そしてこの小説にはタランティーノの映画『キル・ビル』のようなキッチュな日本まで紛れ込む(ただし『キル・ビル』よりこの小説の方が先に書かれている)。『キル・ビル』にしろこの小説の日本人のシーンにしろ、日本を知らない人たちはどういうつもりで受け止めるのかわからないのが歯がゆいところだが(同じようにキッチュなアメリカやキッチュなロシアが描かれているときに日本人はどれだけそれをわかって楽しめているんだろう)、日本人である私としては 作者が特別に日本に向けてサービスしてくれているみたいに楽しくなる。しかし(誤解しないでほしいのだが)タランティーノは当然のこととして、この作者ペ レーヴィンもまた日本ないし日本文化に対するリスペクトがあるから、こういうキッチュな日本を描きたくなるのだろう。まず何しろ日本について何も知らなけ ればキッチュも何も描きようがない。「国家の品格」だの「美しい国」だの言っているいまのスカスカの日本を彼らはさぞかし嘆いていることだろう。
またまた見る幻覚の中で(幻覚部分はゴチックになっているのですぐにわかる)「僕」(あるいは「僕」の世界の主人公)は今度はセルジュークという男であり、日本企業「タイラ商事」の採用面接に行く。そこではカワバタなる男が日本刀を抜き、日本文化についての思弁を語りつづける。そして日本酒が出てくる。
「ご存じでしょうが、日本ではサケは温めて飲むものです。当然、壜から直接飲む者などどこにもいません。まるっきり作法に反したことです。表で飲むなど、不名誉以外の何物でもないのです。ですが、じつはひとつだけそれを面目を失わずにできる古くからの方法があります。〝休息の中の騎士〟と呼ばれる方法です。あるいは〝騎士の休息〟と訳すこともできるでしょうか」
セルジュークに目を向けたまま、カワバタはポケットから壜を取り出した。
「大詩人アリワラ・ナリヒラがイセへ狩りに遣われたときのことです。長い道のりだったので、彼は馬で行きましたが、道中何日もかかりました。夏のことです。友人一行との旅でした。ナリヒラの高潔な心は、愛と悲しみに満ちていました。騎士たちは疲れると、馬から下りて粗末な食物とサケを数口、口にすることで力をつけました。その際、追い剥ぎを招かないように、サケは火を起こさず、冷たいままで飲んでいました。そんなとき彼らは、まわりにある目に見えるものや心にある思いについて、みごとな詩を詠んだと言います。そうして彼らはふたたび旅路にもどっていったのです……」
カワバタは瓶の栓をひねってあけた。
「そうした故事に由来する伝統です。温めずにサケを飲むときは、古代の男たちのことを考えなくてはなりません。そしてその思考は、世界の儚[はかな]さを思いながらもその美に惹かれる際に心に浮かぶ高潔な悲しみへと流れていかなくてはなりません。では、ともに……」
カワバタが器と内容物と空間と空虚について語るくだりの方が今回の話には即しているように見えなくもないが、どうせ意味があるようなないような話でしかないし、部分を抜き出すにはここの方がわかりやすくおもしろい。
このキッチュさを存分に味わったあと、次に引用する荘子の話が出てくる。それにしてもロシアやヨーロッパの人たちはこういうくだりをどういう気持ちで読むんだろうか。もっとも老荘は案外有名だから問題ないのか。
「本当のところ、何が本当なのか」とチャパーエフはくりかえして、また目を閉じた。「おまえがこの問いの答えを理解することはあるまい。本当のところ、どんな『本当のところ』も存在しないのだから」
「どういうことです?」
「やれやれ、ピョートル……。昔、中国に荘子という同志がいたんだ。彼にはよく見る夢があった。自分が草原を舞う蝶になる夢だ。だがそいつは目が醒めても、これは蝶が革命に従事する夢を見ているのか、それとも地下活動家が花から花に飛ぶ夢を見ているのか、よくわからなかった。だからこの荘子は、モンゴルでサボタージュのかどで逮捕された際、尋問に対して、自分はこの世界を夢に見ている蝶だと答えた。尋問をしたのはユンゲルン伯爵だった。伯爵には理解の深いところがあったから、ではなぜその蝶は共産党を支持しているのかと訊いてやった。彼は、その蝶はべつに共産党を支持してなどいないと答えた。今度は、ではなぜその蝶は破壊活動に従事しているのかと訊いた。すると荘子はこう答えた、人の業[わざ]などなべて曖昧なもので、何をするかなどにたいした意味はない」
荘子の胡蝶の夢は〝胡蝶の夢〟はこの小説の中でくり返されるモチーフだ。〝胡蝶の夢〟は日本人としてあるいは東洋人としてよく知っているつもりになっているが、本当のところどうなんだろうか。元の話は『荘子』内篇の第二章「斉物論[せいぶつろん]篇」の最後に出てくる。斉物論というのは万物斉同、絶対無差別の論理のことだ。
いつか荘周[わたし]は、夢のなかで胡蝶になっていた。そのとき私は喜々として胡蝶そのものであった。ただ楽しいばかりで、心ゆくままに飛びまわっていた。そして自分が荘周[そうしゅう]であることに気づかなかった。
ところが、突然目がさめてみると、まぎれもなく荘周そのものであった。
いったい荘周が胡蝶の夢を見ていたのか、それとも胡蝶が荘周の夢を見ていたのか、私にはわからない。
けれどの荘周と胡蝶とでは、確かに区別があるはずである。それにもかかわらず、その区別がつかないのは、なぜだろうか。
ほかでもない。これが物の変化というものだからである。(森三樹三郎訳、中公クラシックス)
〝胡蝶の夢〟の意味を確認する前に、「斉物論篇」の導入部を引用したい。この引用を『荘子』としてではなく、『チャパーエフと空虚』のカワバタとセルジューク・のやりとりとか、『キル・ビル』の千葉真一とユマ・サーマンのやりとりのつもりで、配役にキッチュな衣装を着させて読むとおかしくて笑える。
南郭子[なんかくしき]は机にもたれてすわり、天を仰いで大きな息をはき、ぼうぜんとして、いっさいの相手の存在を忘れ去っているかのようであった。 顔成子游[がんせいしゆう]は、師の前に立ち、かしこまっていたが、このありさまを見ていった。「いったい、どうなされたのでしょうか。どうすれば、このように身体を枯れ木そっくりにし、心をまるで冷え切った灰のようにすることができるのでしょうか。いま机にもたれかかっておられる先生は、先ほど机にもたれかかっておられた先生とまるでちがっているように思われます」すると子は口をひらいた。
「偃[えん]よ、お前も見どころがあるよ。そのような質問をするのだからな。いま、わしはわれを忘れていたのだ。それがお前にわかったのか。だが、お前は人が奏[かな]でる音楽(人籟[じんらい])を聞いたことはあるにしても、地の奏でる音楽(地籟)を聞いたことはあるまい。また、たとえ地の奏でる音楽は聞いたことがあるにしても、天の奏でる音楽(天籟)は聞いたことがあるまい」
そこで子游[しゆう]は「どうか、その三つの音声についての道理を、お聞かせ願いたいと存じます」といった。子_[しき]はこれに答えていった。
「大地の吐く息を、名づけて風という。この風が起こっていないときは、何事もないけれども、ひとたび起これば、地上のすべての穴が怒りの声を発する。お前も、あの大風のひゅうひゅうといううなり声を聞いたことがあるであろう。
風にざわめきたつ山林のうち、百抱[かか]えもある大木には、無数の洞穴[ほらあな]がある。その穴の形も、鼻に似たもの、口に似たもの、耳に似たもの、枡形[ますがた]に似たもの、杯[さかずき]に似たもの、臼[うす]に似たもの、くぼみに似たもの、溝[みぞ]に似たもの、さまざまである。
その発する音も、激流のひびきのようなもの、矢のうなりをたてるもの、叱[しか]りつける声に似たもの、息を吸うのに似たもの、叫び声を思わせるもの、泣きわめくもの、深くかすかなもの、哀切のひびきをもつもの、さまざまである。先だつものが、『えい』と呼べば、これにつづくものは、『おう』と答える。そよ風が吹けば、穴もこれにやさしく答え、疾風[はやて]が吹けば、穴も大声で答える。
やがて激しい風が通りすぎると、すべての洞穴は、ひっそり静まりかえる。そのあとには、ただ木々の枝が、音もなくゆらぎ、ひらひらとするのを見るだろう」
いまの中国では老荘思想はどうなっているんだろうか。ある鍼灸師から聞いた話では、鍼灸は中国大陸では破壊状態で正統的な技術は台湾にしかないということだ。蒋介石が台湾に逃げるときに主だった鍼灸師を全員連れていってしまったのだそうだ。
日本人だって、日本人であるという理由と子どもの頃からいろいろな言葉を耳にしているという理由だけで老荘思想を知ったつもりになっているけれど、『チャパーエフと空虚』の著者ペレーヴィンの方がはるかに詳しいし本気で読んでいる。あと二、三百年もすれば老荘研究の中心はヨーロッパかアメリカに移っていることだろう。いや、もうすでに移っているか。中村元の『龍樹』を読んでいるとサンスクリット語による原典の研究はヨーロッパの方が進んでいるらしいことがわかる。もともと、仏教に対しても老荘に対しても、日本人は外国人なのだし。
引用部の「人籟」「地籟」「天籟」についての説明を日本人である私たちは難解とも不可解とも思わないどころかけっこうよく知っているような気持ちで読む。しかし本当にわかっているのだろうか。これがわかっているということは老荘思想をわかっているということだろう。老荘思想をわかっている人間がどうして自我がどうしたこうしたと言う必要があるのか。あるいはまた、土地所有がうんぬん、知的財産権がうんぬんと言う必要があるのか。
仏教や老荘の言葉は企業の社長になって日経新聞がインタビューに来たときにでも彩りとして演出する小道具でしかないのではないか。もっともヨーロッパ人にとっての聖フランチェスコの言葉やシェイクスピアの言葉も実情は同じなのかもしれないが。とにかく文学というのは書かれた言葉を本気で受け止めようとすることを出発点にしなければ意味がない。文=知は武と同等かそれ以上に命がけなのだ。
『チャパーエフと空虚』を読むまで私は〝胡蝶の夢〟を観念論の話だと漠然と考えていて、それ以上考えたことがなかった。
石川淳に『前身』という短い小説がある。「長助の前身はすつぽんであった。」というすごい一文で始まる話で、かつてすっぽんとして淀川に住んでいたときに嫌な侍[さむらい]につり上げられ殺されかける。そしていまは長助として生きているのだが何をしてもうまく行かずあばら屋に暮らしている。腹をへらしていると裏の空き地の梨が実をつける。その梨を売りに出かけるとすっぽん時代に釣り上げられた侍によく似た男が出てきて梨をまきあげられてしまう。しょげて腹をすかして帰った長助はこういうことを考える。
「長助はたれかに夢の中で見られてゐるやうな氣がした。もしや夢にでも見てくれるものがあるとしたらば、それは梨の木のほかには無い。といふのは、長助の身のまはりには、はだかの梨の木のほかになにも無かつたからである。長助はふつと、もしやわが身は未來には梨の木にうまれかはるのではないかと、うたぐつた。意外なことに、このうたがひは長助の氣に入つた。さうとすれば、このおのれといふやつは、未來の後身が夢に見るであらう前身を現在に生きてゐることになる。」
すっぽん時代の事情などはしょりすぎて何もわからなくなってしまったが、とにかく小説の終わり間近で長助はこういうことを考えた。これは〝胡蝶の夢〟と同じことではないか。
いまここにいる自分という存在は、他の存在(蝶・梨の木)が夢に見ていることにすぎないのではないか、という思い。これもまた観念論なのかもしれないが、バートランド・ラッセルの〝世界五分前仮説〟とは逆向きだ。読んだときの気持ちも息苦しさとは遠く離れて、胸が空洞になって風が吹きすぎていくようだ。
これが観念論というのなら何の観念なのか?「人籟」「地籟」「天籟」の引用部を見れば、荘子にとって世界はある。世界とはその実在を疑う対象ではなくて、耳をすませてその語るところを聞くものだ。ということは、世界の観念ということになるだろうか。
言葉というのはすごいものだ。私はさっき「『チャパーエフと空虚』を読むまで私は〝胡蝶の夢〟を観念論の話だと漠然と考えていて……」と書いたけれど、正確には「『チャパーエフと空虚』を読むまで」ではなくて「読んでそれについてこうして書くまで」漠然とした考えにとどまっていた。毎回そうだが言葉によって私は書く以前の時点では考えていなかったところまで引っぱられていく。それが自分の中で定着するかどうかは別として。『中論』で言っていることについても書いているうちに眉唾物ではないことがわかった。
言葉によって引っぱられて言葉の外に確かに世界があることがわかった――わかったと言いながら私はしかし同じ作業ばかりくり返しているのだが。
絵とか音楽などの芸術はそこにある。小説もそこにある。ペレーヴィンが「最も不快なのは、そうした感覚をおぼえているのが自分ではなく、薬が生んだほかの人格であるかのように感じられることだ。」と書いたり、川上弘美が「歩いていると、ついてくるものがあった。」と書いたり、岡田利規があのように書いたりするときの言葉は、ふだん私が確実に世界を認識していると思い込んでいる、イメージでいえば同心円の中心に私がいると感じているときの言葉ではない。絵や音楽によって何かを感じ、その感じは言葉で説明することはできないと了解しているときと読者の心は同じ状態にある。
それで〈存在〉とは何なのか?「あなたはもう存在についてわかっているんだよ」と言われるかもしれないし、「いつまでたってもあなたは存在についてトンチンカンなことばかり考えている」と言われるかもしれない。ひとつ確かなことは、私は〝世界五分前仮説〟についてもうこれ以上時間を費やすべきではない。〝世界五分前仮説〟が哲学というか、人が考えたり感じたりすることに何らかの貢献をしているとしても私が考えようとしていることとはあまりに違いすぎている。
もう二年か三年前になるがレンブラント展に行って『修道会の少年』とかいう絵を見たときに「この少年がかつて確かにこの世界に生きていたんだ」という思いがとても強く、はっきり生まれてきて私は感動した。ハイデガーが言う〈存在〉とはこの延長線上にあるもののことなのではないかと思った。ハイデガーの言う「大地との抗争」とか「隠蔽性との抗争」ということとあの少年の絵が繋がっているのかいないのかは全然わからないが、世界を実感するとはこういうことではないかと思った。
それから一年後くらいに京橋のブリヂストン美術館でいろいろな絵を見たとき、ピカソのたしか道化師を描いた絵だったと思うがそれが、形をなぞっているだけの絵にしか見えなかった。そのすぐ近くにマチスの絵があり、それも全体としてはマチスとしての形をなぞっただけのようにしか感じなかったが、背景の赤だけは何かと拮抗しているように感じられた。
そのとき強くきたのはセザンヌの額に入った小さな絵のサント・ヴィクトワール山の稜線だった。そこだけは確かに、対象と拮抗していると思った。作品全体としてでなく、稜線を描いた筆の動きが山と拮抗していると思ったのだ。ラカンがセミネール『フロイトの技法論』の中で、「全体は対象ではない」ないし「人間という主体を対象化してはいけない」という意味のことを言っているが、それに沿っていうなら、ふつうの画家の筆では対象としてしかならない山が、セザンヌのそのときの筆にとって山そのもの世界そのものだった、ということになるだろうか。(文として何か変だが。)
レンブラントからセザンヌまでの二百数十年のあいだには確かに世界と人間の関係に変化があり、存在に導かれる主体のありようが像の全体でなく短時間の筆の動きに賭けられるようになった、というようなことだろうか。これもまた文として変だが、主観と客観の区別をハイデガーが言うように疑ったり、事象を対象としないつもりで書こうとすると自然と文が規格に沿わなくなる。
セザンヌの筆の動きを思うと、「一瞬の中に永遠がある」つまり、もし人間が不死性を獲得するとしたらこのような瞬間の中にこそあるというような珍しくもない言い方がつい浮かんでくるが、そのようなところに落ち着いてもきっとそれはイメージや考えや世界像を生産しない。
もっと大事なことは、筆が画家をそこに導いた、あるいは、筆が画家にそうするようにしむけた、ということなのではないか。〝胡蝶の夢〟のように言うなら、筆が画家を夢に見た。『広辞苑』で〝胡蝶の夢〟を引くと、「現実と夢の区別がつかないこと。自他を分たぬ境地。また、人生のはかなさにたとえる。」とあるが、はかないのは人生や主観であって、世界そのものがはかないとは荘子では書かれていない。世界は変化をつづけ一点にとどまることはないが幻ではない。もっとも、このあたりは仏教思想と袂を分かつ、「臨界」という意味でcriticalな点だろうが。
しかしそれでは筆は実体なのか? つまりリアルな何かなのか? 私はそうなのだろうと思う。人は測定器のように外界を均一に見るのではなく、見る対象によって見方を変える。
葉が茂る木を見るときには葉の奥に隠れた葉やその奥の枝や幹を想像したり、木が地面から伸び広がる運動を想像したりしながら見る。大きな石を見るときにはその堅さや動かしがたさを思いながら見るが視線そのものは表面で遮断されている。遮断されてはいても硬さや動かしがたさが確かにあると目が見ている。空を見るときには石のような表面を見ているわけではなく、広がりを見たり焦点の結ばれない遠点を見ようとしたりしている。
それらはただ目の働きだけでなく自分の体がそれに触れたときの身体性も動員されている。記憶というなら記憶には違いないが、そこで動員されている身体性は過去のものでなく現在起こっている。この身体性を含めた見ることの全体は、木や石や空からもたらされて可能となる。だから人間が恣意性に任せて加工可能なわけではない。画家の筆はそうした見ること全体の凝集ということだろう。この筆の動きが世界への回路となる。
しかし絵についてこんなわかったようなことを書けるのは私にとって絵があまり身近ではないからかもしれない。確かに絵は音楽や小説と比べて世界との関係が具体的ではあるけれど、音楽や小説について私は絵について書いたようなことを書けない。画家にとって筆が実体であるように、音楽家にとって実体なのは楽器だろう。
では小説家にとって実体なのは何か? 言葉。と答えるのは簡単だけれど、もしかしたら〝胡蝶の夢〟のような話の小さなユニットなのではないか。映画のワンシーンよりは少し長く物語よりはずっと小さい。そう言えばカフカが遺した断片もそのサイズだった。〝胡蝶の夢〟やカフカの断片、それらは物語化されないがゆえに私たちを世界へ連れていくのではないか。
「一瞬の中に永遠がある」とか「一微塵にも宇宙あり」とか「蓮の葉の朝露が世界を映す」とか、これらの言葉はイメージを生産するようでいてじつは個々人の言葉の経験に頼りすぎるために貧しいのではないか。『中論』の否定文の積み重ねのような動きもここにはない。とにかく小説として実体をもちうるものとは思わない。
カフカの断片と同じ小さなユニットとしてこれも思い出す。アナイス・ニンの『ハウスボート』(『ガラスの鐘の下で』所収、木村淳子訳、鳥影社)という小説に書かれていた。
何年も前にこのセーヌで入水自殺をしたという身元不明の美しい女、あまりにも美しかったので、死体置場で人々がそのデスマスクをとったというあの女(以下略)