2024.02.11『鉄の胡蝶……』67回目(『群像』3月号③)

カフカ、ベケット、小島信夫、深沢七郎この4人は、作者の意図、主体の行動の意図や目的、因果関係による筋立て、で読むから、批評家はほぼ全員間違う。
それは同時にまわり近所の世間の目で自分がどう見られるかというさもしい根性であり、それは深沢七郎が生物学的次元に落とした人間の行動で、だからそれは子どもが巣立ったあとの巣で命を使い果たしてボロボロになって死んでいる親の姿に通じる、そして崇高である。
個人の意志が主体的に選んだ行動なわけでなく人々は「そんなことをしたらみっともない」と世間の目を気にしただけのことでそれは意志による選択だとはとてもいえないが結果としてやったことは動物が崇高であるような崇高さを帯びる、

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