しない。
まずカフカではどうなっているか。
導入部で、夜遅く村に到着して宿屋に入り、うとうとしたかと思うとすぐに城の執事の息子という若い男に起こされて、宿泊の許可証を持ってない人は出ていってくれと言われるところ。Kが自分は伯爵に呼ばれた測量師だと言い返すと———。
「測量師だって」———ためらいがちにそうたずねる声が、まだしばらく背後にきこえていたが、やがてみんな静かになった。しかし、若い男は、しばらくして落着きをとりもどすと、あきらかにKの眠りを妨げまいとしていることがわかるように声を低めてはいるが、それでもKにも十分に聞きとれるほどの声で亭主に言った。「電話で問い合せてみよう」
なに、こんな田舎宿にまで電話があるのか。なかなか設備が行きとどいているわい。Kは、電話に関しては、おどろきはしたものの、全体としては、むろん、予期していなかったわけではなかった。電話は、ほとんど彼の頭上に近いところにとりつけてあった。さっきは、ねむくてつい見おとしていたのだった。(前田敬作訳)
電話が「ほとんど彼の頭上に近いところにとりつけて」あるのが馬鹿馬鹿しい。「ねむくてつい見おとしていた」のは作中のKだが、作者たるカフカの側の事情を言うと、たんにここまで電話があることを書いていなかったということだ。作者が書き落としていたことを、必要な場面に来てご都合主義的にポンッと書いてしまえば、作中人物にとって驚きとなる。
映画ではそうは作れない。Kが寝る場所に行くまでのシーンを撮ったら、電話があれば電話が映ってしまう(ちなみに、当時の電話はいまのインターホンのように壁に取り付けて
ある)。映画では電話は気がつくか/気がつかないかという注意力の問題になるが、小説の読者には電話は書かれるまで存在しない。同じように作中人物Kにも電話は存在しない。
これが撮影前にきちんとセットを組んで、世界を前もって作り上げていなければならない映画———現実もそうだ———と小説の違いで、小説では文字に書かれたことだけが存在を保証される。カフカはそれをよく知っているから、Kと会話している学校教師に唐突に、
だって、わたしはずっと見ていて、ほとんどわが眼を信じかねているのですが、さっきからわたしと話をつづけていらっしゃるあいだ、あなたはワイシャツとズボンという格好のままじゃありませんか。
なんて言わせて、作品世界を油断ならないものにしていく。それゆえ、カフカの主人公にとって、目が覚めたときと振り向いたりして視界が変わったときが危険な瞬間になる。
この法則(?)が『城』の中で一番馬鹿馬鹿しく噴出するのはKとフリーダと双子の助手の四人で学校の教室の中で一夜を明かした翌朝のシーンだろう。寒くてしょうがなかったのでありったけの薪を運び込んでストーヴを燃やし、ストーヴのそばはあたたまり、掛けぶとんもいらないくらいになって、深夜にはもう暑くてやりきれなくなっていた。
翌朝、一同が目をさましたときには、すでに早く来た生徒たちが、いかにもおもしろそうにこの寝床のまわりに立っていた。なんとも具合のわるいことだった。というのは、もちろん朝になったいまではふたたび寒さが感じられるほどになっていたが、夜中は暑すぎたために、みんな肌着以外はぬいでしまっていたからである。
「もう暑くてやりきれなかった」とは書いてあるが、「肌着になった」とはここ以前には書いてない。だから生徒たちに囲まれたKが、まさか肌着になっていたとは読者は思わない。K自身だって思っていない。なぜならそんなこと一言も書かれていないのだから。
ちなみにカフカの草稿にじかにあたることができるようになった「批判版」では、この段落は前夜からのつづきとして、章分けなしにつながっているらしいが、ブロート版(池内紀訳以前のすべての日本語版)ではこの段落が第十二章のはじまりになっている。草稿は草稿としてその価値を認めるとして、ここを章のはじまりに置きたかったマックス・ブロートの気持ちはわかる。彼は意外性を強調したかったのだ。
あるいはまた、城で働く秘書のピュルゲルからKがついに陳情者として認められたとき、ピュルゲルが文庫本にしておよそ二十ぺージにわたって、長々と城の機構めいたことをしゃべり、最後に「それをかなえてあげる用意はできている」と言ったとき、
Kは、ぐっすり眠っていた。
となってしまう。
もう一つのカフカに特徴的な書き方は、
まさかここまでは統一がおよんでいまいとおもわれるようなところにこそ、かえってとくに完璧な統一が支配していると感じさせるものさえあったのである。
という、現実にそのようなことがあるとしたらそれはいったいどういう現実なのか、具体的に想像するのが難しいことを、さらりと文字だけで語ってしまう書き方だ。新潮文庫の『城』をぱらぱらとめくりながら、目についたところを書き出すと、
バルナバスは、背たけがほぼKとおなじくらいであったが、その視線は、Kのほうを見おろしているように見えた。しかし、それは、ほとんどへりくだったような見おろしかたであった。(五〇ページ)
監視機関はあるかとのおたずねですが、じつは、あるのは監視機関ばかりなのです。(一一三ページ)
城内でたえまなしにかけているこの電話の声は、村の電話で聞くと、なにかざわめきの音や歌ごえのようにきこえるのです。(略)ところが、このざわめきと歌ごえこそ、村の電話がわれわれに伝えてくれる唯一の正しいもの、信頼するに値するものでしてね。(一二五ページ)
このクラム像は、たぶん本物とだいたいのところは合致しているでしょう。しかし、あくまでだいたいにすぎないのです。その他の点は、よく変るのです。といっても、クラムのほんとうの姿がよく変るほどは変らないでしょうが。(二九四ぺージ)
あの子は、ある官房に出入りすることを許されています。しかし、そこは、官房ではなくて、むしろ官房の控え室らしいんです。あるいは、控え室でさえないのかもしれません。(三〇三ぺージ)
だれであろうと、なにか請願することがあるか、その他の理由で尋問を受ける必要がある場合、すぐに一刻の猶予もなく、たいていは当人がまだその問題をよく考えてもいないうちに、それどころか、まだそんな問題があろうとも気づいていないうちに、(四三四ぺージ)
カフカにあっては、文字は文字として、現実との対応を無視して自律している。
この二つが、私が気がついている(いま思い出せる)かぎりでのカフカの際立った特徴で、この二つがいろいろに形を変えてあらわれることによって、場面に思いがけない要素が投げ込まれたり、論理が果てしなく引き延ばされたりして『城』が進行していく。
これがさっき野球のピッチャーを喩えに出した「かけひき」だが、(偉大な)小説家においては意識的なかけひきというよりも、そうとしかできない言語の使用法なのだろうと思う。
では小島信夫ではどうなっているのか。
小島信夫のどこがおもしろいかわからないから教えてくれと私に言ってくる人は多い。そういうときたいてい私は、
「どこがといわれても全体だ」とか、
「境地がすごいんだ」
という風にしか答えられない。
先月号の『ラヴ・レター』にしても、短いのに何かがはじまりそうな不穏な気配が充満している。しかしそれだけでなく妻が英作文の練習で書いた手紙にくると、いきなり胸を衝かれる。保坂和志の話題ではじまった小説が、軽井沢で主婦のための講座をひらいている先生の話題になり、次に妻のラブレターになり、それからチェーホフの関連で弘前劇場へと移っていくその全体を、何が一つの流れとしているのか全然わからない。しかしおもしろい。
すべての小島作品がそうなのだが、ふつうだったら「作品」としての体裁を整える過程で失なわれるものが、剥き出しのまま作品の中で脈を打っている。しかしそれが作者と書かれる文字とのどのような関係によるものなのか、私にはまだわかっていない。
主人公の無力さや不穏な気配が、書かれた文字のレベルでどのように作り出されるのか。それはすべて具体的に書かれた文字のレベルでしかあらわれない。作者がいくら念を込めたりしても、あらわれなければどうしようもない。それがわからないから私には「境地」としか言いようがない。
カフカの二つの特徴を挙げたけれど、本当はその特徴も、作者固有の、小説を小説たらしめているものではない。小説はすべて具体的に書かれた文字としてしかあらわれないのだけれど、しかしそれを生み出す力は文字ではない。文字としてあらわれたり醸し出されたりする世界観(世界像)が書かれる文字に反映することは間違いない(この論法は堂々巡りでなく、書くことと書き手の作り出すサイクルということだ)が、作者独特のリズム感も関係しているだろう。『抱擁家族』あたりを最後に、「自分の書いた字は一度も読み返したことがない(ゲラの校正も完全に編集者に任せてしまう)」という推敲ゼロの態度も関係しているだろう。
表面的な意味では、私が「境地」と言うときには、この推敲ゼロの態度を指しているのだけれど、小島信夫がどうしてそうなったのか、どうしてそれでやれてしまうように自分を規定していったのかはわからない。そんなことを何十年もつづけた作家は空前絶後だろう。あるいはここでもまた、草稿が「作品」として死後に流通したカフカが連想されるだろうか。
今回もまた話が逸れてしまった。次回こそ、作品を解釈することへの批判と、新宮一成によるカフカの読解のことを書こうと思う。