『はだかのゆめ』パンフレットより

甫木元空『はだかのゆめ』パンフレットより転載。11月25日より渋谷・シネクイントにて公開ほか、全国順次ロードショー)


「こんな闇は見た憶えがない」

 開始早々の夜の線路の視界の狭さに一気に持っていかれた。この夜の線路は比喩的な意味はない。そういうことを考えたくさせないんだが、それ以上の力を持っていると感じさせられている。この映画全体を象徴していると言えばそうなのかもしれないが、その言い方は安易だ。私は期待を持たず、ただ線路と狭い光に浮かぶそのまわりを「こんな闇は見た憶えがない」と思いながら見ていたはずだ。
 この映画は接続詞で繋がれない。映画にも接続詞があったんだと、この映画を観ているうちに気がついた。
 映る場面の意味が他の映画みたいにわかりやすくない。接続詞がないというのはそういうこともあるんだろう。(そういえば、タイトルは「はだかのゆめ」だ。夢にも接続詞はない。)

 私は何か書かなければならないと思うから、映画を理解するように観てしまった(二回目)んだが、理解しようとすることで逆にこの映画から遠ざかってしまったようだ。「理解」するのは言語化することとほぼ同義で、しかしこの映画は言語化しようとすると拒まれる。
 二回目も最初に観たのと同じだったのは、祖父のいる風景や土地や空間だ。映画の前半、息子のまわりには映画的な何やらがぽつりぽつりと案外いろいろ起きる感じなんだが、祖父の姿、祖父の動き、祖父の向こうの山と山の手前の木、祖父の畑の、祖父の膝まで隠れる、私には名前がわからない育てている植物の葉(植物という言い方しかできない自分が嫌だ)、祖父の存在は自分がいる土地ととても親密で、そこには〈映画〉の作為が入り込む余地がない。もう本当にあの姿、あの光景、あの佇まいを映像化しただけでこの映画には感謝だ。映画の言語化が難しいように、現にいる人間を映像にするのは難しい。難しいというより他の人にはたぶんできない。
 理屈を言えば、この映画は、映画としての作為が入り込む余地がないことを映画自身が自分の時間の半分を費やして自覚するために足掻きをする。もっと理屈を言うなら、それが息子か監督か、あるいは母を撮る映画自身が、抗えないものが厳然としてあることを受け入れる内面の過程と並行しているのかもしれない(が、私はそこはわからない。そこはいま理屈で組み立ててみただけだ)。

 母の日記の場面でこの映画は一変した。母は大学ノートに日記を書いている。一日三行くらいだ。日付は10/5まで、たぶん毎日書きつづけている。10/6と書くはずなんだろう日に母は書くのをやめた。
 その時を境に、篝火みたいなのを焚く舟や相撲する大人を取り囲んだ頬かむりに目を描いた子供たちに類したものは出なくなる。ついに直面するのだが、それはこの土地の風景やこの土地の人である母や祖父の佇まいに抑え込まれて、土地の奥で静まりかえっているようだ。
 私はここから、映画がしたことをまさに言葉にしなければならないが、それはやめるべきだ。精神科医の中井久夫が、統合失調症は発症すればむしろ楽になれる。発症する前こそが本人にとって最も苦しい。全身に騒音が溢れて耐えがたい。ということを書いていた。これが言語とこの映画の回路になるだろう。
「発症」とはここで一番肝心の出来事が描かれなかった事を指すだけではない。映画が「発症」に擬せられる振る舞いをすることも指す。映画は映画自身としてカタルシスを求めて、激しい映像や強い音を出す。それで観る者を揺さぶれると思っているし、観る方も揺さぶられたいから映画を観るわけだから、映画と一緒に騒ぐ。しかしそれは映画が自分で踊っただけだ。
感情を「押し殺す」という言葉もこの映画には相応しくない。感情を押し殺す映画も、私はいくつも心当たりがあるし、感情を押し殺すのもまた、強さ、激しさ、つまり揺さぶる量的表現の変奏だ。
この映画は、それが土地と風景に、いわば還される。土地があり、土地に生きた人にはその土地がある。母は、「おるかよぉ?」と尋ねてきてお茶を飲んだ誰か私には特定できなかった人にたぶんそういう返事をした。
祖父にはそれはそのとおりだ。映画は祖父に降伏しつつもやはり、全面的にそうならない。息子もそうなれないし、私もそうなれない。そうなれたら、それもまたそのとき、フィクションに回収されてしまう。撮った監督自身がそのフィクションに回収されきれない。回収されていたら、そういう映画になっただろう。しかしそうではないのだ。
不在は何かに包まれると感じる。不在が何かに満たされるとも感じる。しかし不在というものを、そんなものはこの世界には本当はないんだと、元から否定する立場の作品ではない。フィクションに回収されないというのはそういう意味だ。
回収される方が楽になるし、サマにもなる。しかし不在はある。不在はきっとこれからも、あることをやめない。