その人といっても私といっても同じことで、その日は朝から風が強く、NHK BS第二では午後一時から大相撲春場所の四日目を中継していた。隣の家の一人娘はその日が中学の卒業式で、うっかりつけっぱなしにしていたテレビに映った大阪府立体育館の席は、午後三時でまだじゅうぶんに太っていない相撲取りしか出ていないのに、意外に埋まっていた。うっかりつけっぱなしになっていたテレビを見なければ、その人はいま大相撲をやっているとは思わなかった。つまりその人は相撲に関心がなく、風が強いのは前日から四月並の陽気をもたらしていた太平洋の高気圧が去っていきつつあるからだった。東京の桜の開花は目前に迫っていた。
高気圧はそれに包まれているかぎりは、穏やかな晴天になるが、去っていくときには気圧の差で激しい風を吹き出す。隣の家は卒業式を終わった一人娘と友達たちが集まっているので騒がしかった。一人娘はルイちゃんといい、モーニング娘。のファンで、両親もモーニング娘。のファンだ。家族全員でコンサートに行ったこともあるらしい。全員といっても三人だが、高気圧が去り、そのかわりに北からまた寒気が南下してくるので、天気予報では明日は雨になると言っていた。
日本海側でも雪でなく雨なので、寒気といってもたかがしれているだろう。桜の開花が目前に迫っているのだ。しかしいまある暖気とこれから来る寒気の境目には前線ができて、そこでは突風や雷がある。暖気と寒気が入れ換わるときにはその境目で、突風が吹く。突風が吹いたら夏でなくてもそれにつづいて雷が鳴る。これは憶えておいた方がいい。もしかしたら、隣の家に集まっているのは娘の友達たちでなく、お母さんの友達たちかもしれない。お母さんといえども、自分の親の前では娘だ。夫の前では妻だ。
風は止むどころか、夕方に向かっていっそう強まっていた。その人は、隣の家と反対側にある隣の家のアンテナが激しく揺れるのを見て、自分の家のアンテナの揺れを想像しながら、日本海から太平洋に密に並んだ等圧線も想像した。その人は正午のニュースと夜の七時のニュースの前にある気象情報を見るのが好きだ。ただ好きでなく毎日録画して見そびれないようにするくらい好きだ。だから最近ではすっかり気象に詳しくなっている。
芸は身を助く。何があるかわからない世の中だから、きっといつか気象によってその人は助けられることだろう。「なさけはひとのためならず」は、情は「他人のため」でなく「自分のため」ということだ。情をかければ、まわりまわっていつか自分に還ってくる、という意味だ。「そですりあうもたしょうのえん」は、「多少の縁」なのではなく、「他生の縁」ということだ。唐突な諺の使用は、その諺がいま書かれている作品の外部の声として機能するように見える。ではこれはどうか。「運転は命がけより心がけ」。
そんな日にその人は、あの二人の小説への返事を書こうと思い立った。思い立ったが吉日。思い立ってはみたけれど吉日だった、ということか。文芸誌の「文藝」夏号に掲載されるあの二人の合作による小説「赤ん坊が松明代りに」にその人が登場していた。
それによると、その人は最高傑作の『カンバセイション・ピース』を発表したあと、「案の定スランプで抜け毛がよりひどくなり、やがて散文詩まがいの遺書めいたものを文芸誌で発表した後に東京近郊の森林で自殺未遂騒動を引き起こしたとの噂」さえ出たらしい。しかしそれは噂にすぎなく、うんぬん……と、その小説はつづくのだが、あの二人のその小説がおそれいるのは、唐突に使用される諺ほどにも、小説がメタ・メッセージを持っていないことだ。つまり何のつもりで書いているのかさっぱりわからない。
「憎い」とか「殺してやりたい」とか、「褒められたい」とか、いっそ「世間から蛇蝎のごとく忌み嫌われたい」とか、そういう創作の動機が小説から想像することができない。不謹慎な創作態度だ。あの二人のうちの一人はいつもいつも金がない金がないと言っている。言うだけでなく本当に金がない。原稿料ほしさに小説を書く。その小説も書くことがないから一行目から苦し紛れだ。しかし、一行目を書いたその一行目すら金に見えるから、書き直すのが惜しく、仕方なく一行目と辻褄があったように見える二行目を書く、という小説への純粋な態度で小説を書くから、小説にメタ・メッセージが入りようがない。
ある人がカフカを論じて言っていた。法や慣習に従うことは精神を眠らせることだ、と。ある人は精神科医だ。ある人はいいことを言う。
小説は、いきなり会話ではじめることもできる。「わたしは……でした」と告白するように書くこともできる。「その夏が僕にとって忘れられない夏になるなんて、そのときにはまだ考えてもみなかった」と、回想ではじめることもできる。最近は、一人称でテンポよくしゃべるように書く語り口が流行っている。が、どれも一行目からあまりに小説すぎる。精神の眠りに入ることにならないか。そういう決まりきった真面目さは法に従うのと同じことで、あの二人の不謹慎さに劣る。桜はすでに蕾が膨らんでいる。
それにしてもあの二人はどういう風に合作したのだろうか。仮にあの二人の一方を「マー君」もう一方を「カッちゃん」と呼ぶとしよう。マー君がワープロのキーボードの左手を担当して、カッちゃんが右手を担当したのだろうか。それとも二人羽織みたいにして、マー君がキーボードを打つ係で、カッちゃんがモニターを見る係だったのだろうか。
「マー君、そこは『ま』じゃなくて『ち』だよ。
やだなあ、マー君たら、わざと間違えたふりなんかして。
全然違う場所だから、そんなことしてもわかっちゃうんだよ、ぼ、く、に、は、」
カッちゃんの明敏な推察に遭い、マー君は少し動揺したが、素知らぬ風を装って、鼻歌で『伊勢佐木町ブルース』なんか歌ったりしたかもしれない。
「ふふっふ、ふふふ、ふっふ、ふん。
あーん、あーん」
二人はやっぱり大相撲春場所の開催に合わせて、まわし一つで合作していただろうか。朝青龍がモンゴルに帰国したときの映像を見た人なら憶えているはずだ。朝青龍を出迎えたお父さんは朝青龍よりずっと大きかった。あれには驚いた。かつて横綱より体の大きい父親なんていただろうか。朝青龍はこれからもっと成長するとでも言うのだろうか。
大相撲の取り組みはそろそろ大関・千代大海になろうとしていた。その人の隣の家の騒がしさは夕方になっても止む気配はなかった。その人は、
「うるせえぞ、てめえら!」
と、隣に怒鳴り込んだりしなかった。だいたいうるさいと思っていなかった。「騒がしさ」という言葉が紛らわしいかったらすいません。しかし、ではそのときその人の隣の家でしていた音や声を何と表現すればいいのか。
かんせい【喚声】さけびごえ
かんせい【歓声】喜びさけぶこえ。歓呼のこえ。
きょうせい【嬌声】女のなまめかしいこえ。
どれも違う。「角川国語辞典」が悪いのか。いや、悪いのはこの小説の書き手の語彙の貧困さだ。それにしても国語辞典の漢字とひらがなの使い分けには、どういう規則性があるんだろう。「こえ」を漢字で読めないのに「歓呼」が読めるとはどういうことか。
適当な表現が見つかる見つからないに関わりなくその声はつづいていた。しかし、その声よりも強風による音の方がずっとうるさかった。前述したとおり、強風と気圧の変化は同義だから、いまごろ頭痛に苦しんでいる人もいるのだろうとその人は思った。自傷行為をはじめた人もいるかもしれない。自殺しようとしてナイフを持った人もいるかもしれない。ガスの栓をひねった人もいるかもしれない。
どうしてそんなことをするんだ。
そんなことをしようとしているあなた。あなたがそんなことをしようとしていると仮定しての「あなた」のことだが、あなた。それはあなたの意志ではないんですよ。気圧の急激な変化なのですよ。いや、死とはそういうものかもしれない。溺死する人には水深の急激な変化が原因なのだから。死にはやはり本人の意志は介在しない。自殺も実際のアクション以前に本人の意思は奪われているのだ、きっと。
マー君の『伊勢佐木町ブルース』はいつしか止んでいた。桜は明日か明後日には咲くだろう。ひたすらモニターを凝視して、次の文字が打ち込まれるのを待っていたカッちゃんの耳に、女の喘ぎ声が聞こえてきた。いったいどうなってるんだ? 女の喘ぎ声は断続的にいつまでもつづいている。カッちゃんは意を決して、訊いた。ただし現実を直視しないように、モニターを直視して。
「マー君たら、いつの間に女なんか連れ込んだんだい?」
「え? 女? 女なんかどこにもいないよ」
「なんでそんな嘘を言うのさ。ぼくとマー君の仲じゃないか」
「カッちゃんこそ、急に何を言い出すんだ」
「だって、さっきから女の喘ぎ声がしてるじゃないか」
「……」
「ほら、図星だ」
マー君は力なく笑うしかなかった。そして言った。
「あれが女の喘ぎ声に聞こえるようじゃ、ぼくももうおしまいってことだね。
あれは喘ぎ声じゃなくて、ぼくのオナラだったんだ」
オナラの音が女の喘ぎ声に聞こえるようでは、その男はすでに中年になっている。マー君はそれをその人から献本された本で知っていた。その人の窓から見える丈の高い松が激しく揺れていた。
手入れされている松はほどほどの高さでおさまっているものだが、松もほうっておくとぐんぐん上に伸びる。欅も激しく揺れていたが、その松のように不安定ではなかった。欅はまだ葉をつけていない。枝だけなので、激しく揺れたくても揺れようがなかったのかもしれない。近くの空き地の高く高く円錐形に聳え立つヒマラヤ杉も激しく揺れていたが、松と違ってヒマラヤ杉の揺れた方には風格が感じられた。そんな強風の中でも、桜は開花に向かって蕾を膨らませていた。
その人はだんだん隣の家の声がルイちゃんの友達たちの声なのか、ルイちゃんのお母さんの友達たちの声なのか知りたくてたまらなくなっていた。しかし窓から覗くわけにはいかない。縄があれば道で縄跳びをできる。縄跳びに興じているふりをして、隣から出てくるのがどっちの友達たちか確かめられる。しかし縄跳びの縄なんかその人は持っていなかった。
その人は道で心をこめて四股を踏むことにした。
ひとつ踏んでは父のため。
ふたつ踏んでは母のため。
みっつ踏んではふるさとの……。
その人はそれ以上、掛け声を知らなかったので、黙って四股を踏みつづけた。心をこめることは忘れずに。思えば、その人の父は昔よく柏戸に似ていると言われたものだった。大鵬と二人で「柏鵬時代」を築いた柏戸関だ。
優勝五回、準優勝十五回。引退後は鏡山親方を襲名。しかし平成八年死去。享年五十八歳。これはその人の知識ではない。インターネットの「大相撲 記録の玉手箱」の「関取名鑑」で調べたのだ。それには備考欄にこんなことが書いてあった。
「昭和三十六年一月に優勝してエールフランスからヨーロッパへ招待されたが、テヘラン空港では髷を見た人から同行した春日野の妻だと勘違いされた」
その人は「お父さんに似ている」とよく言われるのに、柏戸に似ていると言われたことはない。本人も柏戸に似ていると思ったことがない。実際まったく似ていない。不思議なこともあるものだ。
心をこめて四股を踏んでいるうちに体がじゅうぶんに温まったので、その人はセブンイレブンに行くことにした。そのセブンイレブンのレジには、エロい感じのアルバイトがいつも二人ずついる。それがどうにも怪しい。数年前まで、その人にとって世界がいまよりもずっとエロに染まって見えていた頃だったら、その人はそのセブンイレブンで売春の手引きがされていると妄想したことだろう。店内の特定の商品の組み合わせが売春の暗号になっていたりするとか。
途中にある桜の蕾は確かに膨らんでいた。数年前までのそんな妄想まみれの自分をあさましいとも哀れとも可愛いとも思いつつ、その人はセブンイレブンに入っていった。入口のドアが開くたびに強い風が入ってくるせいか、店内におでんの匂いはあまりこもっていなかった。やっぱり今日もエロいのが二人いる。アルバイトは昨日とは違っているように見える。一人はレジに立ち、もう一人はレジの脇のアメリカン・ドックのケースを開けて、意味もなくアメリカン・ドックを並べ換えて働いているふりをしている。
客は仕事帰りのOLらしい女が二人とダボダボのズボンをはいた作業員風の男が一人いるだけだった。OL風の一方は雑誌を立ち読み中で、もう一人は小さい弁当を手に持って、シュークリームやプリンやヨーグルトの陳列台の前に立っていた。ダボダボ・ズボンの男はせわしなくあちこちを歩き回っている。ガニ股だ。内股のダボダボ・ズボンなんて見たことがない。あれもニッカーポッカの一種なのか。あるいはあれこそがニッカーポッカなのか。男が店内を歩き回っているのは、ガニ股を誇示するためだけとしか見えなかった。
その人は今日は、明星「極み食感 もちもちのワンタン」228円と日立「小丸電球 二個入り」160円の組み合わせで行くことにした。小丸電球のケースには括弧で(ナツメ球)とも書いてある。蛍光灯の小さい5Wの電球のことだ。100Wや60Wの電球も売っているが、それでは露骨すぎる。だいたい本来の用途でもない100W電球を買って、本当に必要な人が買いに来たときになかったら迷惑がかかるじゃないか。
初老の男が入ってきて、入口横のコピーに立った。絵が描いてある紙を数枚、封筒から取り出した。一番上は梅の絵らしい。弁当を持っているOL風がアイスクリームのケースのところに行った。ダボダボ・ズボンの男はポテトチップスを取ったが、すぐに戻して今度はエビセンを持っていた。もう一人のOL風は、いまは雑誌を棚に戻して、雑誌の棚の前でメールを打っていた。肩に掛けたバッグがすぐにずり下がり、そのたびに掛け直す。
また一人、今度は三十歳ぐらいの男が入ってきて、いきなりレジの女に話しかけた。宅急便を出しにきたのだ。その手もあったか。今日ダメだったら、明日は宅急便にしてみよう。男の出した荷物は、なんだかやけに小さかった。バレンタインデーのチョコレートでもあるまいし。男が伝票に記入しているあいだ、エロいアルバイトは胸のネームプレートをいじっていた。爪はふつうに少し伸びているだけで、マニュキアもどうということのない抑えめの赤だ。
弁当を持ったOL風がアイスクリームの冷蔵庫を開けて手を入れると、ダボダボ・ズボンが連れのような馴々しい動作で中を覗き込んだ。OL風がすっと手を引っ込めると、ダボダボ・ズボンはちらっとOL風の顔を下から見上げた。OL風は目を逸らしたが、ダボダボ・ズボンに悪意はなかったらしく、かすかな笑いをつくって軽く顎を突き出した。それで頭を下げたつもりなんだろう。OL風はそれを無視して、アイスクリームを取らずに冷蔵庫のガラスを閉めて、またシュークリームやプリンの方に行った。
「おい」
ダボダボ・ズボンが呼びかけた。OL風はそれでも振り返らなかったが、ダボダボ・ズボンが見ている方向は、もう一人のOL風だった。もう一人のOL風も「おい」には反応せずに、黙ってメールを打っていた。振り返ったのは、コピーをしている初老の男だった。ダボダボ・ズボンはメールのOL風に向かって歩いて行きながら、もう一度、もっと語気を強めて、
「おい!」
と言った。初老の男とその人がダボダボ・ズボンを見た。もう一人のOL風は見ない。レジの二人も見ていない。宅急便の男も見ていない。OL風は携帯電話の文字盤を見たまま、ダボダボ・ズボンに目をやらずに、ひと言ふた言何か言い返した。声が小さいので店内の誰にも聞こえない。ダボダボ・ズボンはさらに近寄って、
「なんだよ、その言い方は」
と言った。その人は自分がさっきまで心をこめて四股を踏んでいたことを思い出した。いまこの店の中で、二十四時間以内に四股を踏んだのは自分だけなのだ。
「さきに帰ってればいいじゃない」
OL風がダボダボ・ズボンに言った。ダボダボ・ズボンはチッと舌打ちして、雑誌の棚から「クロワッサン」を取った。初老の男はハンカチで額の汗を拭いた。桜の蕾はすでにじゅうぶんに膨らんでいる。
ダボダボ・ズボンとOL風のやりとりに気を取られているあいだに、宅急便の男はレジを済ませて、その人の脇を通って奥の清涼飲料に行った。特に変わった様子はなさそうだった。その人は宅急便の線はないと判断した。そしていよいよその人がレジに行った。
レジにいるアルバイトはさっきと替わっていない。身長163、バスト85(Cカップ)、ウェスト58、ヒップ85、チャームポイト・唇、性格・おっとり、プレイスタイル・受け身、コンパニオンから一言「ゆっくり大人の時間を楽しみましょう」。
「四百七円になります。
箸はおつけしますか?」
「いいです。
…………
あ、やっぱりつけてください」
「千二円からお預かりします。
…………
五百九十五円のお返しです」
何もなかった。
「小丸電球(ナツメ球)」と「極み食感 もちもちのワンタン」の組み合わせはいいと思ったのだが。
あそこですぐに箸をつけてくれと言わなかったのが失敗だったのか。支払いに二円つけたのが余計だったのか。五百九十五円ではほとんど小銭の軽減になっていない。ただのしみったれとしか思われなかっただろう。支払いの方法に一考は要するものの、三つ以上の商品の組み合わせということはないはずだった。それだけはその人は確信を持っていた。
風はまだ激しく吹いていた。桜は開花に向かってどんどん蕾を膨らませていた。その人は小学二年生の夏休みの夜のことを思い出した。
地中から出てきた羽化寸前の蝉の幼虫に、四歳年上の従兄がいきなり昆虫採集の液を注射したのだ。長い地中生活からようやく出てきて、明日の朝には飛ぼうという夜に、毒液を注射された蝉はしだいに弱りっていきながらも羽化をつづけていた。その人も従兄もしばらくは見ていたが、なかなか死なないので蝉を虫カゴに入れて眠った。翌朝見ると、蝉は羽化を完了させた姿で死んでいた。まったくひどいことをしたもんじゃないか。
桜は翌日開花した。満開までは十一日かかり、開花から満開までの日数としては最近では二番目に長かったとテレビで報じていた。