【1】文章には2つある★(A)読まれないと意味がない文章★(B)読まれなくてもそれ自身として自律している文章
(B)は基本的に小説(+詩、日記)(A)は新聞・雑誌の記事で天声人語も含むんだが、
小説を(A)だと思ってる人は実態として多くて「読者の共感を得る」とか言うんだが
★共感には深みはない
小説は共感でなく、読者と困難な時間を共有することで、そういう読者が今いなくても、いつか出会う
小説は「書く」もの「書きつつ考える」もので、「読まれることは最優先ではない」と割切ることができれば、小説は人生の伴侶となりうる
【2】ピカソがマティスに言った「あなたは晩学で必要なテクニックが身についていないというのはむしろ幸せなことだ」という言葉の意味
★ピカソが言ったのは テクニックは、生々しい感触の邪魔をするということ
★テクニックを持つことで、自分が「正しいことをやっている」という口実を自分と周囲に向けて作ってしまう
そんなものに頼っていたら、本当に描きたいことは置き去りになる 小説も全く同じ
一見、常識の逆を言ってる言葉に出合った時、裏読みしてたらダメになる まっすぐその意味を考えてください
裏読み1]あなたはこれから、いっぱいテクニックを習得することができる
裏読み2]人から注目されている人は、みんなの常識の逆を言って、人の注意を自分に引き付ける術に長けている
裏読みは、たんに狡猾なだけで、物事の真理や本質に迫ることはできない★★芸術家は愚直なのです
【3】★うたの途中で語りが入ると、なぜだろう、歌手が突然真実を語り出した気にさせられる(『ソングの哲学』)
こういう一節は忘れないように、メモしたり写真撮ったり
この一節を作品に引用したいとかでなく、→★小説をめぐっていつもあれこれ考えているスクラップ(切り抜き)
【4】オスカー・ワイルド『幸福な王子 The Happy Prince』は、どこが「幸福」なのか?
という疑問を私自身は全く感じないが、どこが幸福なのか、分からない人もいる。
★(小説は、題名が中身を決めるのか?中身が題名の意味を再定義するのか?→語の概念の深化、拡張、転換
他にも、これは自己犠牲の話だから嫌いという批判、美談は現実にある悲惨を隠蔽するだけだという
ポリコレ的な憶測…等々、言おうと思えば色々言えるが→ここにはそれよりずっと大事なものがある
★『幸福な王子』は自己犠牲の話ではない、ということから話そうと思う。(女性は自己犠牲を強いられている)
★書くことの根源にある無垢や素朴な感情だ★★★みんなそれを忘れるーその話をしたい
【5】文学の中の問いが、書籍の流通サイクルに操られて、
悪、恐怖、不安、憎悪、狂気…みたいなのばっかりで、問いの設定に独自性・創造性がない。
そこで褒められる(目立つ)解答を書くという態度が本質的に隷従的で、文学・芸術・表現を志す人のものでなく、教室の中の優等生のものだ。
【善を為す】ことの道筋を小説を通して考えよう。 【善】は無防備で、批評性の外見をしていない
【善】は、素朴で単純で小さな実践で、事件性・伝達力・話題性に乏しい
「書く」前提ではそう見えるが、小さなことでもやってみると、もの凄く豊かな源泉であることがわかる。
そこに言葉を与えるには、どうすればいいか?
【6】■文学賞問答
保坂和志 「文学賞はどうして、候補作の中で、つまらないものが選ばれるんでしょう?」
小島信夫 「賞の選考委員になると、小説家としてでもない読者としてでもない、選考委員として読んでしまうんですよ」
これと同じなんだが、人は書くときに、読むときと違う人になっている。普通に生きてる自分とも、感じたり考えたりしてる自分とも、違う人になっている
新人賞の選考は、二次通過作の方が一次通過より優れている、とは一概に言えない
選考委員もその前段階の下読みも、いい加減にやってるわけではない、真面目だ、しかし真面目なら良いというものではない
文学賞に関わる人はみんな、素の自分を離れ、役割[=小説の掟の門番]を演じてしまっている
【7】最近みんな文学賞が何ものかだと思いすぎている。
文学賞が何か権威だと思う風潮がやたらと強く、これは社会の保守化の顕れの1つだと思う
「じゃあ、賞は何のためにあるのか」と反論するだろうか
★親密な交流があって、創作行為が普通にリスペクトされる環境を思い描いてみれば、賞は必要なくなる
そんな社会は夢かもしれないが、★夢だと言って切り捨てたら、創作・表現・芸術はそもそもの根拠を失うことになる。
【8】『プレーンソング』は3ヶ月かかって前半(160枚)を書いて、9ヶ月休んで後半(160枚)をまた3ヶ月で書いた
それまで私は100枚を1ヶ月で書くのが我慢の限界で、3ヶ月間ゆっくり同じ小説を書いていられることがわかって、
★「これで小説書くのを生涯の趣味にできる」と思った
何人か編集者の知り合いがいたので、『プレーンソング』の前半を書いたとき見せたが、ピント外れな反応ばかりで、
★「自分の小説が文芸誌に載ることはないし、それはそれでかまわない」と考えていた
当時の文芸誌は本当に魅力がなくて、事実あの時点で「文学」は終わっていた
学生時代に同人誌を出したことがあり、そのうちに同人誌出すか、簡易製本した本にして、わかってくれそうな人に配ろうと思っていた★★詩集はそういうものだし、必要なことは文芸誌に載ることでなく、書き続ける動機の維持とその拠点を作ることだと思っていた
【8】2 江藤健太郎くんは新人賞に応募して落ちて、
「だったら、自分で出版する!」
と突然吹っ切れて『すべてのことばが起こりますように』を自分で出版した。→ここで注目すべきは、
★新人賞応募という束縛が消えた途端に、小説そのものが激変して、自由になった
【8】3 PINFUくんと野本泰地くんはこの思考塾の懇親会で知り合い、『小島信夫を読んで考える』という往復書簡を始めて、それを本にした
★2人は一見とりとめないが硬い芯があり、権威や時流に迎合しない姿勢が貫かれている。
