以下の引用は『新たな距離』のパートⅢにある「日記と重力」という文章の1段落。
正岡子規の俳句で始まって、アラカワの「死なない」に延びてゆく。
正岡子規のいう「写生」とは、風景を散歩し見つめる日々の体と、風景の側にある植物や生き物、さらには季節や風習のような抽象概念までもが俳句を介して相互に摩擦し合う、その結果として各々の持つ持続性が各々の外に《世界の全構造の秘密》として作られ直していくプロセスだった。
これは自分が存在するより前に書かれた文章が膨大にあることが自然に伝わってくる文章だと思う。
繰り返しになるが(6/8投稿参照)読者に向かってイキっている感じは全くなく、視線はあくまでも遠く、〈言葉ー表現ー存在〉総動員で「死なない」を考えている。