2022.05.10【『ハレルヤ』自作解説】その1 p.13

猫を大事に大事に飼っている人はみんな猫には神さまがついていると言う。それはいわゆる神さまとは少し違うかもしれない、ユダヤ教やキリスト教の、一神教の、厳しい神とはきっと違う、かといって八百万式の、何にでも神が宿るようなイメージの神でもない、猫についている神さまはそのつどは特定の猫についているように人には感じられるが、総体としては一人ということになるのではないだろうか、気象とか地球の上でさまざまに姿を変える水とかが私には一番ちかく思える、こういうことは猫と神さまとのあいだで交された約束だから人間が自分の目や耳やそれら五感で物質を理解しているような仕方で理解できるものではない。
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猫にはみんな神さまがついている、という話。
ここで作者は、その神さまというのが、どういう神さまなのか考える。
何年ぶりかで読み返してみて、こういうところが、妙に生真面目で自分ながら好ましいと思いつつも、
こういうことをいちいち書かずに、ただ「神さま」ということで書き飛ばしていれば、もっと読みやすくて、売り上げも伸びるんだろうになあ。。。と思う。
しかし、書くということは、自分の中のリアルなものを手探りするようにして、そことのやりとりをすることだから、こういうことを書かずに、さらりとスルーするわけにはいかないんだなあ、と思う。

【追記】
「こういうことは猫と神さまとのあいだで交わされた約束だから人間が自分の目や耳やそれら五感で物質を理解しているような仕方で理解できるものではない。」
最後のこれは、聖アウグスティヌスが、神がどのように私たちに意志を伝えるのかと考察している一節の書き換えです。
神の意志は物質や感覚に縛られた思考によっては証明することはできない。神のご意志はただ「知る」だけだ。