2024.03.11古谷利裕の連続講座の2回目【「虚の透明性/実の透明性」を魔改造する】

古谷利裕の連続講座の2回目【「虚の透明性/実の透明性」を魔改造する】
3/23(土)👉 https://inunosenakaza.com/modern-painting/lecture2
ここに書いてある説明はわかりにくいが、2/26の偽日記を読んで、意味してることがわかったかもしれないと思った。
(違ってたらすいませんm(*_ _)m)
2/26👉 https://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/2024/02/26/000000

映画の室内は〈地と図〉の〈地〉だから、見る人は家の構造まで想像しないが、役者の動きから家の図面を引いてみると、部屋の配置はありえないようなことになる。
文章でも、意味(図)に注意がいくから、文章を成立させる基盤(地)まで考えが広がりにくいが、例えばポリコレの指摘は、図以前の地への関心だ。
これはしかし問題の矮小化で、意味を成立させる基盤としての文章等の〈地〉への注意は、思考の生成として大きな可能性を持つ。