「私とゴダール」(『新潮 』2022年12月号)

ゴダールは実際に何を観たか何を観てないかに関係ない、何も観てないもありうる、その名前だけを唱えていれば何か得るところがある概念のアイコンみたいな存在だったなと、死んだという記事からしばらくは思っていた。

「ゴダールいいですよね!」

「何が好き?」

「何も観てないです。」

 しかし、ゴダールで「何が好き?」という質問もおかしい。

「ゴダールのどこが好き?」という質問もたぶんない。

 ゴダールは、知ってるか知らないか、出会ったか出会ってないか。「知らない」「出会ってない」の場合、「ゴダールを知らないできた」「ゴダールに出会わないような生き方をしてきた」ということだから、たんに知らないとか出会ってないという話ではない。そういう作家は二十世紀後半ではもう、ゴダールだけだったんじゃないか。というか、後にも先にもそういう言い方があるのは、ゴダールだけかもしれない。好きか嫌いかは、そのずうっと後の話だ。だいぶ限定的だが、デレク・ベイリーだけはそういう人だ。

 一年くらい前だったか、BSで『勝手にしやがれ』をやって、久しぶりに見たら、つまらなくて複雑な気持ちになった。私はゴダールの名前を知って初めて『勝手にしやがれ』を一九七五年の春か夏にどこかの名画座で観たとき、本当に面白いと思ったのか、心配になった。

 その話を十歳年下の友人に春に話したら、

「あれは僕は最初からつまらなかったですよ。」

 と言った。その話のついでに一年前に母が死んだ話をして、母が一九三〇年生まれだったと言うと、

「ゴダールと同い年じゃないですか。クリント・イーストウッドとも同い年ということですよ。」

 と彼は言った。いや、この話の流れは順番が逆か。ともかく、母と同い年だと知り、マノエル・ド・オリヴェイラという例外はあるにしても、「ああ、そうか……」と感じてもいたが、ゴダールのことだから、まだしばらくは撮るんだろうと思ってもいた。ゴダールのことだから、体が動かなくなったら動かないなりの、もし目が見えなくなったら見えないなりの映画を撮るんだろうと感じていた。

 ということは、死んだら死んだなりの映画を撮るということか。私は最後の『イメージの本』とその二つ前の『ゴダール・ソシアリスム』を見そびれたくらいなので、死後制作の映画があっても、私は見そびれたで済んでしまうかもしれない。

『さらば、愛の言葉よ』は、自分が川縁りの草叢を歩く犬の気分になった。あの映画は、3D眼鏡を外して観ると色彩が他のどんな映画より鮮やかで、3D眼鏡でそれを曇らすのがもったいなくて、ゴダールはあの映画は、

「あなたはどっちを選ぶ?」

 と問いかけている気がした。型通りの3Dか、見たことのない強烈な色彩か。

『決別』の冒頭の、

「火は起こせませんが、祈りは唱えられます」

 が好きだ。祈りはあいにく叶えられる。叶う叶わないにかかわらず、ただ唱えてほしかった。

『カルメンという名の女』のトム・ウェイツの「ルビーズ・アームズ」が流れる場面は、私の『未明の闘争』の40章で丸々書き写した。

 あの場面、私は陰毛をいとおしがるのがたんに好きなだけなのかもしれない、と思って見直したら、あそこは陰毛ではなかった。性欲で胸が引きちぎれそうなひと晩は人生の真ん中にずうっとある。何度見てもそうだ。

 自分の一番、誠実で貪欲、だった時期に、『ヒア&ゼアこことよそ』と『ワン・プラス・ワン』をたぶん、だいたい同じ時期に観たことは、大きなことだった。あれを観たのと観てないのとでは、私の小説観や世界観はだいぶ違っていたはずだ。

 本の形で『映画史』を残してくれたのは嬉しい。『映画史』は私のバイブルだ。個人的なことを言うと、観光は戦争と同じだというのは、観光地鎌倉で育った私の感じそのままだった。観光地に普通の生活はない。他所から人がズカズカ入ってくる、戦利品を漁る、商店はすべて土産物屋になり、地元民にはコンビニしか残されてない。人は無神経に旅行の思い出を語る。

 きっとゴダールもどこかで言ってるだろうが、経済活動は人の生命の犠牲の上で展開される。コロナで籠っていた人たちは、補助金までもらって大喜びで旅行に出る。その同じ時刻に向こうでは戦争がつづいている。

 わざわざ「と」「and」「et」で繋がなくても、それはもう同じことだが、自分の心に引っかかるものは考えるより先に「と」で繋げばいい。関心あるものを分けて整理する必要はない。なんでも繋げば「と」が考えてくれる。さっき「個人的なこと」と書いたが、個人的なことで閉じるものはない。「と」で広がる。「と」の瞬間、ゴダールが浮かぶ。ゴダールの御利益だ。