2021/11/05 【小説的思考塾メモ 死について】

3年前に鼠径ヘルニア(つまり脱腸)の手術で全身麻酔かけられた。約2時間(3時間だったか)、眠ったのでなく、完全な「無」だった。私はその間どこにもいなかった。怖れる主体も悲しむ主体も、全くなかった。
今までツイートしてきたことと真っ向から矛盾するが、私は自分は、死んだら「無」になるんだとしたら、それはそれでかまわないと思っている。死は(死後のことは)とうてい手が届きそうもという前提に立つなら、矛盾を避けていたら考えは先に進まないし、積み重ならない。
矛盾したり飛躍したり、脱線したり、夢の思考のように意味不明なことを思いついたり口走ったり、何でも動員して、ラグビーのぐちゃぐちゃの密集状態みたいに考える態度が必要だと思うのだ。配信は明日👇

小説家 保坂和志による小説的思考塾の配信版 vol.5です。入金するとPeatixから確認メールが届きます。そのメールに【イベント視聴ページに移動】というリンク…
peatix.com