「原因はこの学の仕組み全体を支える主要概念のひとつである」 とアリストテレスは考えた。 「なぜ、原因と結果に分ける必要があるか」 とニーチェは言った。
原因と結果はまあ妥協するとして、質料と形相という二分法をする形而上学は、現代人が聞くときっとみんな、 「?……その不自然さは何だ!……???」となる。
そうなんだが、質料を思考の対象としない思考法は、じつは人が意識して何かを、見よう・聞こう・作ろうという構えになった時、ほとんどの人がそうなっている。 そうでなければ、世に流通している「文学」がこんなにつまらないわけがない。