『言葉の外へ』文庫本まえがき(2012年)

「小説家は言葉のプロだから」という言い方が嫌いだ。この言い方は言葉というものの拘束力とか強制力とか、あるいは言葉で名指したものの外を排除する力とかそういうものに対して無関心すぎる。
私はいろいろな理由から最近、幼稚園にいた頃から思春期くらいまでのことを思い返すことが多いのだが、言葉とのある関係の記憶が出てくると、自由に動いていた体を肩の上から手を置かれて無理矢理押さえつけられたときのように体が抵抗し出す感じがする。
「言葉がなければ伝えることができない」とか「言葉がなければ残すことができない」というのは、だいいち本当か。私は子どものときから今にいたるまでずうっとそうなのだが、一生懸命しゃべると、
「もっとわかるようにしゃべってくれ。」
と言われる。それはおかしい。こっちは全力をこめて、全身を使って、伝えたいことを言葉と声と動作で発したのだ。なぜそれに対して相手は「わかる/わからない」という、ふんぞり返って目の前の人間を判定するようなことを言うのか。
目の前で何かが起きたり、目の前に風景が広がったりしているとき
「もっとわかるように見せてくれ。」 
と言わないように、全力をこめて伝えようとしている人間はそれ自体が現象なのだ。現象は理解するものでなく、それに立ち合って記憶にとどめるものだ。
小説家が小説を書くということは、その小説によって、「理解する」とか「わかる」ということが頭の一部分しか使わない、浅はかなことだということを身に染みるというか、それが前提としてある。もしそれだけを目的として小説を書いたとしたら、小説とはなんともみみっちいものになるが、前提としてはそれがあるから、読み終わった小説を言葉によって説明しようとしても、それはもう全然その小説じゃない。
音楽で楽器が鳴らす音、絵の線や色、彫刻の素材の質感や形、ダンスの動きやダンサーの体形。小説における言葉はそういうもので、何かを説明して伝えるためにあるのではない。まあ、そういう機能がまったくないということは不可能かもしれないが、私がイメージする理想の一つは、
私がいま両手で持っている何か粘性のある風船ぐらいの大きさの気体があり、それを私が両手でゆっくり回転させようとしたり揉んで形を変えたりする。すると、
もう一人の人がだいたい同じような粘性のある気体を両手の中に持っているそれが少しの時間差で私がするのと似たような回転をしたり形が変化したりする、……。
いや、なんかこれでは新興宗教みたいでよくない。私は私で何かをするのだが、私がすることとは一見関係がないような、何も呼応関係がないかのようなことが読者の心の中で起こる。 
この本の中で書いたのは『うるわしき日々』だが、小島信夫の小説の、中でも『寓話』を読んだとき、私は激しく高揚して、本を放り出して走り出したくなった。『寓話』の中には、言葉として書かれた言葉が、伝達や説明という狭い機能をこえてアナーキーな音を鳴らし出す力が渦巻いている。
もともとカフカがそういう小説を書いたのだった。「現代人の心の奥に潜む不安うんぬん」 「官僚機構が隅々まで支配する現代社会うんぬん」という【解釈】は、カフカが書いた文の連なりから目を離した段階で持つものであって、読んでるその最中にはそんなことでなく、カフカは書いている自分と一緒になって書くように読むこと、書くように読むことは何とスリリングで楽しいことか! ということをまずは、知らせてくれる。
カフカ自身はそのような意図を持って書かなかっただろう。というか、カフカには【意図】などなかっただろう。ある冒頭の情景が浮かぶ、その情景によって導かれた文や人物や空間や思念がどこまで前へ進んでゆけるか、カフカ自身わからないままとにかく書く、だからカフカの書き方によって書かれた小説や断片のすごいところは、書き手のカフカが「もう進めない」と思ったところで終わってしまう。幸運にも最後まで辿り着いた小説もあるが、最後まで書くことがカフカにとって至上命令ではなかったから、読者は書き手が陥る「この小説を完成させねばならない」「この小説を完成させるためには(途中で前に進めなくならないようにするためには)ここではこうはしないでおいて、こういう風にしておこう」という義務的作業に基づく計算につき合わされることがない。だからカフカの小説は筋を記憶できない。
『変身』がカフカの小説の中で一番広く読まれている理由はたぶん、主人公が虫に変身したという、わかりやすく、人に伝えやすく衝撃的な内容であることは当然だが、全体として筋を記憶できる、カフカとしては例外的な小説であるところも大きいのではないか。
『城』など、二回や三回読んだくらいでは、本のこのあたりではこんなことが書いてあった、それにつづいてだいたいこんなことが書いてあったみたいな、ふつうの小説ではある程度は読み終えた段階で持っているだろう、中身の見当識みたいなものがほとんど全然残らない。「見当識」というのは、今日が何年何月何日で自分がいまどこにいるかという一番基本的な状況把握のことだが、これを作品を俯瞰する能力ということにまで広げると、 「わかりたい」「理解したい」読者は作品を俯瞰しようとする、しかしカフカ自身にはこの俯瞰の能力がまったく欠けている。
書き手であるカフカは作品に対して俯瞰的視点による能動的働きかけをしない。つまりこの点において、 「現代人の心の奥に潜む不安うんぬん」という解釈をした人は、なんというかまったく的外れだったわけでなく、俯瞰的視点による読み方をするなという声を文の連なりから聴き取った批評家はまさに不安にならざるをえないわけだが、批評家という読み手として以上に、書き手が進行中の作品に対して俯瞰的視点による能動的働きかけをしないというのは、作者像を揺るがす大変なことではあるまいか。
作者はこれから書こうとする作品の青写真を持っている、そして書く過程において必要に応じて能動的に予定変更をしてゆく、というのが、作り手である人たち以上に、受け手である人たちにとっての作者像として必要な前提だったのではないか。作品の意味は作者が一番よく理解している。作品については作者に訊くのが一番だ。というこの安定した、作者 − 作品像は、小説に主人公という中心があること以上に、読者にとって必要な像だったのではないか。
自分が読者になってみるとよくわかるが、小説でも映画でも、作品世界がどういうものであるかがよくわからない導入部を読んでいるときの、ある意味の心的負担の大きさといったらない。自分がいま入っていきつつある作品世界は作者にとってそうであるように、読者である自分にもいずれはクリアな眺望が開けるものだ! という期待という担保がなければ、入口の苦労は苦痛と化す。
たとえばカフカが書いた『万里の長城が築かれたとき』という未完というより、結末にいたらず書きやめた、断片としてはだいぶ長い断片の入口のところで書いている万里の長城の城壁の工事に関する記述からはじまるこの話が、どこでどう転換して、終わりちかくの、北京に住む皇帝の話、その皇帝が送り出した使者が来るのを「おまえ」は窓辺にすわって待つ、という話になったのか、読後説明できる人がいるだろうか。きっといない。だいたい私はこの話の結末というか、書きやめた末尾部分がどうだったかさえ憶えてない。なぜか、この話は皇帝の使者の話のあとまだつづいて、語り手の父の話になるのだ。
読後、読者は筋を言えないにもかかわらず、「つまり、万里の長城というのはねえ、——」と解釈をしゃべり出したら、この話の運動から逃げたことにならないか。そのように語り出す読者は、作品に対して能動的にふるまいたいと思っているだろう。その前提には作者が作品に対して能動的にふるまったという、作者 – 作品像があるわけだが、話を大きく広げれば、それが十九世紀二十世紀の人間の、世界に対するふるまい方だったということになる。人間は、世界に対して能動的であるように、芸術においても作品に対して能動的である、人間は世界も作品もコントロールする存在であって、作品や世界に合わせて右往左往するような存在であってはならない、という。

カフカというのは本当に驚くべき人というか書き手だ。フェリーツェに書いた手紙やミレナに書いた手紙を読むと、カフカは言葉の奔流だった。一晩に原稿用紙に換算して十枚二十枚くらいの長さの手紙を毎晩のように書いた。手紙を書いた日と小説を書いた日がどの程度ダブッていたかはわからないが、そのほかに日記も書いた。日記といっても日々の生活の記録的要素は少なく、小説の断片がいっぱいあり、何が日記であり何が小説であるかという区別はカフカの場合はほとんど意味がなく、カフカはとにかく書いた。
カフカは自作を「作品」とか「小説」でなく「ドキュメント」と、たしか呼び、書くことは「書く」でなく「引っ掻く」、引っ掻き傷の引っ掻く、スクラッチと言った。つまりカフカは書いたというより、言葉を鳴らしたり、言葉で鼓動したりした。書いたものは、形跡とか痕跡だった。ダンサーの動きの残像にちかい。
書く前に何かがあって、それを再現するのでなく、書きながら聞こえてくるものを聞くために書いた。私はカフカの “新しさ” を言いたいのではない。カフカには他の書き手たちとの決定的な断絶がある。それを私はつかまえたいのだが、私自身はカフカでない書き手たちの文章を読んで育ってしまったわけだから、それをつかまえきれない。それでもたまにとてもしっかりした感触が生まれるのだが、それは、道元が言った(と言われている)悟りの境地のようにすぐに遠くに行ってしまう。それと同じことをスポーツ選手たちも言う。練習に練習を重ねて、あるとき「これだ!」と思う感触が生まれる、しかしそれはすぐに遠くに行ってしまう。
カフカも日記を読むと、何ヶ所かで、「ここ数日順調に進んでいる」というようなことを書いている。しかし問題は、順調に進んでいることではないと私は最近考えるようになった。カフカが毎日毎日、小説でも手紙でも日記でも、とにかく言葉を鳴らしつづけたこと。スポーツ選手が練習に練習を重ねるように、道元がひたすら坐禅をしたように、その特別な瞬間を目指してひたすらすること。
人は、そういう特別な人たちが残した特別な成果をもとにして、それへと至る時間・行為の積み重ねを知る。特別な成果が残されていなければ、それへと至る(それを取り巻く)膨大な時間は誰にも知られず、時間の闇の中に消えてゆく。——という、この世界像がそもそもの間違い、人間の認識をつまらない方へ向かわせてきたのではないか。
私がこういう風に考えるようになったのは、家の中と外の猫たちの世話に明け暮れてきたからかもしれない。人は何かを残すかもしれないが猫は何も残さない。それもある。というか、最初はそうだった。自分がしたのでもないことを “人類の歴史” と誇らしげに言って、何も成し遂げない人たちを外に追いやる。結果、自分を外に追いやっている。しかし二〇〇三年にはみんな若くて元気で手間がかからなかった猫たちが年齢とともにいろいろ不調が出てきた。世話をする私は、明らかな成果が得られることの方がずっと稀で、私のほとんどの試みは成果が出ないが、出ないそのことをゆっくり嘆いているより次の手を考えていかなければならない。
小説というのは作られる過程が一番見えにくい。音楽やダンスなら形となってゆくリハーサル風景も見ることができるし、公演の本番でも弾き間違いや踊り間違いがあり、しかし、作品とはそういうものだと作る側も観る側も思っている。絵だってキャンバスに色が塗られてゆく過程が映像として記録されれば誰にでも見えるし、完成した絵を見ても色の重なる順や筆のタッチが見えていることで、絵が描かれる過程が絵を描かない者にも想像できる。というか、絵は手の動きの痕跡だ。
小説家である私には小説が一番よそよそしいとでも言えばいいのか、小説によってだけもし私が小説について考えていたら、私はやはり「出来のいい小説とそうでもない小説」という風にしか考えなかったかもしれない。音楽やダンスや絵に接することで生まれる刺激の方が、小説を読んで生まれる刺激より私には大きかったその “刺激” というのが、もともと私の関心が完成状態よりもそれが作られる過程に向かっていた。
作られる過程というのは、すでに完成した作品があるなら文字どおりの「作られる過程」だが、実際に作っている者にとって、作られる過程は「完成しないかもしれない過程」だ。誰にでも、書き出した小説が最後まで行かず、それを途中で投げ出した経験があったはずで、小説家としてデビューする前の人たちが最初にクリアしないとならない関門は、作品を仕上げること、作品を最後まで書ききることだった。
はじめて作品を最後まで書ききり、書ききることを何度か繰り返して小説家としてデビューする。デビューしてもしばらくは「書ききらないかもしれない」という不安の中にいる。きっと多くの人は小説家が、「書ききるコツをつかんだ」と思うだろう。しかしそれは本当は「書ききるコツ」ではなく、作品を結末から逆算して組み立て、破綻しないように義務的作業をすることに馴れただけだ。
つまりそれが「書ききるコツ」ではないか、と多くの人は言うだろうが、そうではない。だいたい私が使った「書ききるコツ」という言葉が、私の中で小説を書くイメージと矛盾した言葉だった。「書ききる」ことは、書き出してひたすら前へ前へと進むことであり、「コツ」とはそのような無骨な能のないやり方をやめて、逆算・組み立てに基づく作業をするそのことだった。そんなこと私しか言っていないから、私もまた、するっと出来合いの言葉をうっかり使ってしまって、自分でしばらくド壷にはまってしまったのだった。だから前の段落からここまでに一日半の停滞があった。
小説を結末からの逆算でなく、ひたすら前へ前へと書くというのはまたもカフカに戻ることかもしれないが、何度戻ってもかまわない。言葉は一回書けば伝わるというのはコンピュータに記録させる発想であり、人間の脳は身体の一部なんだから何度でも繰り返さないと書き込まれない、という「書き込む」という言葉がすでにコンピュータに入力するイメージなのかもしれないが。
結末からの逆算でなく、「書ききらないかもしれない」という不確かさとともに、ひたすら前へ前へと書いていくことは、小説を書くという行為において逆算とはまったく次元の違う出来事であり、それはいずれ完成形というものを問題にしなくなり、小説を「書く」という行為に還元するというか、「書く」という行為の中に拡散させる、というか、「書く」行為そのものにさせる。
それはもう形ではない。ギター奏者とソプラノ・サックス奏者がある日ひとつの部屋に居合わせて、朝から夜まで一日じゅう、思いつくままに即興演奏をやりとりした。それを翌日知らされた友達が
「あ、いいなあ。俺もそこにいたかったなあ。」
と言う。それでじゅうぶんじゃないか。
「俺、きのう、一日じゅう小説書いてた。」と、友達から言われて、
「あ、いいなあ。そういう日って、いいよなあ。」
と言う。
ギター奏者とソプラノ・サックス奏者が即興演奏をやりとりした一日を経由させて考えると、小説を書くことのこういうイメージもまんざらありえなくもない。というかカフカがしたことを純化させていくとそういうことになるんじゃないか。
ミュージシャンが楽器を演奏するように、ダンサーが踊りを踊るように、書く。「記録する」という支配者に仕えていた書く行為がようやく拘束から逃れて自由に動き回る。つまり私が言いたいのは、
カフカが書いたというそのことを私たちが知っているのは、友人のマックス・ブロートがカフカの希望を裏切って、カフカの書いた原稿を燃やさなかったからだ、というのは間違いなのだ。
マックス・ブロートがあのときにカフカの書いた原稿を燃やして、カフカの書いたものがこの世界にいっさい流布しなかったとしても、世界はいつかカフカを知った。
なぜ、そんなことが可能なのか。書くことは完成させて残すことでなく、行為だから。
完成させて残すことにこだわることによって言葉の術中にはまる。支配者とは、権威・権力を行使する人物や組織のことでなく、言葉それ自体のことだ。だから『万里の長城が築かれたとき』に書かれた「最高指導部」とは、まさに言葉それ自体のことなのかもしれない。これは解釈というより読んでいる最中の何とも名指しようがない実感だ。言葉に精通することは言葉の規範にがんじがらめになる、フーコーのパノプティコン(一望監視方式)を自分の体の中に作ることになる、と言ったら大げさかもしれないが私は間違いなくそう感じている。主体とはその範囲のものでしかない。
過去の技術の結果(形)だけが残って、いまはもう技術はそのレベルに達していない技術がいっぱいある。青磁、螺鈿、日本刀、マイセンの磁器、ジュモーの人形、……それらは天才が極めたから、二度とその域に達しないのでなく、形だと錯覚した結末だ。
というよりも、ある域に達する技術というのが、行為としての技術の踏み違いだったんじゃないか。高い技術を持つ集団が王や皇帝に庇護されたのはまさか偶然ではない。技術が行為として絶えずにつづいていくためには、技術は美に惑わされず、そこそこでありつづける必要があったんじゃないか。
というか、美(形)に洗練・収斂される前に、横へ横へと動きつづける(小説なら前へ前へと書きつづける)のが技術なのではないか。さっき書いたギター奏者とソプラノ・サックス奏者とは、デレク・ベイリーとスティーヴ・レイシーのことだが、この二人の演奏の浮遊感、子どもの遊びみたいにとりとめのない感じ、私はまだまだたまにしかチャンネルをうまく合わせて開くことができないが、彼らの演奏をもっと自然に聞けるようになれば、私は自然を見ながら、言葉を雲散霧消させるような言葉の使い方ができるようになるんじゃないか。

2012年秋