表現、現前するもの(『小説の自由』4)

楽器編成が表現

前回私は、小説とは「私とは何か」「私がどういうもので成り立っているのか」という類の問いをテーマとして書く表現形態でなく、〈私〉にかかわる問いがすでにディスクールに埋め込まれているものだということで、「視線の運動」のことを書いたのだが、肝心なことを何も言えなかったような気がして仕方ない。
志賀直哉、三島由紀夫、チェーホフ、ジョイスそれにいま書いている小説家として柴崎友香の文章を挙げたのだが、私自身が考えていることは、実際の作品よりもイメージで書いた方が伝わりやすいのではないかと思う。それら実例として引用した作品が、私の意図を裏切るとか考えていることに対して不十分だとかいうことではなくて、ある種のことは実例よりもそれとは別の性質を持った表現を思い浮かべた方がわかりやすいのではないか、という意味だ。
たとえば音楽というのを考えてみようとしたときに、まずメロディが思い浮かぶ———だろうか?
いきなり変な書き方になってしまったが、私は上のセンテンスを「思い浮かぶ」という断定でいったん終わらせて、その次に否定するという順で書いていくつもりで書きはじめたのだが、40字程度の短いセンテンスを書くあいだに、そんな単純な断定は、暫定的にであっても全然できないという気持ちが強く出てきすぎて、「———だろうか?」を書き足さなくてはならなくなってしまった。
書きながら私の頭をかすめていったのは、ジミ・ヘンドリックスの「パープル・ヘイズ」か何かのイントロとセロニアス・モンクの曲は特定しないピアノのタッチとブルックナーの交響曲第九番のスケルツォの一部分で、どれもメロディどころか、メロディーリズムーハーモニーのいわゆる音楽の三要素でもない、音の質感の方で、「音楽ではまずメロディが思い浮かぶ」というセンテンスを書くことは、「小説とはまずストーリーである」というセンテンスを書くのと同じくらい、私にはありえない、考えの最初に提示するのが無意味な想定なのだった。
そこであらためて、「音楽とはどういうものか」とでも書くことにする。

音楽とはメッセージを伝えるものではない(反戦フォークのようなジャンルもあることはあるが)。音楽とは私の心情を歌うものでもない。演歌は心情を歌うものだし、浜崎あゆみの歌なんかでも「今日がとても悲しくて明日もしも泣いていても、そんな日々もあったねと笑える日が来るだろう」(SEASONS)という歌詞がファンに訴えかけるのだとしても、それだけで曲として成り立つのだとしたら歌手は伴奏なんかつけずにただ独唱すればいい。
音楽とは歌手が歌うメロディと歌詞だけでなく、バンドやオーケストラを含めた全体のことで、歌手はその全体の部分として機能している。
音楽が表現しているものは、メロディや歌詞なのではなく、楽器の編成それ自体だ。楽器演奏を「伴奏」と呼んでしまう悪い習慣があるけれど、歌手と楽器に主−従の関係はない。バンドの構成員は取り換え可能だといわれるかもしれないけれど、浜崎あゆみのバンドのギターを三味線や木琴に換えられるわけではない。浜崎あゆみにはバンドを含めた全体としての「浜崎あゆみ」というクラブ・ミュージック風のノリがあって(詳しくは知らないけれど)、ただギターがうまいからといって、ベンチャーズや古賀政男の時代の奏者がそこに参加できるわけではない。
楽器編成それ自体が音楽の表現だということが端的にあらわれているのがクラシック音楽で、室内楽とオーケストラ曲とでは曲を構想する時点から違っている。
作曲家の頭にまず、あるメロディがひらめいて、それを最も効果的に表現できる楽器編成が弦楽四重奏なのかオーケストラなのかと構想していくわけではなくて、楽器固有の音色やタッチを伴なった具体的な厚みのある音として作曲家の中で音楽がはじまるだろう。日本語の「作曲家」という言葉がどうも「メロディを作る人」のように見えて紛らわしいのだが、作曲家とはcomposer構成する人のことであって、ただメロディを作る人のことではないし、composerないしcomposeから考えていけば「作曲(家)」の「曲」がメロディだけを指しているのではないことも了解できるだろう。
音楽に曲ごとに違う楽器編成があるのは、メロディを効果的に表現するためではない。そうではなくて、楽器の編成が曲の全体を決め、その中ではメロディもまた曲を構成する全体の一部としての機能を果たすことになる。
私の書いていることはあたり前すぎるほどあたり前のことだが、これを小説という表現に擦り合わせようとしたときに、いっぺんに怪しくなる。というか、小説との擦り合わせなんかまったく考えもしない人がかなりいるだろうから今回はしつこくこのことを書いていく。
特定の楽器編成による一つの曲が演奏されたときに、「それが何を表現しているのか?」と考えるタイプの人がいるが、それ自体が表現なのだ。それによって何かが表現されることになるのではなく、それ自体がすでに表現なのだ。

たとえば、ひとくちに弦楽四重奏曲といっても、軽快なものから荘厳だったり内省的だったりするものまでいろいろで、もっときちんと聴く人だったらそういう情緒的な形容詞なんかでなく、時間にそって展開される構成を把握しながら聴くのかもしれないが、人はまずそれが弦の響きであることを聴く。そして次に四つの弦楽器の重なり方とズレ方、それから旋律よりもっと小さい単位の音の連なりの生成みたいなもの———そこでもまた重なりとズレがある———を聴いていくのではないか。
現代音楽の作曲家で指揮者のピエール・ブーレーズも『クレーの絵と音楽』 (笠羽映子訳)の中でこう書いている。
「音楽において、時間の知覚、モジュールの知覚はまったく異なり、絵画の場合よりもはるかに瞬間というものに、それも取り返しのつかない瞬間に基づいている。一枚の絵画が作り出す空間を前にすると、たとえそれがチェス盤の空間のように分割されたものであっても、視覚作用は原則的にまず全体的なものである。それに続く分割された視覚作用は、そのようにして捉えられた全体的な空間をより良く感知する助けとなる。音楽において、事態はまったく逆である。私たちが感知するのは、瞬間であるか、あるいはせいぜい、ある瞬間と別のある瞬間との関係である。」
さらに全体の構成に関わることもつづけて書いているので、ついでに引用しておくことにする。
「それで、もし拍動が規則的な場合には、次に何が来るかということの見当がつき、もしそうした拍動や、その拍動が私たちをある時点から別のある時点に連れて来たということを意識した場合には、回顧的に、何が起こったかということの見当がつく。最後にいたってようやく全体的な眺望が得られるわけだが、全体的とはいえ、仮想的な眺望である。絵画における全体的な眺望は、現実的な眺望であり、その分割された眺望の方は、それを全体から切り離さざるを得ない以上、ほぼ仮想的な眺望と言える。
音楽において、時間という要素、時間のモジュールは即座に感覚に語りかけ、瞬時に知覚される。音楽作品の総体的な再構成は想像的な再構成である。ひとつの音楽作品が現実に見通されることはけっしてなく、その知覚はつねに部分的である。総合は、後になって、仮想上のものとしてしかおこなえない。」
「仮想」という言葉が三回、「想像」という言葉が一回使われている。「回顧」という言葉も使われている。音楽において現前するものは———ブーレーズの言葉では前半の引用にある「私たちが感知するのは」———曲の構成でなく、音が鳴っているその瞬間に関わることで、表現とはまず何よりもそこにある。

といっても私が聴く弦楽四重奏といったらバルトークの一番から六番がほとんどなのだが……。たとえばバルトークの弦楽四重奏曲第四番にだって主旋律はあって、それをピアノで弾いたり口で再現したりすることもできて、それを聞けば四番を知っている人だけでなく、知らない人でもそこだけは聞き覚えがあると思う人がいるだろうけれど、それがバルトーク弦楽四重奏曲第四番のおもしろさというわけではない。
メロディ、主旋律というのは曲の楽器編成を離れて、いろいろな楽器によってどこででも再現することができるからポータブルで便利なのだが、そのとき、特定の楽器による現前性が失なわれる。音楽や美術の場合、現前性をそのまま物質性と言い換えてもまあかまわないぐらいだから、現前性=表現であることが了解しやすいだろうが(ブーレーズの文章の引用箇所は音楽と絵画の感知される現前性の違いを強調しているが、両者の現前性が強く物質的であることは否定していない)、小説という文字の表現の場合、すべてがいったん抽象化されて物質性を失なっているので、現前性ということが了解されにくくなる。
日本語には漢字、ひらがな、カタカナがあるために、ぱっと目に飛び込んでくるぺージの印象を物質性と考えがちだけれど、文字がいったん抽象化されたもの(媒体)であるかぎり、見た目の印象を楽器の音や筆のタッチや色の物質性と同じ次元で考えるべきではない。
それは翻訳の受容にも関わる問題で、見た目の字面の次元と表現は切り離さなければならない。さらにもっと極端なことを言ってしまえば、言葉遣いの硬い−柔かいとか、センテンスの長い−短いとか、文章のテンポの速い−遅いなど、ふつうに文体と呼ばれているものの差も、今回私が考えている表現とは別のことで、小説における表現=現前性とは、前回のチェーホフやジョイスの引用にあったような、視覚の運動(広く「感覚の運動」)を伴う、文章に込められた要素の量に関わる。
言葉遺いやセンテンスの長短やテンポは、いったん書き上げた段階でいくらでも直すことができるけれど、文章に込められた要素———つまり情景に込められた要素———はそういうわけにはいかない。小説にはいったん書き上げたあとに修正可能な要素と不可能な要素があり、修正不可能な要素が小説世界を作る、というか小説を作者の意図をこえてどこかに連れていく。
それが小説における表現=現前性で、文字とは抽象化されたものなのだから、見た目の印象は小説にとっての現前性でなく、韻文にあるような響きも小説にとっての現前性ではなく、文字によって抽象として入力された言葉が読み手の視覚や聴覚を運動させるときにはじめて現前性が起こる。
その現前性を持続させて何かを伝えたり考えたり表明したりするのが小説だが、何よりもまず現前していることが小説であって、伝えたり考えたり表明したりする方は小説でなくてもできる。
だから小説は読んでいる時間の中にしかない。音楽は音であり、絵は色と線の集合で、どちらも言葉とははっきりと別の物質だから、みんな音楽や絵を言葉で伝えられないことを了解しているけれど、小説もまた読みながら感覚が運動する現前性なのだから言葉で伝えることはできない。
批評家・評論家・書評家の仕事は「読む」ことだと思われているがそれは間違いで、彼ら彼女らの仕事は「書く」ことだ。音楽や絵を語るのと同じように、彼ら彼女らは書くものが、自分が読んだ小説と別物であることを承知で、それについて仕事として「書く」。
「読むだけでは仕事にならないじゃないか」と言う人がいるかもしれないが、仕事にしないで「読む」人がいる。読者とはそういう人たちのことだ。批評家・評論家・書評家は、書くことを前提にして読むから、読者として読んだと言えるかどうか疑わしい。書くことを仕事としない読者でも、最近はインターネットで自分だけの書評のサイトを持ったりすることもできるから、その人たちがどこまで読者として読んでいるかもまた疑わしい。書くことが念頭にある場合、ブーレーズの引用にある「仮想」「想像」「回顧」が働きやすく、読みながら現前していることへの注意が弱くなる可能性が考えられる。
と、そういうようなことをここ2、3年私は考えるようになっていたのだが、それが特に強くなったのは、一昨年(2002年)の年末に、川島清という現代彫刻家の作品を見たときからだった。

「わからない」「わからない」で始まった

川島さん(1951年生まれ)と私(1956年生まれ)は、1984年か85年に、セゾン美術館の学芸員を介して一度会ったことがあり、そのとき川島さんと私は酒を飲みながら朝までなんだかやたらと言い争いをした。
その時点で私は川島さんの作品を見ていないし、私がその後小説家になるなんて川島さんは思っていないから、お互いがお互いのやってることも考えていることもわからないまま、美術や小説についてのお互いの評価のくい違いや、美術が国や企業から助成金を受けることや、なまいきなことばっかり言ってるくせに会社勤めをしていることなどについて(たぶん)、言い争いをしたわけだが、「川島清」という名前だけは忘れていなくて、2002年の12月に新聞に彼の個展の評が載っているのを見つけて、そこに書いてあった住所を頼りに、恵比寿のギャラリーに行った。
会場には私しかいなくて、「ベンチ」と題された大きな作品が一階に一つと、もう一つ「Observation 43」と題された大きな作品が地下一階に一つ。他に壁に張られた大きなキャンバスに描かれた彫刻と同質の作品(川島さん本人はそれらのことも「彫刻」と呼んでいる)が二点か三点と、小さな彫刻がいくつか。
彫刻といっても左に掲出した写真のような作品で、古くなった太い材木に鉄板や鉛で作られた何かが貼り付け(?)られたりしたもので、ギリシャ彫刻やジャコメッティのように形に収斂させられたものではない。
私は「わからない」「わからない」と思いながら、3、4メートルの長さのある材木のまわりをぐるぐる回り、縦から見たり、横から見たり、屈んで作品と同じ目の高さになって見たり、また立ち上がって見たりして、一階と地下にあった大きな作品———こちらは鉄板や鉛板が十何枚、屋根の稜線のように∧こんな風に重ねられたもの———をそれぞれ20分ぐらいそんな風にして見ているあいだに、「わからない」という言葉や感想と関係なく、いろいろな風にして見ることがおもしろくなったような気分で、しかしギャラリーを出て家までの帰りにも見たものをずうっと考えつづけることになるのだが、そのうちに「わかるしとか「わからない」ではないんじゃないかと感じるようになっていた。
美術館で開かれた川島清の展覧会のカタログとか川島清にかぎらない他の誰のカタログでも、そこに掲載されている解説はたいてい、「川島清の作品はいつも<記憶>をめぐって造型される」というように、「わかっていること」ないし、その手掛りから書かれる。しかし私には川島さんの彫刻をそのように言葉にすることが全然できなかった。
しかし言葉にすることはできなくても、畳一枚分くらいある作品のまわりを回りながら、いろいろな角度で見ているあいだ私はまったく退屈しなかった。「おもしろい」と単純に言えるかどうかわからないけれど、とにかくまったく退屈しないで、いろいろな角度から見て、その見ることにとても熱心になっていた。
解説を書いた人がいきなり川島作品を理解したということは想像しにくいことで、川島さんの発言を頼りに言葉(概念・主題など)から理解したのでないかぎり、その人も「わからない」状態にしばらくとどまって、それから受容していっただろう。しかし同時に、「わからない」の段階のときに、「クソだ」とか「センスが悪い」とは感じさせない何かがあったはずで、作品との関係はそこからはじまっている。
バルトークの弦楽四重奏曲とブルックナーの交響曲を私は好きでこれまでに何度聴いたか数えられないが、全体の構成はいまだにまったく理解していない。バルトークでもブルックナーでも演奏の好き嫌いは厳然とあって、たとえばヴァント指揮のブルックナーは全然いいと思わない。余談だが、ブルックナーを好きではなかったという音楽評論家が、ヴァント指揮のブルックナーに出会って、はじめてブルックナーの良さを知ることができたと書いているのを読んで、私はきっと確かにブルックナーを好きなのだろうと思った(ブルックナーの良さがわかっていなかった人がいいと思った演奏なんかいいわけないじゃないか———ということだ)。
「わかる」「わからない」ではなくて、何度でも聴くことがその音楽を好きだということの実践であるはずで、それを彫刻にあてはめれば、彫刻のまわりを歩き回っていろいろな風に見て、そうしていることに少しも退屈しないということは、それだけでじゅうぶん作品に対する評価になるのではないか。

能動的な受容

「それに出会った瞬間、私は何かで脳天をかち割られたような衝撃を受けた」という類の、「感動」にまつわるエピソードがいろいろあって、それを否定するつもりはないけれど、作品と受け手との関係はそのような圧倒的な、作品=能動、受け手=受動という関係だけに尽きるのではなく、受け手であるこちら側に「見る」という能動を強いる作品もある。
そうはいっても、川島清の彫刻は静かで弱いようなものではなくて、木や鉄や鉛やセメントの素材としての物質性は何も隠されていなくて、むしろすべてがあまりに剥き出しになっているようでもあるのだが、そのように言葉で伝えたり、(伝えるのでなくただ自分自身のために)言葉によって受容したりすることが、もうすでに自分の目が見ていることと解離するような気がしてくる。
素材の木や鉄や鉛やセメントはどれも新しいものではなくて何年か屋外で雨ざらし日ざらしにあったような外観をしている。見ながらそれを感じるということは、私がただ視覚を使っているのではなくて、時間的なものを計測する言語も使っているということでもあるが、しかしそれら言語的な要素もつねに動員しているのが視覚という機能でもある。視覚には「机」「猫」「雲」というストックがいろいろあって、いちいちゼロの状態から細部の情報を組み上げて「机」や「猫」に辿りつくわけではないからだ。
ついでに言うと、いま私は川島清の彫刻を読者に少しは伝えるために、写真を出したり、素材を並べたり、それを少しばかり形容したりしたけれど、小説の中でその彫刻を出す必要があったら、もっときちんと描写したり、私の中で起こった受容にともなう変化を書いたり、とにかくもっとずっと言葉を費やしただろう。しかしいま私はそういう小説モードに入っていないために、通り一遍の伝え方しかできない。読者や川島さんに申し訳ないが、そのような作業はすごく労力がいるためにいまここで突然はじめることはできない。
小説みたいに、小説風に、ていねいに彫刻を描写したり、そのときのこちらの気持ちの変化を書くことはできなくはないけれど、本当に小説の中で川島清の作品を出したら、どう書くかはそのときになってみないとわからないのだから、ただ「小説みたいに」書いてみても仕方ない。
話をもどして、一昨年の12月に川島さんの個展に行き入口のノートに名前と住所を書いておいたら、川島さんも私のことを憶えていて、去年の7月に京橋の「東京ユマニテ」というギャラリーで個展をやったときに案内がきた。
そこで私は川島さんとかれこれ20年ぶりにゆっくり話をしたのだが、川島さんの記憶によると、はじめて会ったあと、私は少なくとも1回、もしかしたら2回、川島さんの彫刻を見に展覧会に行っているらしい。
私は記憶力はいい方で、相手が忘れていることでもたいてい憶えているのだが、川島さんの彫刻を見た記憶は完全に抜け落ちている。しかし言われてみれば、一昨年に恵比寿のギャラリーで見たときも似たタイプの作品を見た気がしていた。しかし川島さんは「似たタイプのものはないよ」と言う。それならやっぱり私は見たのだろう。「わからない」という気持ち(つまり「わかろう」とする気持ち)にとらわれすぎて、記憶をどこにも定着させることができなかった、ということなのかもしれない。
川島さんに会って、私はその「わからない」の話をした。評論家や解説者は「わかる」ことから書きはじめてしまうけれど、わからないことからはじめることが大事なんじゃないかということだ。
そこでまた二人でだいぶ話をしたのだが、それがきっかけとなって、この3月に同じ東京ユマニテで開く個展のカタログのために川島さんと私で対談をすることになった。12月末と1月はじめの二日かけて、400字に換算して100枚ぐらいの対談をした。その対談の冒頭で私はチェーホフの『子どもたち』の話をしている。つまり私は昨年末からずっと、先月と今月書いたようなことばかり考えていたということだ。そして対談はほとんど「見る」ことに費やされた。———と言いたいところだが、印刷物となると思うと二人ともたぶん、「見ることの話ばっかりでもなあ……」という気持ちが働いて、「見る」ことの話は半分ぐらいに抑えられてはいる。二人とも対談のプロではないから、完成したときの印象とそれを想定してしゃべっているその想定とが合致しない。が、二日かけた対談はそれなりに充実しているので関心のある人は会場に行ってカタログを読んでほしい。
対談の中で川島さんは彫刻と絵の違いについてもしゃべっている。絵は俯瞰だが、彫刻はそうではないという話だ。彫刻は一望することができず、まわりを一周しなければならない。彫刻を見るということは自分がまわりを歩く、つまり自分が運動するということだ。あるひとつの彫刻が何をあらわそうとしているのか、ということに先立って、そういう指摘だけですでにじゅうぶんおもしろい。
彫刻でも絵でも音楽でも芝居でも、わざわざその会場に足を運ぶということもまた、それを見たり聞いたりする行為の一部に含まれていて、その帰り道はふだんと違うものになっている。そういうこともまたおもしろい。
これもまたカタログの対談でしゃべったことだが、『彼女について私が知っている二、三の事柄』の撮影で主演の女優から演技プランについて訊かれてゴダールは、「あなたはいまパリから10キロのところに住んでいる。私があなたにしてほしいのは、家から現場まで毎日ずっと歩いてきてくれることだ。それだけなんだ」と答えたと、『映画史』の中で語っている。
ロバート・デ・ニーロは古典的な俳優で、自分の役を(ひとに導かれながら)稽古して、そのうえで演じるという方法をとるのだが、ゴダールはそうではなくて、映画の舞台であり題材であり主題でもあったパリについて考えるように、俳優にただ歩いてくることだけを要求した。
話が横へ横ヘズレてしまったみたいだが、遠く響き合っていることは感じてもらえるだろう。