ちほちほさんの『みやこまちクロニクル』を読みながら、私は母の最晩年の変化をいちいち思い出した。
老人というのは、昨日まで当たり前にできていたことがある日突然できなくなる。「認知症」「老化」「介護度が上がる」……いろいろ言葉はあるのだろうが、同じ空間に生活している人間の実感としては、
「ある日突然できなくなる」に尽きる。
このマンガはそれを、リアルにというか、淡々とというか、誠実にというか、そのまま描いている。老いた親を目の当たりにする子どもの嘆きや悲しみや、いよいよ迫ってくる親との別れを大袈裟に脚色して語る作品は、世間にたくさんあるだろうが、それは当事者の実感ではない。そういう作品は、当事者ではなく介護を知らない人に向けて、啓発活動の風味も織り込んで、刺激=娯楽を優先させる。つまり結局エンタメだ。
しかし実際は、当事者は大袈裟に嘆いたりせず、もっと平静であり、どこか他人事でもある。
自分の記憶の中では溌溂としていた親がトイレの床をウンチだらけにしたり、ズボンの中に柔らかいウンチを漏らしたりする【「柔らかいウンチ」に傍点】。同じ空間にいる子どもは何を置いてもそれを片づけなければならないわけで、その作業の最中に、親の老いを嘆いたり、迫りくる死の影に怯えたりしている暇はない。
それにだいいち柔らかいウンチはまず、臭くて汚なくて始末しにくいという、きわめて厄介でリアルな物質であって、そのとことん美学的でない存在感と「老い」や「死」という抽象的でやや高尚な問題は、共存しにくい。
ウンチは、情緒や形而上学より強いーーそうなんだけど、汚ないに決まってるはずのウンチを、あまり汚ないと感じず作業最優先で掃除している自分の冷静さが、それはそれでまた面白かったり不思議だったりもして、しかし「死」の接近をまったく思わないわけはなく、子どもは沈黙の中で、内省の未体験ゾーンに入ってゆく……。
「未来」とかみんな気安く口にする。もっとも最近は、「未来」は若い人たちからも聞かなくなって、政治家だけが選挙のスローガンで「未来へ!」と唱えてる気がするんだが、老人こそ、まったく未来がない。
未来どころか、明日、あるいは半日先すら、あるかないかわからない。風呂に入ったら無事出てくるか、わからない。散歩に出ればちゃんと戻ってくるか、わからない。家の中で、ちょっと物を取ってくると部屋を出たときでさえ、ちゃんと戻ってくるかどうかわからないのが老人なのだ。
広い認識としてはそういうことなんだけど、まさか一日中、親をそういう気持ちで見ているわけにはいかない。子どもとしては「そうあってほしくない」という期待か油断もあるんだろうか、ぽっと心に空白ができる。しかしその時ちゃんと何かは起こる。
このマンガは、お父さんに何かが起こる前に前兆がない。作品として言うなら、「作られた予感」がない。問題は不意に起こる。作品らしく起伏をつけたいなら、作者は主人公の表情にほんの少しだけ不安な影をつけることもできるだろ。しかしそれは、現実でなくフィクションの側につくことになる。読者は影=予感(つまり予告)を見て、フィクションの流儀に則って緊張して、「さあ、何か起こるぞ」と緊張を楽しむ【「楽しむ」に傍点】。
作品をよくできたフィクションとして読む人たちは、事件や不幸を「楽しんでいる」のだ。エンタメ作品で読者は、
「残酷な真実を突きつけられた」
みたいな感想をしょっちゅう言ったり書いたりしているが、それらはどれも、「楽しみ」として加工されたフィクションであって、そこに当事者の実感はいない。作者はこのマンガで、当事者の実感(あるいは、実感の希薄さや実感することの難しさ)にこだわりつづけている。
このマンガは予感(予告)なく小事件が起こる。小事件であってもお父さんには致命傷だったかもしれないのだ。
予感も予告もないというこのマンガの世界がわかってくると、私は平穏無事な時間が描かれているコマにさえ緊張するようになった。八幡平に宿泊旅行する回がある。作者はまさかの大浴場にお父さんと入る。大きな風呂で柔らかいウンチを漏らしてしまったら、どういうことになるのか、作者はちゃんと考えたのだろうか? その顛末は、ネタバレになるので書かないことにするが、それはあまりに不用意でしょう! と、私は読みながらハラハラした。
無頓着……という言葉がいいのか、作者で主人公である息子だけでなく、日常生活が綱渡り状態のお父さんも、そこにいつも一緒にいるお母さんも、寄せては返す波のように次から次へと持ち上がる問題に、誰も動揺しない。
あるいは、これが東北の人のメンタリティなんだろうか……ページを閉じると、三人ともいつも笑みを浮かべている印象になる。実際は困った顔も怒った顔もある。でもやっぱり少ないか。ほとんどが優しい笑顔だ……というより、これは感謝の表情なんじゃないだろうか。
ゆっくりした思いをさせてもらえない、小事件の連続なのにもかかわらず、三人がこうして笑顔でいる。ありきたりなフィクションの流儀に流されず、作者ちほちほさんは作品全体を感謝の気持ちで包むような空気にした。読者の私は、この空気に包まれて温かい気持ちになっている。
深刻なのに温かい……深刻ゆえに温かい……
なんという深さだろう。作者に心からの賛辞を贈りたい。