視線の運動(『小説の自由』3)

課業と化した読書

先月、〈私〉と作品世界の関係を「〈私〉の濃度」という言い方で書いたのだが、小説における〈私〉のことを考え、そのついでに里見_、広津和郎、志賀直哉の文章を読んでみたりすると、その自然な流れで、私小説の〈私〉はどうなっているのか?という気持ちになって、先月この三人の文章を取り上げるにあたって図書館から借りてきた「現代日本文學大系」(筑摩書房)が近所の、歩いて10分のところにある古本屋の店頭のワゴンで売られていないかと思って行ってみたら、またごっそりと、どれも一冊百円で売られていたので、おもに私小説作家の巻を中心にして七冊まとめて買ってきたのだったが……。

ぱらぱらぱらぱらとページをめくりながら、数日あちこち拾い読みしているうちにだんだん気が重くなってきて、そのうちに、文学史に義理立てして小説について考えるのがこの連載の趣旨ではなかったことに気がついた。三島由紀夫の作品世界を成立させている押しつけがましい〈私〉がどこから生まれてきたのかということや、三島由紀夫の〈私〉が現在の日本の小説の〈私〉のあり方にやはりかなり影響しているらしいことや、私小説の〈私〉は三島由紀夫の〈私〉のようには押しつけがましいものではなかったのではないか、というようなことは、この連載でいずれ話題にする可能性が高いとは思うのだが、いまはその話題に入るときではない。
前段落で「だんだん気が重くなってきて」と書いたのは、私小説やかつての日本文学が暗かったからではない。自分が何かを論じようとするための材料として小説を読むことの、一種の不毛さによって気が重くなったのだ。私は時評や書評委員の類をいままでやったことがなくて、書評や文庫本の解説も年に数本するだけで、基本的に、読みたいときに読みたい本しか読まず、読みかけの本でも飽きるとそこで簡単に投げ出してしまう。一見じつに不謹慎な読み方だが、本当は反対で本に対して敬意を払っているからだ。何らかの面白さやいわくいいがたさをそこに感じることのできない本を最後まで読み通すくらい本を馬鹿にした話はないだろう。課業と化してしまった読書は、その本に対して一種の蔑視を生み出す。
この一ヵ月はちょうど新聞や雑誌で2003年の年間回顧や総括があり、年末でなくても月々の文芸時評が新聞で書かれるけれど、年間回顧や時評の中で一つないし二、三の文脈によって作品が配置されてしまうのは、たぶん評者の側に課業と化した読書による作品蔑視があるからだ。サラリーマンは課業のかたまりのように思われているが、月に何冊も本を読むことが仕事になってしまったらそれもまた同程度の課業であり、課業にどっぷりつかっている自分自身への蔑視というかうんざり感が課業の対象であるところの本への蔑視や攻撃へと転化するということだろうと思う。
一つの小説を読むときに、その小説の固有の面白さやいわくいいがたさ(説明のつかない面白さ)を発見できないかぎり、その小説は型や時代・社会の傾向の産物にしかならない。ではいまどれだけの読者が純粋にいま自分が読んでいる小説の固有の面白さを発見しているのか、ということになるとまた話は混み入ってきて、これはこれで別にまた一回か二回は必要になるのだが、小説について考えるときに、固有の面白さ(というより、いわくいいがたさ)を忘れては絶対にいけない。それを忘れてしまったら、小説を語ることではなく、時代や社会を語ることにしかならない。———つまり、逆の言い方をすると、小説を総括的な視点から語る人は、小説に関心があるのではなく、時代や社会や、その関数としての個人に関心があるということで、せめてそのことに評者本人がもっと自覚的であってほしい。
そういうわけで、私小説における〈私〉を私が調べるのはかなり時間がかかる。私たちはもう私小説というものがどういうものなのかを知らない。私の『カンバセイション・ピース』について、アマゾンの、誰でも投稿できるブックレビューで、
「夏目漱石風というのか、昔風の私小説です」
というのがあって、たぶんこの人は夏目漱石のことも私小説だと思っているわけだが、程度の差はあっても、前回書いたとおり、里見_が有島武郎の弟であることも知らなかった私もまた、私小説が本当のところどういうものであったのかをわかっていない。そこで問題にされていたのは本当に〈私〉だったのか。「私を見て」「私はこんな生い立ちで、こんな苦労をした」「私はこんなに傷つきやすい」という小説がいまさかんに書かれているが、それらがたんに私小説の現代バージョンと見なしてすむものなのか、むしろ三島由紀夫の〈私〉から生まれてきたものなのではないか、ということはしばらくは予想のまま置かれておくことになる。
が、問題なのは三島由紀夫でなく、〈私〉と作品世界の関係の方だ。これを考えていけば、結局のところ、私小説も三島由紀夫も考えなくていいことになるのではないか、とも思う。ということまでは脇道で、本題は次からだ。

文章のわかりやすさとわかりにくさ

小説とは、「私とは何か」「私がどういうもので成り立っているのか」「私がどういう世界にいるのか」という、それらの問いをテーマとして書く表現形態ではない。
テーマとして書きたければ書いてもかまわないが、それに先立って、あるいはその基盤として、〈私〉にかかわる問いがすでにディスクールに埋め込まれているのが小説だ。
と、断定的に書いたけれど、このことを実際に書かれた小説を読みながら証拠立てる  ——ないし、発見する———ことは簡単ではない。前回書いた三島由紀夫の「木の種類はわからないが、亭々として、梢の葉叢を悲壮に風になびかせている」「野のひろがりはかなたに微光を放ち、手前には荒れた草々がひれ伏している」(『春の雪』)というような書き方に〈私〉(〈私〉の介入)を発見するのは簡単だけれど、もう一つ引用した内田百_の『花火』の中の私はただその情景の中にいるだけで、私=筆者が問題にしている〈私〉がそこにいるとはいいがたい。
この問題をこのままストイックに考えていても煮詰まって変に極端なことを言い出すのがオチなので、別の文章を見てみることにする。一つ目はチェーホフの短篇『子どもたち』(松下裕訳)の冒頭の段落だ。

パパもママもナージャおばさんも留守でいない。みんなは、灰いろのお馬に乗って行き来するあの年とった将校のところの洗礼式に出かけている。その帰りを待ちながら、グリーシャ、アーニャ、アリョーシャ、ソーニャ、それに料理女の息子のアンドレイが、食堂のテーブルにむかってロトー遊びをしている。ほんとうはもう寝る時間なのだ。けれどもママから、洗礼を受けたのはどんな赤ん坊だったか、どんなごちそうが出たかなどを聞かないうちは、どうして寝られよう。吊りランプに照らされたテーブルは、数字、くるみのから殻、紙きれ、ガラスのかけらなどで斑模様になっている。遊びをしているそれぞれの子どもたちのまえには、数字札(ふだ)が二枚ずつ、その数字を隠すためのガラスのかけらがひと山ずつ置いてある。テーブルのまんなかには、一コペイカ銅貨の五枚のった小皿が白く見える。小皿のそばには、食べかけのりんご、はさみ、それにくるみの殻を入れるための深皿が置いてある。子どもたちは賭けごとをしている。賭けきん金は一コペイカ。ずるをしたら、すぐ仲間はずれにされる約束だ。食堂には、ほかには誰もいない。乳母のアガーフィヤ・イワノーヴナは階下の台所にすわって、料理女にきじ生地の裁ちかたを教えているし、いちばん上の兄の中学五年生ワーシャは、客間のソファに寝ころがって退屈している。

両親たちの留守に子どもたちが少しのお金を賭けてゲームをしている情景の説明だ。この文章を読んだ最初の感想は、「わかりづらい」ないし「なかなか頭に入らない」ではないだろうか。思想書のような難しいことはひとつも書かれていないけれどなかなか頭に入ってこない。
いきなり人物名が列挙されていて、次にテーブルの上にある物が書き並べられているという要素の多さがこの文章のわかりづらさの原因で、これを理解(?)するには読みながら、読者の側で、イメージを作り出していかなければならない。三島由紀夫の文章にはこのようなわかりづらさはない。『春の雪』冒頭の、日露戦争戦死者の弔祭の写真の中の情景もまた、映像を文字に置き換えたものだけれど、読みながら自然に理解していくことができた。これもまた前回の引用になるが(今月だけ読む人には心苦しいのだが)、志賀直哉『暗夜行路』の「第二」の冒頭の、船が港を離れていくシーンなどは、それが情景描写であることを気づかせないくらい自然に、抵抗なく入ってくる。
前回私は志賀直哉の情景描写について、このまま映像に置き換えられそうな文章だが、しかしこれは逆で、私たち自身がふだん文章を読むように映画を見ているということなのではないか、ということを書いておいたが、もうひとつ考えられるのは、〔文章として完成されているためにわかったつもりになりやすい〕ということもあるのではないか。
イアン・ロバートソン著『マインズ・アイ』という本にこういうことが書かれている。まずは、次に書いた二つの文章を黙読して、それに要する時間を計ってみる。

(1)先頭を行く牛が落としたばかりの、まだ湯気が立っている糞に肢を取られながら、乳房を重たい鐘のように揺らして牛の群が歩いていた。牛の息が静かな霜の降りた空気に立ちのぼり、昇る朝日のりんとした輪郭をかすませた。最後の牛が、肢の間に突進してきた茶色のねずみを蹴り上げた。

(2)比較的やせた高地の方が、牧羊は盛んだった。だが、牧羊の収益は徐々に薄くなり、牧草地も次第に野生の状態に戻りつつあった。隣町からやって来る訪問客は喜んだが、牧羊で生計をたてる農家にしてみれば、これは悲劇以外の何ものでもなかった。

この二つの文章を読むのに、イメージで考えるタイプの人は(1)を読む方に時間がかかり、言葉で考えるタイプの人では、同じか(1)の方がやや早く読める。また、イメージで考える人の場合、言葉で考える人と比べて文章を読むのに、2〜3割余計に時間がかかる。———というのだ。

この、「イメージで考える」「言葉で考える」という二分法は乱暴ではあるけれど、文章という文字だけで書かれたものを読むときに、映像かそれに類するものを自分で出力させながら読む傾向のある人とそうでない人という風に考えると、チェーホフ『子どもたち』と三島・志賀の文章の違いがわかりやすくなると思う。
ここで注意してほしいことは、読みながら映像やイメージを出力させるタイプの人は、情景描写を読むときに余計に時間がかかるということだ。私が強調したいのは、つまり、映像やイメージをあまり出力させないタイプの人は、情景描写を読むときに、不馴れな映像を出力させなければならないから時間が余計にかかってしまうのではなく、不馴れなものは出力させない———そんな手間はいちいちかけない———ということだ。
そこで「いい文章」という規範を考えてみるとどうなるか。「いい文章」とは、(1)イメージ寄りの読者にとっては、情景描写の箇所になっても、他のところとだいたい同じ速度でひっかかりなく読める文章ということで、(2)言葉寄りの読者にとっては、情景をいちいち映像として出力させなくても困らない文章ということになる。———いや、ここはやっぱり前言を翻して『暗夜行路』の該当部分を読んでみないことには話が進まないと思うので、もう一度引用することにする。

彼は又甲板へ出て行った。案(おもい)の外、船は進んでいて、もう人々の顔は分らなかった。然し群集を離れて、左の方に二人立っている、それがそうらしかった。つぼめた日傘を斜にかざしているのはお栄に違いなかった。彼は手を挙げて見た。直ぐむこう彼方でも応じた。宮本が大業に帽子を振ると、お栄も一緒に日傘を細かく動かしていた。顔が見えないと謙作も気軽な気持でハンケチが振れた。そして船が石堤の間へかかる頃には二人の姿も全く見えなくなった。薄い霧だか烟(けむり)だか港一杯に拡がっていて、船が進むにつれ、陸の方は段々ぼんやりと霞んで行った。そして一寸傍見(わきみ)をしても今出て来た岸壁を彼は見失った。艦尾にミノタワと書いた英国の軍艦が烟突(えんとつ)から僅ばかりの烟をたてながら海底に根を張っているかのようにどっしりと海面に置かれてあった。其側を通る頃はもう、岸壁に添うて建並んだ、大きな赤煉瓦の建物さえ見えなくなった。
彼は今は一人船尾の手すりにもたれながら、推進機にかき廻され、押しやられる水をぼんやり眺めていた。それが冴えて非常に美しい色に見えた。そして彼は先刻(さっき)自分達の通って来た、レールの縦横に敷かれた石畳の広場を帰って行くお栄と宮本の姿を漠然と想い浮べていた。

これは情景描写ではあるけれど、注意して読んでみると、すべて時系列に沿って書かれている。
情景とは視覚であって、視覚は一挙的・並列的であるために、文字という順次的・直列的表現で再現するときに、書く方はもちろんのこと読む方も手間がかかることになるわけだが、ここでは情景という視覚がほとんどすべて動作に置き換えられている。傍点を打った(ウェブ上では傍点は消えています)「手を挙げて〜彼方でも応じた〜帽子を振る、一緒に日傘を細かく動かしていた〜ハンケチが振れた」という動作を追えば、文章の大意がわかるようにできている。
それからもうひとつ、これはちょっと乱暴な意見であって、私も固執するつもりはないけれど、「もう人々の顔は分らなかった」と、はじめに視覚が機能しなくなったことを提示してあって、一連の動作のあとに、再び「二人の姿も全く見えなくなった」と、視覚の機能不全が一段と進んだことを示して、陸の方は「段々ぼんやりと霞んで行」き、次に「岸壁を見失」い、建物さえ「見えなくな」る。
「二人の姿」が見えなくなったあとは、陸の方が見えなくなっていくことにだけ着目すれば読みの妨げにならない。主人公に見えないものを読者が見えている必要はないのだから、読者は安心して見えないまま読み進めることができる。
「わかる/わからない」という言葉の意味には浅いか深いかだけでなく、いろいろな様相の「わかり方」の質があって、これはこれでまたいずれ触れるつもりだが、小説の文章を読むときの「わかる/わからない(わかりづらい)」は、まず「気にならずに読める」程度の意味であって、「わからない(わかりづらい)」という気分を読者に起こさせないほど、「いい文章」と言えるだろう。志賀直哉の文章が「いい文章」であったということは、彼自身にも自負があったようだし、つき合いのあった編集者のエッセイなどでも知ることができる。
引用部分は、「別れ」を書いているのであって、遠ざかる港の風景を書いているわけではない。段落ひとつ分「別れ」がつづき、次の段落の最後「お栄と宮本の姿を漠然と想い浮べていた」で「別れ」が完成する。「ミノタワ」という軍艦はあくまでも端役であって、そこには注意を残す必要はない。———つまり文章の中の主線と周辺の違いがはっきりしていて、読者は主線だけ押さえて読めば意味をとることができる。しかし、読者は、港の風景も側にいた軍艦のことも全然読まなかったわけではなく、それなりに(少しぐらいは)「何か読んだな」と感じてもいて、それはそれで時間の経過なり何なりを醸し出す役割を果たしてもいる。271ページで私が傍点を打った「文章として完成されているためにわかったつもりになりやすい」というのは、だいたいこういうようなことだ。
もっといってしまえば、文章としてなめらかでさえあれば、たいていの読者は内容の誤りに気がつかないということもあるのだが、そういう詐欺まがいの完成のさせ方は、さすがに志賀直哉には見られない(と思う)。———このただ文章としてのなめらかさによる完成もしかしまた、人間の認識には大事な役割を果たしているので、いずれ触れる「わかる/わからない」のときに、もう一度考える予定だ。

異物としての情景描写

三島由紀夫の「人間化」された情景描写や『暗夜行路』のなめらかで違和感のない情景描写に対して、チェーホフ『子どもたち』の情景描写はほとんど異物のように入ってくる。これは冒頭で、新しい要素が一挙に飛び込んでくるからそうなっているわけではなくて、この短篇全体を貫いている。たとえばこういう箇所———。

「そうすると、僕、もうやれないや」と彼(アンドレイ)は声を落として言う。
「どうして」
「どうしてって……僕、もうお金がないんだもの」
「お金がなけりゃ駄目だ!」とグリーシャが言う。
アンドレイは、念のためもう一度ポケットを探ってみる。バンくずと歯形だらけのちびた鉛筆のほかにはなんにも見つからないので、口をゆがめて、つらそうにまばたきしはじめる。いまにも泣きだしそう……。
「あたしがかわって賭けたげる!」と、ソーニャが、彼の受難者のような目つきを見かねて言う。「でも、きっとあとで返してよ」
お金が賭けられて、ゲームがつづけられる。
「どこかで鐘が鳴ってるみたい」とアーニャが眼をみはって言う。
みんなは手を休め、ぽかんと口をあけて、暗い窓を見つめる。闇のむこうにランプのひ灯がちらちら映っている。
「そんな気がしただけさ」
「よる鐘を鳴らすのは墓場だけだよ……」とアンドレイが言う。
「どうして墓場で鳴らすの」
「教会へ盗賊がはいらないようにさ。盗賊は鐘の音がこわいんだ」
「じゃあ何のために盗賊は教会にはいるの」とソーニャ。
「きまってるじゃないか、番人たちを殺すためさ!」
みんなが黙って一分ほどが過ぎる。たがいに顔を見あわせ、身ぶるいして、ゲームをつづける。こんどはアンドレイが勝つ。
「こいつ、ずるした」と、アリョーシャが太い声で出まかせを言う。
「うそだい、僕、ずるなんかするもんか!」
アンドレイは青ざめて口をゆがめ、アリョーシャの頭をぴしゃり! アリョーシャはぐっとにらみつけると、とびあがりざまテーブルに片ひざついて、しかえしに———アンドレイの頬をぴしゃり! ふたりはもう一つずつ頬を張りあって、泣きわめく。こわくなってソーニャも泣きだし、食堂はいろんな泣きわめく声でいっぱいになる。けれども、これしきのことでゲームはおしまいと思ってはならない。五分もたたぬうちに、子どもたちはまたキャッキャッと笑いあい、なかよく話しあっている。涙に顔は濡れていても、そんなことは笑うさまたげにはならない。アリョーシャはむしろしあわせなくらいだ———いざこざがあったのだから!

『子どもたち』は全篇を通して、グリーシャ、アーニャ、ソーニャ、アリョーシャ、アンドレイという五人の子どもがゲームをしている話だけれど、ゲームが主線になっているわけではなく、『暗夜行路』での主線と周辺という分け方で読んだら、ほとんど何も頭に残らないし、面白味もどこにも見つけられない。
この小説を楽しむためには、五人の子どもたちがそのときどきに何をしていて、何を見て、何を聞いて、何を感じ、何を言うのかに、いちいちそのつど焦点を切り換える必要がある。
さきほど書いたように、文字で書かれる文章というのは順次的・直列的であって、物理的な形からいったら、『暗夜行路』と『子どもたち』には———「最後の晩餐」と水墨による山水画のようには———違いはないのにもかかわらず、読むときの印象はまるっきり違っている。大げさな言い方をすると、『子どもたち』では、書かれた文字を起点にして、こちらの注意が四方八方に飛び散るような気がする。
私はここに小説という表現の真骨頂があると思う。小説とはまず、作者や主人公の意見を開陳することではなく、視線の運動、感覚の運動を文字によって作り出すことなのだ。作者の意見・思想・感慨の類はどうなるのかといえば、その運動の中にある。このことはいつかは証明しなければならないのかもしれないが、いまはまず、作者の意見も思想も感慨も運動の中にあるという直観的な言い方しか私にはできないが、とにかくこれは書いておく必要がある。
この視線の運動、感覚の運動の例をもうひとつ出す。次は、ジョイス『ダブリンの市民』の最後に置かれた中篇『死者たち』(高松雄一訳)の、前半のパーティの場面の一節だ。

ゲイブリエルとミス・デイリーが鵞鳥の皿と、燻製豚肉と薬味いり牛肉の皿とをとりかえているうちに、リリーが熱い粉ふきじゃがいもを白いナプキンにくるみ、皿にのせて、客から客へ持ちまわった。これはメアリ・ジェインの思いつきだ。彼女は鵞鳥に林檎ソースをかけてはどうかしらとも言ったけれど、ケイト叔母が林檎ソースなしのただの鵞鳥の焼き肉だって結構おいしく食べてきたのに、これ以上口がおごってはこまります、と言ったのである。メアリ・ジェインは生徒たちの世話をして、いちばんいいところがいくように気をくばった。ケイト叔母とジューリア叔母は紳士のためにスタウトとエールの栓をぬき、婦人のために炭酸水の栓をぬいて、ピアノのうえから運んできた。混乱と、笑いと、騒音が———注文と取消しの、ナイフとフォークの、コルクとガラス栓の騒音がふんだんにふりまかれた。ゲイブリエルは最初のひとまわりがおわると、自分のは取らずに、すぐ二回目の分を切りはじめた。みんなが大声で抗議するので、彼は妥協のしるしにスタウトをぐうっとひと飲みした。肉を切るのは大仕事なのだ。メアリ・ジェインはそっと食事の席についた。しかし、ケイト叔母とジューリア叔母はいつまでもテーブルのまわりをよちよち歩きまわり、たがいにあとを追いかけたり、ぶつかったり、聞きもしない命令を出しあったりした。ミスタ・ブラウンが二人に坐って食事をするよう頼みこんだ。ゲイブリエルも口をそえた。しかし、二人が時間はたっぷりあると言いはるので、とうとうフレディ・マリンズが立ちあがってケイト叔母をつかまえ、一同の笑いさざめくなかで、椅子にどしんと坐らせた。

このように騒がしいパーティから帰ったあと、夜明けに雪が降りつづける外の景色を見ながら、ゲイブリエルは妻から聞かされた、妻が十代のときに愛したマイケル・フェアリーのことを思い、いま外で降っている雪が、暗い中部平原にも、木々のない丘にも、アレンの沼地にも、シャノンの河波にも降り、マイケル・フェアリーが埋められている丘の上のさびしい教会墓地にも降っている……という感慨深いラストヘと到ることになる。
前半のパーティの動きの多さと、後半というかラストの静かさが対比をなす構成になっているわけで、パーティの部分があるからラストの静かさが際立つというような言い方もできるかもしれないけれど、それでは静かなところでの感慨が主でパーティの動きや騒がしさが従になってしまう。
この考え方に立つと、ラストの感慨を作り出すために前半のパーティの場面が用意されたということになってしまうが、そうではなくて、ラストの感慨に触れたあともパーティの場面で綿密に書き込まれた視線の運動、感覚の運動は生きつづけている。文章に書く・文章を読むということは、予定調和的な主−従、強−弱をつけることではなくて、どの部分にもそれぞれの記述に見合った注意力を働かせることで、そうでなければ作品それ自体が、書く前に持っていた作者の意図をこえて語り出さない。

わたしに先行する視線

『子どもたち』や『死者たち』と同質(あるいは「同じ方向」)の書き方をしている日本の小説家は多くはないけれど、まったくいないわけではない。たとえば次に引用する柴崎友香『青空感傷ツアー』はそういう書き方だ。前回の終わりに書いた取り上げそこなった若い小説家というのは柴崎友香のことだ。
彼女は1999年デビューで、最近『きょうのできごと』という最初の本(この小説も基本的に同じ書き方によって書かれている。関心のある人は近々刊行される文庫に私が解説を書いているので読んでみてほしい)が行定勲によって映画化されたので、「映画化された」ということで少し話題になっているが、小説そのものは注目されたことがなかった。しかしそれは、「〈私〉が何をした」「〈私〉とはどういう人間だ」という、〈私〉中心の読み方しかされなかったからで、現状での小説の読まれ方の貧弱さを示すものでしかない。
引用ははじまって間もない箇所で、「わたし」(女)が音生(ねお)という女友達と新幹線の15号車の座席番号18Dと18E、つまり一番うしろの車輌の一番うしろの席にすわって大阪に帰るところ。音生は彼氏に浮気されてむしゃくしゃしていて、悪態をつきつづけているが、音生が一瞬黙ったときには、18A席の若い男が打つノートパソコンのキーボードの音が聞こえるほど車内は静かだ。浮気相手の女が持っていた「お決まり」のルイ・ヴィトンのモノグラムの鞄にもその悪口は及んだ。
周りにルイ・ヴィトンのモノグラムを持っている人がいないか、窺ってみた。すぐ隣のおじさんの背広の内ポケットからそれらしい財布が覗いていたけれど、彼は口を開けて眠っていたのでほっとした。窓際の若い人は相変わらずキーボードを叩いていた。折角窓際なのになんで外を見いへんの、と言いたくなった。だけど、窓ガラスに映った自分もグレーのスーツを着ていることに気づいて、自分も彼らと同じ会社に勤めていると錯覚しそうになった。反対側の窓ガラスを見ると、鮮やかな赤いセーターにジーンズの音生の姿が、夜の暗さに浮かび上がっていた。スーツを着ていても学生に間違われるわたしより、音生は大人っぽく見えそうだけど、悪態ばかりついていても無邪気な女の子に見える瞬間もある。

〈わたし〉は視線の運動が作り出す空間の中を漂っていて、三島由紀夫のように見えるものを自分の側に引き寄せない。〈わたし〉は見る人で、見ることによって窓ガラスに映った自分のことも発見する。
この小説(190枚)はトルコ〜徳島の民宿〜石垣島と、〈わたし〉がわがままな音生の気まぐれに引きずりまわされる話だが、そういう展開はなかばこの導入部での視線の運動によって用意されている。〈わたし〉は音生のわがままぶりに嫌気がさすこともあるが、なんだかずうっとつき合わされてしまう。〈わたし〉はぶつぶつ文句は言うが行動として発揮するほどの主体性は示さない。「ありきたりな自分探し小説」というような寸評も発表時(「文藝2002年夏号)にはあったらしいが、完全な的外れで、この小説は自分を探しているのではなく、視線の運動によって小説(の将来)を探している。
イスタンブールのバザールの中を音生に引きずりまわされて、迷い子になりかける場面は緊迫する。この緊迫感も、ただ視線と音から作り出されている。部分の引用でどれだけ伝
わるか心許ないがとにかく引用してみる。

気まぐれに立ち止まったりわざわざ狭い路地を選ぶ音生のすぐ後ろを歩きながら、わたしは立ち並ぶ土産物屋や雑貨屋に目をやった。バザールの中では直線や直角を探すのは難しい。不規則に重なり合う路地もそうだし、屋根も灯りとりの小窓も店の中の天井も複雑なドーム型で、店の枠も微妙に台形だったり、柱の角が欠けていたりした。壁も床も台も、袋や食器やアクセサリーと何種類もの品物が隙間なく重なりあって埋め尽くす。その一つ一つに、植物や図形やアラビア文字をデザインした濃い色彩の装飾模様がびっしりと詰め込んである。じっと見ていると目がちらちらしてくる。物と物との境界線がわからなくなって、飾り皿の模様が虫みたいに動き回りそうに思えて、わたしは目を閉じて頭を振ってみた。
……(中略)……
そこは三方向からの人の波がぶつかり合って、他の場所よりも混雑していた。絨毯の束を肩に担いで器用に人波をすり抜けて歩くおじいさんや腕を高く上げてビデオカメラでバザールの様子を取ろうとしている白人の観光客や客引きに熱心な若い店番の男の人や、とにかくいろんな人がそれぞれの動きをしていた。どこかの店から、トルコ語らしい歌謡曲が流れてきた。明るいリズムだったけれど、歌声はモスクで聞いたコーランの朗読に似ていた。そう思ったとき、今まではバザールのものを見ることだけに精一杯だったけれど、周りの人の話し声や物音がいっぺんに耳に飛び込んできた。通路の両側から大声で話をしている男の子も、都会では珍しくチャドルで顔を覆ったおばさんたちも、話している言葉はわたしには意味がわからない。意味がわからないだけじゃなくて、どこからどこまでが一つの言葉なのかさえも窺い知れない、なにかの旋律みたいにしか聞こえない。

この〈わたし〉は、『金閣寺』の〈私〉のようにバザールに火をつけたりはしない。この〈わたし〉が視線に先行してはまったく存在せず、視線によってもたらされた〈私〉に完全になっているとまでは言いがたいし、この場面が『子どもたち』ほどに拡散的な視線の運動を作り出しているとも言いがたいけれど、方向としてはそういうものと言えると思う。
この視線の運動と〈私〉の主体性なり〈私〉の意志なりとは、同じ場所を占めることが難しい現象なのではないか。
「現象」という言葉は、それ自身が原因とはなりえない言葉で、〈私〉というものを指すときには不適当と感じる人もいるかもしれないけれど、〈私〉も〈私〉の主体性も〈私〉の意志も、すべて現象であり、小説には、本当の意味でそれに先行するもの(原因)はない、という認識が視線の運動の基盤にあるのではないか。