小島信夫『美濃』解説(講談社文芸文庫、2009年11月)

『美濃』を読みはじめたときのこのうれしさ、ワクワクする感じは何だろうと読むたびに思う。これから私が書くものをふつうの解説のような文章と期待される方は読んでも失望するにちがいないと前もって言っておかなければならない。しかし私がこれからいかにも解説然とした解説を書き、それを読んだところで、『美濃』がさっぱりわからなかったと思っている人にとって『美濃』がわかるようになるわけではない。

「わからない」と思っている人は『美濃』を捕えよう把握しようとしている。しかし風景を前にして「いいなぁ」と感動しているとき、あなたは風景を捕えたいと思っているだろうか。ましてそれがプールや池や川や海だとしたらどうなるか? 捕えるのでなく、あなたにできることはその中で泳ぐだけだ。私はいつも小説を音楽と同じだと言うのだが、音楽がいいと感じているとき、音楽評論家でもないほとんどの人たちは音楽を捕えようなどとは思わず、ただくり返し聴くだけだ。音楽評論家がその曲について書いた文章を読んだところでその曲と関係ない、評論家の心に去来した心象風景などが書かれているだけだ。

『美濃』はほんの数ページ読んだだけで、捕えようという思いがつまらない思いであるという雰囲気がみなぎっている。小島信夫風に言うなら「捕えられるものなら捕えてみろ」と言っていると言ってもいいかもしれない。

「傑作を書くのを、どうして恥かしがるのか。」

という文がはじまって間もない12ページに書かれている。読者はふつうこれを「傑作を書くことをためらうな。」という意味に読むだろう。しかし傑作を書くことにためらいを感じていない人がこんなセンテンスをわざわざ書くわけがない。著者は傑作を書くことをためらっている、つまり “傑作” というものに対して疑問を感じている、もっと言えば、 “傑作” というものを指標とする文学観がおかしいんじゃないかと思っている。

ギリシア悲劇は傑作である。というよりも、傑作という概念のひとつのひな型がギリシア悲劇だ。

『オイディプス王』を思い出すとじつにわかりやすいが、主人公オイディプスが舞台に立っているこの最後の時間に向かって、それ以前のすべての出来事が抜き差しならない因果関係によって収束する。カタストロフィーつまり悲劇的な結末という一点から過去を振り返ると、すべての出来事が緊密に結びついているとしか映らなくなり、人は長い歴史を通じて、それを “運命” と言い習わしてきた。が、いまだ結末を知らない現在時として出来事の渦中にいたときを正確に思い出せば——ということは、結末に毒されていない明晰な目で一連の出来事を見れば——、結末へと収束しなかった事柄もまたいっぱい見えてくる。

傑作を書くことに対する著者のためらいや疑問の理由のひとつはここにある。ギリシア悲劇のように結末に向かって収束する作品世界、その時間構成をしてしまったら私たちが生きて生活している複雑さ、というよりもむしろとりとめのなさをじゅうぶんに書くことができないと著者は感じているのだ。だから著者はどこに向かうとも知れない現在時から小説を書きはじめる。

というこの書き方は『別れる理由』の長期にわたる連載を通じて著者が身につけたものだ。ここで傑作を書くことに対するためらい・疑問の理由のふたつ目が出てくる。傑作は充実感・満足感ともにとても高い、しかしそこに落とし穴があるのではないか? とでもいうような何かだ。

話は文学と全然関係ないように見えるジャズのことになって恐縮だが、六〇年代を代表するミュージシャンにジョン・コルトレーンとエリック・ドルフィーという二人がいた——こんなことを書き出すと、「おいおい、いい加減にしてくれよ。ジャズなんかどうでもいいから文学の話をしろよ。」と思っている人がいるだろうことは私も承知しているが、この程度の迂回をまどろっこしがっていたら『別れる理由』以後の小島信夫は読めない。真っ直ぐ無駄なく目的に向かう話など、書き手と読み手の予定調和の域を出ない。まどろっこしいと感じたとしたら、あなたはいったい小説・文学、広くは人の話に耳を傾けるという行為をどういう性質のものだと思っているのか?  人が何かを語りはじめたら、語り手によって鼻面を引き回されるようにあっちに行ったりこっちに行ったりするのを覚悟しなければならない。そうでないかぎり、既存の枠組( “傑作” などのことだ)によってはこれまで語られることがなかった何ものかを聞き出すことはできないだろう。

ジョン・コルトレーンは日本ではかつてひじょうに人気があり、今でも決して人気がないわけではなく、ジャズを聴かない人でも名前ぐらいは聞いたことがあるだろう。「日本人好み」という言葉を敢えて使わせてもらうが、コルトレーンには日本人好みの求道性があった。エリック・ドルフィーとなるとコルトレーンほど知られてはいないが、ジャズに一歩踏み込んだ人の中ではコルトレーンと同等の人気があり、その求道性はコルトレーンを凌ぐと言っても過言ではない。そして二人とも早世した(コルトレーン四十歳、ドルフィー三十六歳)。

一方、コルトレーンの同時代にオーネット・コールマンというミュージシャンがいた。いわゆる “フリー·ジャズ” の命名者であると同時に創始者であり、コルトレーンより四歳若く、ドルフィーより二歳若い、一九三〇年生まれながら、いまだにバリバリの現役だ。コルトレーンとドルフィーはたぶんあまりジャズを聴いたことのない人でも「あ、こういう風に聴けばいいのかな?」と、好き嫌いとは別に何となく感じがわかるはずだが、オーネット・コールマンはそこがとらえにくい。だから私も長いこと敬遠気味だったのだが、ここ四、五年、どんどんオーネットの深みにはまっている。

オーネットの最近のCDを聴くことによって、彼が六〇年代から七〇年代にやっていた音楽も聴けるようになり、音楽との接し方も変わった。

作品というのは、文学・音楽・美術……etc、すべてのジャンルに共通して、集中力と持続力と作品を作品として束ねる(つまり、作品を空中分解させない)求心力の産物だ。この三要素が最も凝縮された境地がさっきコルトレーンとドルフィーについて形容した求道性ということなのだが(私がいま使っている「求道性」という言葉は本来の意味から離れているかもしれない)、オーネット・コールマンは、非ー集中、非ー持続、非ー求心によって作品を作ろうとしてきたんだということが感じられるようになった。ジャズはよく知られるようにアドリブ演奏だから、オーネットのCDは “作品” という完成形でなく “演奏” つまりプロセスにシフトすることになるというか、彼のレコードは最初からそういうものだった。

このアドリプ演奏というもののイメージが問題なのだが、求道的奏者は “一回性” を目指す。特定の日付がある××年×月×日のどこそこでの演奏こそ、あたかも音楽の神が降りてきたかのような高みに達した、と記憶されるべくミュージシャンはアドリブ演奏をする。一方、オーネットは「こんな演奏、何度でもできるさ。」と言っているかのように力が抜けている。しかしその演奏はオーネットにしかできない。しかもオーネットの演奏もまた毎回違うのだが、それは決して “一回性” という美学に収斂するのでなく、何度でも可能なように、そのつどの演奏をして見せる。

もうすでに私は小島信夫のことを語ってしまっている。傑作というのは中毒性があるだ。傑作によってもたらされる充実感・満足感には、読者だけでなく書き手をも依存させてしまう何ものかがある。なぜそれがいけないのか? 傑作はギリシア悲劇のように緊密な作品構成によって作品内の要素を単純化したり切り捨てたりするだけでなく、作者が人生や生活を見る目、ものの考え方までも単純化してしまう。「依存」という否定的な言葉をわざわざ書いたのはそういうことだ。

小説を読むということは、読み終わった作品を「いい」とか「悪い」とか評することではない。それは小説の【外】にある行為だ。そうでなく、小説を読むということは作者といっしょに作品内の時間を進んでゆくことだ。「そんなことは小説家だけがすべきことで、読者はそんなことしない。」という反論はあまりに批評家的思考(あるいは読書感想文的思考)に毒された考え方だ。小説を「いい」「悪い」などと評することに関心がなく、自分がいいと思う小説をただひたすら読んでいる人を想像してほしい。その人たちはまさに小説の【中】で、作者といっしょに先の見えない時間、批評家的に一言で言えない時間の進行に身をまかせている。そのように読む人こそ生活の中で小説を読むことを必要としている。ギリシア悲劇のように、生活と別種の劇的な時間をひととき経験するためでなく、生活と切り離されていない時間を読むことにより、生活の時間が重層化され、考えが重層化されてゆく。

私は小説を読むのにキーワードや特定の概念を使うのは反対だが、ためらいつつも「重層性」というのをひとつのキーワードにしよう。著者・小島信夫はいかにもだらだらととりとめもなく『美濃』にかぎらず『別れる理由』以後の作品を書いていくのに、どうしてこうもおもしろいのか。読み出した途端に、他の小説では経験したことのない時間というか空間というか、そういうものに引きずり込まれた感じになるのは何故なのか。

小島信夫はいかにも自分の身辺のことばかり書いているようでいながらじつは篠田賢作なる人物を立てて篠田賢作に語らせている。篠田賢作が著者に向かってしゃべる話や著者に書いた手紙を読者は実際のこととして読むのだがじつはこれらはほとんどすべて著者の創作だ。たしかに著者の郷里には篠田賢作に相当する人物がいて、小島信夫についての資料を集めていた人がいたが、小島さん本人から聞いた私の記憶ではその人は小島信夫よりも先に亡くなった。もちろん『美濃』執筆当時は生きていたが、大事なことは篠田賢作の発言も手紙も著者の創作ということだ。

そんなことあたり前だと思う人がいるかもしれない。小説というのはいくらフィクション=作り事だといっても根っこには事実があるはずで、作中人物にも当然モデルがいて不思議ではないと。そういうことではない。篠田賢作は完全にフィクション化された人物として、モデルとなった実在の知人と切り離されているわけではない。篠田賢作はフィクションとして完全に自立せずに実在の知人でもありつづけている。

小説というものははっきりとフィクションになってしまいさえすればフィクションとしての安定を得ることができる。私小説や評伝のように事実としての方向をしっかり持っていれば安定していることは言うまでもない。事実からフィクションへと離陸しようとする瞬間を全うさせず、事実の中にフィクションへの離陸の瞬間を内包させつづけている状態が作品を最も不安定な、つまり動的な状態に置いておく。その状態を持続させることで書き手も読者もともに、フィクションによって何を期待しているか? とか、フィクションによって何が台無しになるか? というようなことを考えもする。

明らかなメッセージとして「考えろ」と作品が語りかけてくるわけではないが、いわゆるフィクション然とした小説や私小説のように事実にべったりついた小説と『美濃』の手触りの違いについて考えないわけにはいかず、それは『美濃』を読み進める時間の中だけでは解決されるべくもなく、それについて読者は読み終わったあともずうっと考えつづけることになる。読者だけでなく書いた本人である小島信夫も考えつづけた。それは間違いのないところだ。それは『美濃』を読むという行為が完結せず、ずうっと行為の中にとどまることだと言ってもいい。「そんなわずらわしいことはしたくない。」と言う人は、そも

そも「美濃』を読み直すことができないだろうし、それでかまわない。すべての小説がすべての読者に易しく開かれているわけでなく、読者——読者の態度——を選ぶ小説があるということを読者は知る必要がある。

私は話が逸れてしまった。「重層性」についてもっと書いておくべきことがあった。著者は自分が日頃考えていることとかいまこの『美濃』を書きながら考えていることとか——もっとも前半は『美濃』でなく『ルーツ 前書』だ——をとりとめもなく書いているようだが、いわゆる独白とか内面の表出というような感じとは全然違っている。このように構成がはっきりせず、どこに向かうともしれない話というか文章の連鎖が内面の表出だったら誰もそんなものにつき合わない。

『美濃』で書かれていることは、一見著者の考えをとりとめもなく書いているようなところがじつはほとんど、他の人の言ったことであり、本に書かれていることなのだ。そして他の人の言ったことのときにはそれが語られた情景が書かれていたり、本のときにはそれにまつわる経緯が書かれていたりする。人にまつわる情景とか本にまつわる経緯とかを書かず、必要な意味だけを書いていけば話はもっとずっとすっきりするかもしれない。しかしすっきりするということは同時に話が直線的になって、痩せてしまうことでもある。というか、意味だけですっきり繋げていってしまうと話は著者の手の内から出ていかない。

書くということは著者の事前の予想をこえた地点まで著者自身を連れてゆくことだ。人が語ったときの情景を書いたり、本が自分の手元にやってくるまでの経緯を書いたりすることで、著者はギリシア悲劇的な完結した過去としてそれを記すのでなく、どこに連れてゆかれるとも知れない出来事の連鎖に身を置くことになる。

小説の主人公は出来事の中心に位置するのがふつうだが、現実を考えてみればそんなことは全然なく、自分というのは残念ながら出来事の一画に参加しているにすぎない。美濃ないし岐阜という郷里との関わりを書くことでそれがいっそう明確になる。

しかし、この小説はとりとめがないことは認めるとして、だらだらとしているだろうか? 小島信夫の小説は初期から一貫してそうなのだが、突如として速くなる。ごくささいなことのはずなのに狂躁的な騒がしさが突然やってくる。その瞬間に出合う喜びは何ものにも換えがたい。

私のこの解説文は小島信夫の小説に向かう態度や方法論について書いたものだが、狂躁的ページに出合うと、「そんなことどうでもいいじゃないか」と思う。

小島信夫は「たくらみ」という言葉をよく使ったが、たくらみにしろ方法論にしろ結局のところ中身——ということは読んでいる最中に襲いかかる喜び——がなければ、ただ痩せた考えでしかない。たとえば、「ルーツ 前書(四)」の後半部、ページで言えば120ページの「私は誰かの説の受売りかもしれないといくぶんおそれてはいるものの、……」から章の終わりまでの部分、これは112ページの「シナの百科辞典」についての話あたりからはじまり出すのだが、この七ページの狂操はなんだと思う。

たいしたことが書かれているわけでもないのに、ブラスバンドがあちこちで高らかに不協和音を吹き鳴らしているような騒々しさに満ちる。このようなページに出合うと私は、小島信夫とは誰も真似することができない奥義に達した、天性の小説家なんだと感服する。