思索することと実作(実践)することの差(『言葉の外へ』所収)

ハイデガーは講義録も含めた自著の中で「存在」という概念を正しく定義しているのだろうか。私にはしていない(できていない)ような気がする。
といっても、私がまがりなりにも通して読んだのは、『存在と時間』と『形而上学入門』の二冊と『杣径』に収められた「芸術作品の起源」だけなので、断言できるような立場には全然ないけれど、ハイデガーの論の展開ないし語や概念の使用法自体が、「存在」という概念の定義を明快にすることを難しくさせていると思う。たとえば「形而上学入門」(平凡社ライブラリー・川原栄峰訳)の以下の部分 ——。

問うということは靴や衣服や本のように存在するのではない。いろいろな問いが【ある】、だがそれらがあるあり方は、もっぱらそれらがほんとうに問われるその問われ方如何にかかっている。だから根本の問いを問うことへと導き入れるということは、どこかに横たわっているか立っているかする或るものに向かって進んで行くことではなく、この導きが初めて問うということを喚び起こし、作り出さねばならない。この導きは問いつつ先行すること、先んじて – 問うことである。これはその本質上、従う者が一人もいないような導きである。(41ページ 傍点原訳文)

ここで「問う」「問い」「導く」「導き」という言葉が繰り返し使われているが、これらの語は解析の単位として使われているのではなくて、反復の高揚によって読者の意思を鼓舞するような、一種スローガンのような使われ方になっている。記述の構造でいえば、三平方の定理を証明するのに三平方の定理を使っているようなもので、これは「存在とは××××である」という、辞書的、ないし静的な記述法と全然違っている。ハイデガーの説く「存在」というものがわかりにくいとしたら一つの原因は、この記述の乱れなのではないかと思う(しかしもしかしたら哲学の記述というのは多かれ少なかれこのような、同語反復的な記述の乱れを含んでいるために、一般に「難しい」と言われるのではないかとも思う)。
しかしだいたいにおいて、哲学というのは、もともと何か、世界なり概念なりを解析的に記述し、定義を辞書的に定着させる要請によって生まれたものだったのだろうか。そのような「世界を定義したい」という意思の産物なのではなくて、哲学とは、「世界を実感したい」という熱意の産物だったのではないだろうか。それでハイデガーの書き方はこのような実践 (=芸術の実践、生きることの実践……等)に傾きがちになるのではないだろうか。

詩人はいつも、あたかも存在者が、そのとき初めて語り出され、語りかけられたかのごとくに語るのである。詩人の詩作と哲人の思惟との中には、いつでも広い宇宙空間が開けられていて、そこでは一つ一つの物、木とか山とか家とか鳥の暗き声とかがどうでもよい平凡なものという性格を全く失ってしまう。(前掲書 51ページ)

これは哲学者と詩人だけが「無」(というあらゆる学問の手の届かないもの)について語ることができるということを語っている一節だが、『ベルリン・天使の詩』で天使が人間になったときに、それまでモノクロだった世界に色がついたときのような感じの、「経験するとはこういうことであって、経験したことのない者には決してわからない」式の語りで、モノクロしか知らない人に向かってなお「色彩とはこういうものだ」と理解させるようにはなっていないと思う。
ハイデガーは一冊の著作の構成がこのように、「存在とは何か」「芸術作品の起源(=本質)とは何か」という問いをまず初めに立てていながら、途中から問いに答えずにそのダイナミズムの中にのめり込んでいくというようになっている(と私には見える)のだけれど、これは『存在と時間』で始まる彼の思索の軌跡が、ケーレ(転回)以降、存在を開示するものとしての芸術の読み解きに傾いていったことと、パラレルな関係になっているのではないかと思う。

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ハイデガーの「存在」ないし「存在の開示」は、(私の「存在」の理解が間違っていないと仮定しての話だが)概念というようなものではなくて「事態」とでも呼ぶようなものだから、ダイナミズムを欠いた、辞書的な定義にこだわるとじつにイメージを作りにくいということになるのだろうけれど、この感じというのは現在の科学による脳の解明の状態と何だかよく似ている。
いまや脳は未踏で地図のない場所ではなくて、視覚の場所、喫覚の場所、言語の場所、音楽に反応する場所、記憶の入り口らしき場所、脳幹のように「意志の強さに関わる」場所…… というようにかなり精密な地図が作られつつあり、同時に、気持ちが高揚しているときにはアドレナリンが放出され、引き篭りがちの人はセロトニンの放出量が少なく、痛みを感じるには××という物質が放出され…… というように脳内を流れる化学物質の一覧がどんどん埋められつつあり、そのときにどこに電流が流れるかという機能的なことも解明されつつある。
それらハードウェアだけでなく、コンピュータや人工知能の開発によって、ソフト面からのシ ュレーションも可能になりつつあって、かつて漠然と(ないし強固に)「魂」という名で一つの総体と捉えられていたものが、科学的な言語で記述可能になるかのような幻想を持たせるのだけれど、それらすべてが本当に説明されたとしても、心とか意識とか魂と呼ばれるものが解明されたことにはならない。少なくとも、人間の内面の活動を途方もないと感じている人達を、それだけで納得させることはできない。納得させるためには、少なくともそれら部分をもう一度全体に戻すことのできるいわくいいがたい力が必要だろう。ハイデガーの言う「存在」は、このことととてもよく似ているんじゃないかと思う。
あるいは、死につつある人間のまわりにいる人達が、その人が「本当に死んだ」と事態を受容するためには、心電図や脳波計という部分を数値化したものではなくて、もっとずっと別の次元で事態を了解する必要がある。人間はいまだ自分たちの能力で記述可能な領域をはるかに越えた情報を対象から受け取り、ものすごく複雑にして、機械から見れば奇径な演算過程を経由して、物事に対する心的態度を決定している。そのこととハイデガーの言う「存在」は似ているんじゃないだろうか。

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このあいだ教育テレビのETV特集で、白川静が甲骨文字の解釈をして見せて、「歌」という字の「ロ」はかつて信じられていた「口」(くち)でなく祝詞を入れる器のことであり、「丁」はそれを叩く木であり、「願いをどうしても神に聞いていただこうと、必死に祝詞の器を叩いたのが「歌」の起源であって、「歌」とは楽しんで口をパクバクさせることではなくて、必死になって神に訴えかけている状態のことだった」という意味のことを言っていた。
これはニーチェが「ギリシャの楽劇」の中で、グランド・オペラという形に歪められたギリシャ悲劇においては、演劇とは扮装して他人に錯覚を起こさせようとすることではなく、「人間がわが身を忘れ、己れ自身を変身させられ魔法にかけられたものであると信ずること」であり、コロスとは「理想的な観客」などではなくて「主人公を演ずる俳優が合唱隊を通じて、あたかも拡声器を通じてのように、彼の感情を、途方もなく拡大して観客に叫びかける」ためのものなのだと言っているのと、とても似ていて面白かったし、ハイデガーの説く集約態としてのロゴスの起源(『形而上学入門』211〜222ページ)とも通じていると思った(ついでに言うと、白川静の本棚には『古代中国の東西文化交流』と並んで『講座 ドイツ観念論』と『続シェリング哲学の研究』があった)。
その白川静が、『金文集』という青銅器に刻まれた甲骨文字の資料を、これから後につづく研究者の拠り所として、自分が生きているあいだに是非とも整理しておかなければならないと言っていたのだけれど、甲骨文字が生まれた時代の社会や当時の人々の世界観にまで踏み込んで、甲骨文字の生成を再現した白川静本人の内的なダイナミズムまで保存したり再現したりすることはできない。これはもちろん、 ニーチェにもハイデガーにも、すべての偉大な思索家にあてはまる。このことと「存在の開示」ということはかなり似ている。 
人間の思考はコンピュータ・ソフトを転写するように転写したり移植したりすることはできない。思考というのは肉体としての脳の活動の産物でもあって、科学的(?)な言い方をするなら、脳の神経細胞の中を流れる電流は、その人の肉体全体が貯蔵しているミネラルの総量と関係しているのだし、筋肉が過度に疲労していれば体内を循環する血液の比率が変わって脳の活動に影響を及ぼすことも考えられる。だから白川静なら白川静の思考とは、日々変化する肉体の状態から影響を受ける精神の状態を一定に保ったうえで、人生全体の経験のように形あるものとしては伝達しにくいものを、『金文集」などの形あるものとして伝達しうる知識として、そのつどそのつど練り上げていく力のことだ。
ハイデガーのいう芸術作品の本質とは、このことに近くて、漫然と眺めているだけでは存在は絶対に開示されない。存在というものが辞書的で静的に定義可能なものだったら、コンピュータ・ソフトを転写するように誰にでもどんな状態のときにも、存在は開示されるだろうけれど、そういうことは起こりえない。ゴッホの絵でもギリシャの神殿でも、芸術作品に接して存在が開示されるためには、その人自身の、それに先行する経験(=思索の経験?)が必要だし、接したときに存在の本質を感受する(=受け取りつつこちらから働きかける)ことのできる精神と肉体の状態も必要だということだろう。

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「存在」というのが、ただ存在するもののことではなくて、さきさほどの、「詩人はいつも、あたかも存在者が、そのとき初めて語り出され、語りかけられたかのごとくに語るのである。詩人の詩作と哲人の思惟との中には……」の引用にあるように、人間が働きかけることによって初めて開示されるものなのだとしたら、自然をただただ陶然として感受することとそれを言葉に表わすことは別ということになるのだろうか。
この世界には、自然をどんなに素晴らしい詩として表わすことのできる人よりも、もっとずっと自然の素晴らしさをわかっている人がいるのではないかと想像することは不可能ではない。牧童とか樵(きこり)とか漁師とか、彼らはそのような言葉を知らないだけなのかもしれないし、また心底そのように了解できているのならわざわざ詩にする必要もないのではないか—— と考えるのも不可能ではない。
彼らが自然を知悉していて、自然を自分の肉体と精神の延長として実感し、他の誰よりも愛し同時に畏れ、そして必要としているのだとしても、それでもなおそれは「存在」を知っていることではない、とハイデガーならば言うのではないかと思う。
白川静とハイデガー(それにニーチェ)がともに、近代人とは違う心性を持っていたであろうかつての人々の思考に引きつけられたことを、私はとても面白いことだと思う。
言葉とは、いまのような形に完成しているのを見れば確かに “差異の体系” ではあるけれど、その体系の根幹となって、多くの語を生み出す力となった語は決して多くはなく、それら根幹となった語には言葉(=人間精神?)が生成されたときの人間と世界の関係が明確に刻印されている。自然の力を知り抜いている人々が、自分たちが自然から引き裂かれたものとして存在していることを深刻に自覚し、自然を自分たちの能力をはるかに越えたものとして畏れ、しかし同時に自然と戦いつづけることのできる荒々しさが必要で、それがなければ生存しつづけることができなかった—— 言葉とは、そういった精神の姿そのままとして生成したのではなかったか。だから自然と人間との関係は、牧童や椎や漁師のように(裏切られることがどれだけ多くても)自然から恩恵を受けることを前提とするのではなくて、荒々しく戦い合うことで、自然が自然となり、人間が人間となったということなのだろう。
白川静とハイデガーの描く荒々しい心性を持った古代人は、自分の能力をはるかに越えた力に進んで飲み込まれていく。それは単純な働きかけではまったくなく、彼らのすべての働きかけは外に向かうのではなくて自分自身または自分の内側に向かうのだと考える必要があるのではないかと思う。
『形而上学入門』第4章第3節「存在と思考」にこのようなことが書かれている。

全体としての存在者は、支配することとして制圧的なもの、つまり第一の意味でのdeinon である[「第一の意味」とはこれより前の論証を受けているがここでは略す]。しかし、人間はまず第一に、人間が本質的に存在に属しているがゆえに、この制圧的なもののただ中へ曝し置かれているというかぎりで deinon であるとともに、第二に、人間は特別の意味で暴カ – 行為的な者であるゆえに deinon である(人間は、支配しているものを寄せ集めて、それを開明性へと入らしめる)。人間は暴力 – 行為的な者であるとはいっても、人間はほかにもいろいろな性質を持っているが、それらと並んでさらにそのうえ人間は暴力 – 行為的でもあるというような意味において暴力 – 行為的な者であるのではなくて、人間は自分の暴力 – 行為性に基づき、またその暴力 – 行為性において、 制圧的なものに対抗して力を使用するという意味においてもっぱら暴力 – 行為的な者なのである。……(247ページ)

この部分はナチが読んだらナチになりうる。この抜粋部分に限らずハイデガーの思想は、——働きかけが自分の内側に向かうのではなくて外にある自然や人間に向かうのだと解釈した場合——部分的にナチのようなものなのではなくて、全体としてナチのようなものになってしまうと私は思う。
ハイデガーがナチに共鳴したのだとしたらきっと、ナチの思想をこのような人間の根源的な働きかけの能力や態度と同じものだとカン違いしたというか、ハイデガーには「存在」とか「存在の開示」という出来事を、内実ではなくて、態度の現われや素材としての荒々しいもの雄々しいものと混同する傾向があったのではないだろうか。

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「存在の開示」としてハイデガーが取り上げる、ギリシャの神殿やギリシャ悲劇やゴッホの絵やヘルダーリンの詩には、大地を、人間の根源的な戦いの場であると同時にやはりどうしても安らぎの場とも位置づけていると思うのだけれど、それらから引き裂かれた(=安らぎどころか戦う可能性も奪われている)という認識のうえで小説を書きつづけた作家にカフカとベケットがいる。
たとえば『変身』で巨大な虫に変わってしまった自分を発見した直後、グレーゴル・ザムザは虫に変身したことを嘆くのではなくて、そのために会社に行けなくなったことを嘆くのだが、彼の様子を見に来た支配人と家族の前に姿を現わしたときにグレーゴルの目には、こんな光景が映る。

道路をへだてた向う側には、向い合せの、際限もなく長い黒灰色の建物の一部がはっきりと見られた。——それは病院だった。——道に面した壁面には規則正しい窓の穴が一定の間隔を置いて開いている。雨はまだ降っていたが、大粒の雨脚がひとつひとつそれと見わけられ、ひとつひとつがきちんきちんと地面に落ちていた。朝食のテーブルの上には食器がやたらにならんでいた。……(中略) ちょうどさしむかいになった壁には、グレーゴルの軍隊時代の写真がかかっていた。 (中略)……玄関の間に通ずるドアは開けはなしになっており、玄関のドアも開いているのが見えたし、玄関前の階段口と、下に通ずる階段とが見えた。(新潮文庫 高橋義孝訳 27ページ)

この部分は話の流れ(=緊急度)からみるとほぼ完全に脈絡を欠いている。あたかも直観像体質の視覚記憶のように脈絡を欠いている。これはカフカの小説の特徴であり、その場その場の映像や音を羅列する書き方は『審判』や『城』にも共通してみられる人物が内的な連関を欠いてただ外界に投げ出されているかのような、人物と外界とのこういう関係は、

現に立ちつつ建築作品は、頭上を荒れ狂い駆け抜ける暴風に耐え、かくして初めて暴風それ自身が威力を持つことを明らかにする。巌の光沢と光輝は、それ自身太陽の恵みによるにすぎないと見えるが、その実、昼間の明け透き、蒼天の広袤(こうぼう)、夜の闇を初めて輝きの発揮にもたらす。……(中略)……樹木と木、鷲と雄牛、蛇と蟋蟀は、この安らぎの際立った形態の中に入り込むことによって初めて、それらがそれであるものとして、輝きを発揮するに至る。このように出て来ることと立ち現れることそれ自身を、しかも全体として、ギリ シャ人たちは早初に〈ピュシス[自然]〉と名づけた。この自然は同時に、人間が自らの住むことをその上にそしてさらにその中に創基するところのものを明け透かせる。我々はそういうものを【大地】と名づける。(創文社版『杣径』 茅野良男訳 39ページ 傍点原訳文)

と、『芸術作品の起源』でいわれている人間と世界との有機的な結びつき(=広い意味での “隠喩的な結びつき”)とまるっきり別物だ。「存在は言葉に住まう」と言ったハイデガーに対して、カフカは物語以前に言葉と世界との関係において、すでに世界から拒まれている。
ベケットになると事態はいっそうひどくなる。人間の空間把握のメカニズムにおける道具存在の “目立たなさ” ”気づかれなさ” “遠さ” について、ハイデガーは、

歩行しているさいには街路は、一歩ごとに触れられており、一見、総じて道具的に存在しているもののうちで最も実在的なものであるかのように思われ、足の裏といういわば特定の肉体部分にそってずれ動く。それにもかかわらず街路は、そうした歩行のさいに二十歩の「遠ざかり」で「街路上」で出会う知人よりもずっと遠ざかっている。(『存在と時間』中央公論社版 世界の名著 原佑訳 212ページ)

と書いているけれど、ベケットの主人公たちにとって道具存在といえるような透明なものはなく、すべての行為が困難を極める。

そしていまやぼくの相変わらずのろくて苦しい進行は、これまでになくひどくなった。短くて硬直した足、つまり以前から硬直の限度に達したように思われた足のせいだが、しかしそんなことがあるものか、何故ならその足はこれまでになく硬直していき、しかもとても信じられぬことに、毎日少しずつ短くなっていったからだが、……(『モロイ』集英社版 三輪秀彦訳 74ページ)

そしてほくはまだおほえている、規則に反して、休むような格好で腹這いになったぼくが、急に額をたたきながらこう叫んだ日のことを——なんだ、這っても歩けるじゃないか。ちっとも気がつかなかった、と。しかし足や胴体がそんなぐあいでは、どうしたら這えるだろう?(同書86ページ)

カフカとベケットには、書かれた形としては世界に対する人間の無力が貫かれているけれど、言葉との根源的な戦いは一度として放棄されたことはなかった。カフカとベケットは言語との戦いの中で、言語の力に翻弄されつづけるという態度を能動的に選び取った。

光輝の開明性の中に立つ者の、ギリシャ人である者の激情を抱いて、 オイディプスはこの隠蔽されたものの露顕へと向かって行く。そして彼は一歩一歩自己自身を非隠蔽性の中へと置かざるをえない。そして結局、この非隠蔽性に耐えるためには、彼はわれとわが身の両の眼を刺し、つまりあらゆる光から自分を追い出し、秘匿する夜を自分の周囲に突然広がらせ、盲目になって、こんな姿こそ実は彼が【ある】ところのものなのだということが人みなに明らかになるように、戸という戸をすべて開けろと絶叫するほかはなかった。
だがわれわれはオイディプスを、ただ、没落する人間としてのみ見てはならない。われわれはオイディプスの中にギリシャ的現存在の形態を、存在露顕すなわち存在そのもののための戦いの激情という、現存在の根本の激情が最も広く最もなまなましい域にまで突き出している形態を把握せねばならない。(『形而上学入門』177ページ 傍点原訳文)

訳注によるとここでの「激情」は、英訳仏訳ともに「受難」を意味する passion となっているらしい。ここで語られているオイディプスとはまさにカフカでありべケットであると私は感じてしまう。
カフカとベケットの残した作品はハイデガーが思索の導きとした芸術作品と様相を大きく異にするが、その理由は、二人がハイデガー以降の世界に生きたからなのではない。なにしろカフカは一八八三年生まれでハイデガーよりさきに生まれていて(ちなみにベケットは一九〇六年生まれ)、一九二七年に『存在と時間』が刊行されたときにはカフカはすでに死んでいる。
ハイデガーとカフカ、ベケットの方向が正反対に見えるのは、カフカとベケットが実作者(実践者)であり、ハイデガーはそうではなかったという理由によるのではないかと私は思う。突出した実作者とは思索を自分の身体に刻印する能力を持っている者のことで、ただ思索をつづけるだけの者はどうしても身体と世界との関係が甘くなる。
近代の人間であるカフカとベケットの持っていた言葉は、世界と人間との根源的な戦いを記憶している言葉なのではなくて、世界を計測の対象と考えるようになったあとの、「存在の開示」を忘れてしまった言葉であり、そのような言葉を使って世界と人間との根源的な戦い=結びつきを実現させることはできない。彼ら二人がそれに気がついた理由は、カフカがプラハ・ドイツ語を使い、ベケットが母国語を捨ててフランス語で書いたという、それぞれの言語との貧しい関係が影響しているのかもしれないが、いまの私には断言はできないし、そのこと自体はたいして重要ではないようにも思う。言語との貧しい関係を強いられた作家は世界にはいくらでもいる。
「言葉はかつて××であった。その言葉はかつてこのような力を持っていて、すべての人がそれを知っていた」
と書くことは難しいことではないけれど、 その言葉を使って実作(実践)することは不可能だ。それは事実の追認や存在忘却への埋没というようなことを意味しない。言葉を使うとは、幼児のように数百語しか知らない場合でも、つねにその言葉の体系すべてを使うことを意味しているのだから、体系が失われた世界での実作(実践)はありえない。
カフカとベケットは言葉の根源的な力が失われていることを深刻に理解していたから、人間が世界と戦うことも安らうこともありえない小説を書いた。それは言葉の原初の姿、根源的な力を見出すことと等価であり、思索と実作(実践)の差だと思うのだけれど、私がさきに書いた「思索を自分の身体に刻印する」というのには、思索と実作とのもっとずっと深刻な違いがある。
それは芸術作品というものが、作るのにも受け取るのにもすべて、その人の経験と現在の思考を動員することを要請していることと関わっている。“作品” というものが可能性の広がりを持つ抽象的な何かではなくて、すべて具体的な形として提示されることとも関わっている。芸術作品というものが音楽と絵画・彫刻・建築はすでにして物であり、演劇は当然のこととして人間を必要とし、詩にも小説にも人物と風景と時刻という要素のどれかが必ず必要となっていることとも関わっている。”作品” が——数式が他の数式のユニットになるようには他の “作品” のユニットになることがありえないこととも関わっている。思索は数式と同じように他の思索のユニットになりうる。
「ただ思索をつづけるだけの者はどうしても身体と世界との関係が甘くなる」と書いたことで、「それゆえにハイデガーにはナチに荷担してしまったように時代を感じる甘さがあった」というようなことを言いたいのではない。ナチに荷担したとかしなかったとか、私はたいした問題とは思わないし、思想(家)や芸術(家)をその時代の政治との関わりで論じること自体がすべて不用意で、大政翼賛会的なものを迎え入れてしまう考え方だと私自身は感じている。
そうではなくて、ただ思索をつづけるだけの者はどうしても身体と世界との関係が甘くなるから、ハイデガーは——思索の導きとして芸術作品を必要としただけではなくて——思索の最終形をもまた、芸術作品に預けざるをえなかったのではないかということだ。それはしかし、 別の言い方をするなら、ハイデガーの「存在」(ないし「存在の開示」)という問題の立て方と解法にもともと限界があった、ということを表わしているのかもしれない。
二十世紀に入ってから言われ出した、”文学の危機” とか ”芸術の終焉” ということも、ハイデガーの問題の立て方と関係しているのかもしれない。それはとりもなおさずハイデガー思想の大きさを意味することになるのだけれど、そうだとしたら芸術全般の危機や終焉を克服する可能性はハイデガー思想を越える可能性と関わっているということなのかもしれない。

[「現代思想」1999年5月臨時増刊号「ハイデガーの思想」]

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