視覚化されない思考(『小説の自由』12)

小説の理想形

私のこの連載は論述の形式において流れを欠いていて、自分でもたまに歯がゆくなってしまうくらいなのだが、大きな関心においてはたぶん一度も流れを外していない。論述の形式においてふらふら迂回ばかりしているのは私の考え方と書き方がいわゆる「論考」に向いていないこともあるけれど、考えようとしていることがすっきりした線で辿れるほど単純でないことにも原因がある。
前々回で、『冷血』と『罪と罰』の違いから、二十世紀後半の小説が陥った、暴力、犯罪、悪への傾きのことを書いて、その打開としての“自由”についてこれから考えていくというようなことを書いて、それがはっきりとは書かれないまま前回が終わり今回になったわけだけれど、その打開はいきなり書けない。たぶんほとんどの人には通じなくて、ただ唐突としか映らないだろう。
私の関心というのは、ひとつは「小説の理想形」みたいなことだ。それはカフカの『城』とかガルシア=マルケスの『百年の孤独』というような具体的な作品のことではたぶんなくて、そういう小説を読んでいるあいだに訪れる、高揚感というよりももっと大きな、思考がバーッと開かれるような経験のことだ。この関心をもっと小さく言い換えると「近代自我に凝り固まった思考や感受性のあり方をすっぱりと乗り越える小説」ということにもなる。
「〈私〉の濃度」と題して三島由紀夫の風景の書き方を取り上げたのは、この連載の開始間もない二回目のことだったが、この、日本の近代小説の主たる流れのひとつだった強い〈私〉は大藪春彦あたりからエンタテインメント小説に流れ込んでいったのではないかと思う。
「大藪春彦」という固有名詞はいい加減な当て推量でたいした根拠はないけれど、社会の片隅に生きる取るに足りないとみえる〈私〉でも、社会の歪みを一身に引き受けていて、それゆえ「〈私〉には社会と全身全霊を賭けて闘う価値がある」とか「〈私〉が体現している社会の歪みや人間としての苦悩は、小説として書かれ読まれる価値がある」というのがここ二十年か三十年間のエンタテインメント小説の大きな流れであって、そこには三島由紀夫の匂いがする。
それらの小説の主人公たちは、〈私〉が経てきた経験や忘れようとしても忘れられない過去にがんじがらめに縛られている。逆の言い方をすれば、〈私〉を疑っていない。その〈私〉は、日本の近代小説が描いてきた〈私〉と、ぴったりサイズが一致する。私たちが日常で最も普通に名指すときにイメージする〈私〉とも、ほぼ一致する。どれだけ呆れるほど肥大したグロテスクな〈私〉であろうとも、それは私=自我という等式を壊さない〈私〉でしかない。
その〈私〉は近代の人間だから科学的な思考形態が染みついていて、過去それ自体を書き換えようなどとは夢にも思わない。科学的思考の根幹たる因果関係にもひじょうに従順で、「あいつは私を衆人環視の中であざ笑ったからいつか仕返ししてやる」というような原因−結果の論法を律義に守るばかりで、それと別の論法を考えようともしない。そして〈私〉の内面は〈私〉の肉体から一歩も外に出ず、表情や行動や言葉など形あるものとして現われた他者の内面に共感することはあっても、他者の内面そのものと共振することがありうるとは考えない。
しかし〈私〉の内面は他者と同じ言語によってできているのだから、肉体の境界ほどに〈私〉の内面が他者の内面とはっきりと区切られていると考える根拠がないように私には思える。精神や思考や感情などを指すとき「内面」という言葉を使うけれど、人間の内面は内側にあるわけではないのではないか。

日常と地続きの論法

強い〈私〉を犯罪や復讐や身の破滅などへと駆り立てる論法はひじょうに単純なもので、強い〈私〉を主人公とする小説は基本的に事実の激しさや強さ、展開の執拗さなどの“量”で勝負することになり、そこには“質”の転換がない。
吉田秋生の『櫻の園』というマンガで、胸の大きい女の子が、「私の胸が大きいことをからかった男の子のことを、私は一生忘れない」という意味のことを言う場面があって、そこを読んだときには、女性の、男にはきっと一生聞くことがない、女同士のあいだでしか口にされないだろうような、生(なま)の中でも生の言葉を聞いた気がして、なかば動揺しつつ感動したものだが、これもまた「怨みを一生忘れない」という単純な論法に乗ったものであるところは変わらない。
「やられたらやり返せ」「やられたからやり返す」「一生忘れない」……それらは日常の思考を一歩も出ていない。
と、いったん書いてみて、私たちは現実の世界では、やられてもやり返さないことがほとんどだということに気がついた。「一生忘れない」なんて言ったとしても、その舌の根も乾かないうちにどんどん忘れている。……ということは、強い〈私〉を駆り立てる論法は日常の思考とも違っていて、文学の中で一番通俗な、ことさら文学ぶった思考と言った方がいいかもしれない。『櫻の園』の胸の大きい女の子の発言に感動したのは、ふつうだったら文学の中で閉じられているだけのはずの思考がその枠を破って私自身の過去とつながったからで、ありがちな小説の思考法と同じにするわけにはいかない。それにその女の子はたしか、一度だけそれを口にしただけで、その感情を再び表にあらわすことはない。「強い〈私〉」と、私が傍点を打ちつづけている理由は、それが文学の中にしかいない存在、つまり、文学というものに守られなければ存在しようがない存在だからだ。
人を行動に駆り立てる単純な論法は、しかし、「やられたらやり返せ」「一生忘れない」式の——日常とは言わないが——日常の思考から苦もなく地続きになっている言葉ばかりではない。
マザー・テレサはインドで「死を待つ人の家」を作ったときに、一生を通じて誰からも顧みられることもなく飢えや病気のために路上で死んでゆく人のことを、「貧しい姿に身を顕わしたキリスト」と呼んだ。
「貧しい姿に身を顕わしたキリスト」
という表現はひじょうにシンプルで、一度聞いたら忘れないだろう。彼女が死ぬ前には、二千人くらいの修道女が集まる大きな団体になっていたらしいが、人を集め、行動に駆り立てるために、「貧しい姿に身を顕わしたキリスト」という言葉が果たした役割りは大きいだろう。気をつけてほしいのはこの言葉がただの比喩と考えていいほど単純ではないということだ。マザー・テレサにとって、インドの最下層の人たちは本当にキリストだったのだ。
しかしこの言葉を、マザー・テレサと同じだけリアルな言葉として受け入れるのは簡単ではない。それは生の感情に基づく言葉ではないからだ。
もちろん“信仰”ということだが、信仰とはそもそも肉体からやってくるのか、言語からやってくるのか。信仰とは肉体を言語に拘束させた状態なのではないか。生の感情を聖書などの言葉によって鋳造しなおした状態が信仰なのではないか。
日本では、キリストや釈迦について書くにしても、彼らが人間として迷ったり性欲に悩んだり死を怖れたりする姿を書きたがり、「ああ、キリストもやっぱり人間だったんだ」というくだらない感想を持てる話の方が好まれる(と信じられている)が、生の感情から離脱して言語の体系に生きるそのメカニズムを言語化する方がずっと面白いし、困難だし、重要だ。
井上靖の『補陀落渡海記』は、ある寺の住職が還暦だったか何だったか、一定の年齢を迎えたときに西方浄土にある補陀落を目指して粗末な小舟か樽で海に出ていかなければならないという話で、主人公の住職はその日がやってくることに怯えまくる。私がこの話を読んだのは中三か高一のときで、そこには信仰を知らない子どもにとって不可解なことは何も書かれていなかった。
これと比べれば深沢七郎の『楢山節考』の方がずっと理解しがたく、映画を観たヨーロッパ人は主人公おりん婆さんの心境を信仰と勘違いして崇高なものに接したと思ったのだろうが、おりんにも信仰はなくて、ただ世間体のために共同体の風習に従っただけだ。近代人から見たらありえない話だが、家族から邪険に扱われたり虐待されたりしている老人が、「私が老人ホームに入ったら家族も自分も近所からそういう目で見られる」と言って、ひどい扱いを黙って受け入れている例が現代の日本でも地方ではあたり前にある。深沢七郎は、人間の内面を、自我確立以前の世間体にどっぷり浸ったものとして、それを告発したり糾弾したりする気はさらさらなしに、ただそういうものだと見る見方が徹底していたということなのだ。

話を戻して、「貧しい姿に身を顕わしたキリスト」という単純な論法によってマザー・テレサとそのまわりの修道女たちが行動に駆り立てられていたのだとしたら、「やられたらやり返せ」「一生忘れない」という単純な論法で犯罪を犯したり確信犯的に身を破滅させる強い〈私〉の小説世界にある論理と同じではないか、という反論があるかもしれないが、それは違う。
前者が体系を持った言語によって肉体を鋳造しなおしたその後に訪れた言葉であるのに対して、後者は日常と地続きの言葉でしかない。後者を読む読者は自分がいまいる場所から一歩も動かずに理解することができるが、前者を受け入れるためにはこちら側の能動性が必要とされる。
文学にはこの意識が絶対に必要だ。
小説の想像力とは、犯罪者の内面で起こったことを逐一トレースすることではなく、現実から逃避したり息抜きしたりするための空想や妄想でもなく、日常と地続きの思考からは絶対に理解できない断絶や飛躍を持った想像力のことで、それがなければ文学なしに生きる人生が相対化されることはない。
——と、こう書くと、行動に駆り立てられた両者の違いは歴然としているように見えるのだが、じつは私自身、「風の旅人」という雑誌でつづけているもうひとつの連載で、「愛」と「性衝動」はどこが違うのかと考えているうちに、マザー・テレサの「愛」と幼児や小動物を切り刻むことに快楽をおぼえるいわゆる「性倒錯」との明確な違いがわからないという原稿をたった数日前に書いたばっかりで、アプローチの方法を間違うと両者の差はわからなくなってしまう。だからこれは見た目ほど歴然とした差ではない。しかしアプローチさえ間違えなければ、そこには厳然とした差がある。
歴然とした差ではないが、厳然とした差がある。——まるでハイデガーが書きそうな一文だが、そういうことなのだ。

視覚化した思考と本来の思考

何かを考えるとき、つまり思考するとき、私たちはほとんどの場合、視覚のように思考を組み立てている。あるいは、思考をなかば視覚化している。
たとえばパソコンで文章を人力するとき、私たちは次々に打ち出される文字列を目で追いながら、なかば後追いのようにして次に入力する文章を考えている。だからたとえばパソコンやワープロが壊れて、原稿用紙五枚分くらいの長さのエッセイを手書きしなければならなくなると、手掛り——ロック・クライミングで最初に手が掴むための岩のような、文字とおりの「手掛り」——がどこにもないような気分になってしまう。パソコンで文章を書くより原稿用紙に手書きしていく方が、事前に頭の中で考えておかなければならない文字量が多いからだ。
文章を書くためのプロセスはたぶん、目−脳−手の連繋によって成り立っていて、パソコンで書く方が手書きするのよりも、目と手の比率が高いか、あるいは文章を脳にプールしておく時間が短いかのどちらかで、いずれにしても脳の負担が少し楽になる。
実際問題としては、手書きに馴れてしまうと手で書くのもパソコンとたいして変わらないくらいに目と手の作業と化していくのだが、パソコン一辺倒の人がいきなり五枚くらいの、少しは量がある長さを、その範囲内できちんと形にしなければならないという状況に置かれると、手掛りのなさに途方に暮れる。
私はこの連載を手で書いているけれど、枚数の制約がなくて、連載の回数の制約もないという、何の縛りもない状態だからできることで、「五枚」とか「十枚」という風に枚数がきちんと決められたエッセイとなると今でもワープロで入力していて、縛りのある文章を手で書ける自信はない。
これは「なかば視覚化した思考」とそうでない本来の思考の序の口の導入的な差異でたいした差ではないのだが、たとえばフェルマーの定理を解くというような局面になると、二つの違いがはっきりするというか、なかば視覚化した思考ではどうすることもできなくなる。
あるひとつの計算式を解くときは、順番にカッコを開いたり右の項を左に持っていったりしていけばいいだけの話だから、ほとんど目と手だけの作業だ。ひとつの計算式を解くといっても、数学の世界ではえんえんとレポート用紙何十枚にもわたる作業がつづくことが珍しくないみたいだが、それでもひとつの計算式を解くだけなら目と手の作業としてやっていける。
しかし、そういう複雑な計算式が二つ以上あって、それを擦り合わせなければならないとなると、作業は目と手でなく脳の中でのことになる。イギリスBBCが制作した、フェルマーの定理の意味とそれをアンドリュー・ワイルズという数学者が解いた過程をドキュメンタリー風に作った番組があって、何年か前にNHKがそれを放送したのを見て、私は脳の中で遂行された思考の膨大さに感動して、サイモン・シン著『フェルマーの最終定理』(青木薫訳・新潮社)を読んで、その感動をもう一度味わおうと思ったのだが、本の方はあいにく簡単にできすぎていた。しかし、一箇所だけ脳の中での膨大な思考を垣間見させてくれるところがあったので、長くなるが引用することにする。
フェルマーの定理というのは、xn + yn = zn という方程式で、nが2より大きい場合、x、y、zにあてはまる整数は存在しないというやつだ。

フライは、もしもフェルマーの最終定理が成り立たなければどうなるだろうかと考えた。つまり、少なくとも一つの解があったらどうなるかを調べてみたのである。フライは、仮定された解がどんなものになるかわからなかったので、A,B,Cと呼ぶことにした。
Aⁿ+Bⁿ=Cⁿ
フライは次に、この方程式を“並べ替え”た。それは厳密な数学的手続きにしたがったもので、方程式そのものの性質は変えずに形を変えるだけである。フライは複雑な操作を手際良くこなし、元のフェルマー方程式を、仮定された解を含む次の方程式へと変形した。
   y²=x³+(Aⁿ−Bⁿ)x²−AⁿBⁿ
並べ替えられた方程式は、形の上では元の方程式と似ても似つかないように見えるけれども、解があるとすれば必ずこうなるのである。すなわち、もしも——この“もしも”は大きなもしもだが——フェルマー方程式に解があるなら、フェルマーの最終定理は成りたたず、並べ替えられた方程式が存在しなければならないのだ。聴衆ははじめ、フライが並べ替えをするのを見てもとくに感心はしなかった。ところがフライはそれに続いて、この方程式が、複雑で一風変わってはいるものの、実は楕円方程式であることを示したのである。楕円方程式は次のような形をもつ。
y²=x³+ax²+bx+c
しかし次の値を与えると、
 a=Aⁿ−Bⁿ    b=0    c=−AⁿBⁿ
フライの並べ替えた方程式が、たしかに楕円方程式になっているのがわかるのだ。
かくしてフライは、フェルマー方程式を楕円方程式に変形することによって、フェルマーの最終定理を谷山=志村予想に結びつけたのである。続いて彼は、フェルマー方程式の解から作られた彼の楕円方程式は、実に異常な性質をもつことを指摘した。それどころか、彼の方程式はあまりにも異常なので、その存在自体が谷山=志村予想をぶちこわしにすると述べたのである。
ここで思い出してほしいのは、フライの楕円方程式が幻の方程式だったことだ。その方程式は、フェルマーの最終定理は成り立たないという仮定のうえに存在している。しかし、もしもフライの楕円方程式が実際に存在するなら、それはあまりにも異常すぎてモジュラー形式とは結びつきそうにない。一方、谷山=志村予想によれば、すべての楕円方程式はモジュラー形式に関連づけられなければならない。したがって、フライの楕円方程式が存在するということは、谷山=志村予想を否定することになるのである。
言い換えると、フライの論理は次のようになる。

(1)もしもフェルマーの最終定理が成り立たなければ(そしてその場合に限り)、フライの楕円方程式が存在する。
(2)フライの楕円方程式はきわめて異常な性質をもつので、モジュラーではありえない。
(3)谷山=志村予想によると、すべての楕円方程式はモジュラーでなければならない。
(4)ゆえに、谷山=志村予想は成り立たない。

さらに重要なのは、フライの論理は逆転させられるということだ。

(1)もしも谷山=志村予想が証明されれば、すべての楕円方程式はモジュラーでなければならない。
(2)もしもすべての楕円方程式がモジュラーなら、フライの楕円方程式は存在しえない。
(3)フライの楕円方程式が存在しなければ、フェルマーの方程式は解をもたない。
(4)ゆえに、フェルマーの最終定理は成り立つ!

引用はここまでだが、引用部の後半にある二つの論理をきっちりと理解するのがなかなかできない。計算式を追うように目で追いながらいちおうはわかったつもりになっていても全然腑に落ちない。著者の言いたいことはわかるのだが、並んでいる四つの命題がカチッと組み合わされてひとつの構築物になったような気になれない。
その理由は、「楕円方程式」「モジュラー」「谷山=志村予想」と、三つも内容がわかっていない言葉が並んでいるからではなくて、全体が背理法になっているからだと思う。しかも前の(1)(2)(4)と後の(2)(3)は否定文であり、フェルマーの定理そのものが「2より大きい整数はない」という否定文の性格を持つ。——引用文中に再三出てくる「フェルマーの最終定理が成り立たなければ」という一節の意味は、「nが2より大きい場合に、xゥ{yゥ≠圸Aという式が成り立つとしたら」という意味だから、否定と肯定がもつれる糸になってくる。
私たちは「やられたらやり返せ」式の「××だから××する」「××なら××する」という肯定文で構成された、単純直線の論理は簡単に憶えられるけれど、「クジラが魚でないようにコウモリは鳥でない」みたいな否定文が多用された論法や不確定要素をそのままにしておく思考法に馴れていない。肯定の連鎖は頭の中でA→B→C→Dと、矢印をつないでいくような感じで簡単に組み立てることができて、その理由は黒板に描かれた図を見ているのにちかい思考だからなのだが、否定や不確定要素となると図では描けない。視覚でなく意味としての理解が必要になる。

以前にこの連載で、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』にアウレリャノとアルカディオが何人も出てくるからといって、単行本に家系図を収録しても意味がないと言ったこととか、カフカの『城』の章ごとの出来事を並べていっても『城』に書かれていることの全体を記憶しなければ意味がないような気持ちになると言ったことは、つまり視覚化した思考でなく本当の思考が小説の理解には求められるという意味なのだが、習熟するということは仮定=不確定要素を頭の中に溜めておいてそれを操作できる量が増えることなのだ。そういうことを私が考えるようになったのは、麻雀と将棋からだった。
詰め将棋は図面を見ているだけで駒を手で動かすことはしない。私のような下手クソはすぐに駒を動かしたくなるが、実際に駒を動かしてしまうと詰め上がりまでのプロセスを記憶できない。結果としてたまたま詰んだだけだからそれをもう一度再現できない。これが大半のテレビゲームと違うところで、詰め将棋ではたまたま詰んでも解いたことにならない。駒を動かさずに頭の中だけで詰むプロセスを組み立てられてはじめて解いたことになり、それを重ねることで、「手筋」という将棋独特の駒の動き=思考法が身についていく。
それにまた、駒を動かさずに頭の中だけで組み立てる方が効率がいい。一手一手駒を動かしていたら、失敗して最初の状態に戻すときにも当然駒を動かさなければならないから、復元の手間まで必要になる。
自分の指し手が5通りあるとして、その5通りの指し手の一手一手に対して相手の指し手も3通りぐらいはあるから、それだけですでに15通り、そしてまた私の番がきて5通りあったら75通りとなるわけで、わずか三手目までの枝分かれの樹系図を描くだけで面倒くさい。
実際にはそこまで機械的に幾何級数的に枝分かれする樹系図にはならずにずいぶん絞り込まれるわけだけれど、指し手の要−不要の見極めができて絞り込める理由もたぶん、頭の中だけでの思考によって養われた「手筋」が身についているからだ。
相手と対戦するとなると、指し手の可能性が理屈の上では膨大になるが、実際にはある流れに乗って指されるから分岐点はそれほど多くないのだが、分岐点での奥行きがものすごくなる。プロ棋士は一回の対戦で何ヵ所かある分岐点をすべて想定して、それに対する結論を保留して、すべてを仮定のままの状態にして指し手のプランを組み立てていく。だから棋士の力量は、結論を出さない仮定の量とも言えるが、それ以上に、仮定に対して結論を出さず仮定を仮定のまま持ちこたえられる思考の踏ん張りだと言うことができる。
麻雀ではこの仮定の立て方と持ちこたえ方は違ってくるが、早い話が、強い人ほど手を決めない。どういう展開になっても対処できるように曖昧なまま進めることができる。下手クソには不要としか見えない牌でも、強い人には「××がきたらこれは必要だ」という風に多くの可能性が見えている。
私の友達に一時期麻雀で食っていたのがいて、彼と一緒に徹マンをしたら、帰りの電車で、「おまえ××さんが親マン上がったときの五巡目に六万を捨てただろ」とか言ってきて、一晩やった何十回の麻雀をほとんど記憶していた。そして自分のことも「あのときの三ピン捨ては甘かったな」などと、ずうっと一人で反芻している。
将棋ももちろんだが麻雀でも強い人は終わった対戦を記憶していて、「あそこはああすべきだった」「あそこであれはマズかった」と、結果ではなくてプロセスを繰り返し検証する。彼らにとって対戦とは、可能性、仮定、不確定要素の集合体なのだ。「やられたらやり返せ」という単純な思考では勝負に勝てない。「一生忘れない」にちかい執念深さはあるように見えるが、彼らが過去の対戦を忘れないのは、そこから仮定や不確定要素を見つけ出すためであって、事実に縛られているわけではない。
それらはすべて視覚化した思考でなく脳の中で遂行される思考が基盤となる。

ここで紛らわしいのは、棋士や雀士の“視覚認知”“視覚記憶”が概して優れていることで、彼らは進行中の将棋の駒の配置や牌の並びを、パッと一、二秒間見ただけで記憶できてしまう。将棋の升田幸三は視覚記憶が特に優れていたらしいが、私がいまここで言っている「視覚化した思考」というのは、視覚記憶のことではない。すでに書いたことの繰り返しになるが、視覚化した思考というのは、A→B→C→Dと、肯定文の命題を単純な因果関係によって矢印でつなげていくようにつないでいく思考法や、頭の中に溜めずに目と手で処理していく比率が高い思考法のことで、その思考法にあっては不確定要素を不確定なままにしておくことができない。
 a=2
これは目でわかるが、
a≠2
こちらは目ではわからない。a≠2の意味には、a=3の可能性もa=100の可能性もa=500000の可能性も含まれているわけで、a=2とa≠2では必要な記憶の容量に圧倒的な差がある。というか質的に別のものだ。もう少し具体的な場面に言い換えると、
「私はきのう動物園に行った」(A)と、
「私はきのう動物園に行かなかった」(B)
の差で、ひじょうに単純な理解力しかない人を想定してみると、結局その人は(B)のセンテンスを読んでも「動物園」という言葉にひきずられていたりする。
五歳の子どもに「明日、どこに行きたい?」とたずねて、
「上野動物園には行きたくない」(C)
という答えが返ってきたとしたら、こっちはどう考えればいいだろう。「上野動物園でない動物園だったら行きたい」と解釈すればいいのか、五歳の子にとって「動物園」という普通名詞がまだきちんとは定着していないために「動物園には行きたくない」のつもりで(C)を言ったのか。もちろん、その子が「上野動物園」でさえなければすべての場所に満足するわけがないのは言うまでもない。
具体的な場面を考えていると、どんどん話が複雑になって収拾がつかなくなってしまうけれど、とにかくa≠2のような文を理解するということは、可能性や不確定要素を動員することで、それは視覚化した思考では処理しきれない。

不可能の集積としての思考

マザー・テレサが、一生を通じて誰からも顧みられることもなく飢えや病気のために路上で死んでゆく人のことを「貧しい姿に身を顕わしたキリスト」と呼んだとき、彼女は単純にa=2のセンテンスとしてこの言葉を言っただろうか、ということだ。
背理法というか、否定文が集積された結果としてこの言葉がマザー・テレサに訪れたと考えるべきではないか。
カルト宗教の教祖にはマザー・テレサと形の上では同種の発言をする人がたくさんいる。彼ら彼女らは「神を見た」と言ったり、「神はこういう風に顕われる」と言ったり、もっと大胆な人は「私が神だ」と言ったりする。しかし、私がアウグスティヌスとトマス・アクィナスとカール・バルトを拾い読みしたかぎり、彼らは一度も「神を見た」とは言っていない。
マザー・テレサが正しいキリスト者であるかぎり、彼女も一生を通じて神を見なかっただろう。そして彼女も他のキリスト者と同じように、「なぜ神が造られた世界にこのような悲惨があるのか」という問いを問いつづけただろう。それら、経験において神と出会わないという否定文と神が造られた世界に対する疑問の集積によって訪れた言葉が「貧しい姿に身を顕わしたキリスト」という言葉なのだ。私は最初、この言葉を、比喩でなく「本当にキリストだった」と書いたが、「最後のキリスト」とでも言った方がいいだろう。もっとも、言葉をどう言い換えてみても、どういう仕組みによってこの言葉が彼女に訪れたのか、それは私にはわからないが。
アウグスティヌスはこういうことを書いている。

物体的・非物体的被造物の全体を考察し、可変的なものとして知り、それらのものをあとにして精神の注意深さによって神の不変の実体へと進んでいくこと、そしてそこにおいて、神から、神ご自身ではない全自然が神ご自身によるほか他のだれによってもつくられなかったということを学ぶこと、——これは大いなることであり、じつに異例のことなのである。この際、神は、なんらかの物体的被造物をとおして、つまり、身体的な耳に聞きとれるよう音声を発する者とそれを聞く者との間に介在する空気の拡がりを震動させるようにして、人間と語られるわけではないのである。また、物体に似たものによって表象される仕方、たとえば夢におけるように、あるいは何かそれに類するものにおけるような仕方によって語られるわけでもないのである。(じっさい、このばあいもいわば身体の耳に語られることになるのであって、それというのは、それを物体をとおして物体的な場所と場所のあいだに介在する隔たりのなかで語られるからである。この種の幻覚は物体とひじょうに類似性をもっている)。そうでなく、神が語られるのはまさに真理そのものによるのであって、それは身体によらずただ精神によってのみ聞かれうるものである。(『神の国』第十一巻第二章 岩波文庫・服部英次郎訳)

これは私がひじょうに好きな箇所で、ここを引用するのはすでに三回目くらいになるが、何度読んでも飽きない。それどころか勇気づけられる。
神が語る言葉は耳で聞くのではなくただ精神によってのみ聞かれうるというのは、現前性の集積であるとする私の小説観と正反対のように見えるかもしれないが、小説における現前性とはただの記号でしかない文字から目や耳によって経験した記憶を引き出してくることなのだから、直接的な「見る」「聞く」ではない。しかしそれでも小説は目や耳が理解したものを基盤にして進行していくわけだけれど、最終的には小説は目や耳が理解するのを超えたものになるのではないかと考えている。
「創世記」の最初の七日間について、アウグスティヌスはこう書いている。

なおまた、神聖でもっとも真実の書が「はじめに神が天と地をつくった」と述べているのは、それ以前になにもつくらなかったということを理解させるためであるとすると、——もしも神がそのつくったものすべての以前に、なにかをつくったとすると、このものこそはじめにつくったといわれるべきであるから——世界が時間のうちにつくられたのではなく、時間とともにつくられたのであることは疑いをいれない。それというのは、時間のうちにつくられるものはある時間ののちに、ある時間のまえに、すなわち、過去の時間ののちに、未来の時間のまえにつくられるのであるが、それの変化する運動によって時間が進行するどんな被造物もなかったのであるから、なにも過去であることはなかったわけである。他方、世界の創造にさいして、可変的運動がつくられたとすると、世界は時間とともにつくられたのであって、このことははじめの六日または七日の序列がどうなっているかによって知られるのである。その六日または七日において、朝と夕とが数えられ、ついに六日目に、それらの日に神がつくったすべてが完成され、そして七日目に、大きな神秘のうちに神の休まれることが述べられている。これらの日がどういう日であるか、それを考えることはわたしたちにとってきわめて困難であり、不可能でさえある。ましてそれを語ることは困難であり、不可能である。(a)    (同書第十一巻第六章)

すなわち、わたしたちはふつう、日は、日没なしには夕がなく、日の出なしには朝がないことを知っているが、はじめの日のうち最初の三日は、四日目につくられたと伝えられる日なしに経過したのである。そしてはじめに、光が神の言葉によってつくられ、そして光と闇とを神は分かち、その光を日とよび、闇を夜とよんだと伝えられるが、しかし、その光がどんな光であったか、またどんな周期的運動によってどんな夕と朝とをつくったかは、わたしたちの感覚の及ばないところであり、また、わたしたちによって理解され得るところでもないが、それにもかかわらず、なんの疑念もなく信じなければならぬところのものである。(b)    (同書第十一巻第七章)

(a)(b)傍線を付した二箇所が、キリスト教の信仰の中核にあると思うから私は正真正銘のキリスト者を凄いと思う。彼ら彼女らがどれだけシンプルなことを言ったとしても、その底には不可能を不可能なまま丸ごと飲み込んだ、肉体を言語に鋳造したプロセスがリアルに脈打っていると感じられる。
彼らの言葉はロマン派の詩人たちが好んだ、多くのイメージを喚び寄せる、広がりと厚みを持った言葉とは根本的に別のものだと思う。ベケットの言葉を使えば、なけなしの想像力によるなけなしの言葉なのだ。

「完全なものは不完全なものである」

ロマン派の詩人たちが好んだ言葉ではないと書いておきながら、次に出すのはロマン派と近い関係にあるらしいドイツ観念論のシェリングの命題だ。
『人間的自由の本質』の中で、シェリングはこういう命題を立ててみせる。
「完全なものは不完全なものである」
「善なるものは悪なるものである」
一読して、「きれいはきたない、きたないはきれい」というシェイクスピアの劇中の台詞を思い出す人がいると思うが、シェリングは右の命題で、秩序壊乱的なことを言おうとしているのでは全然ない。シェリングが言おうとしているのはその正反対のことだ。

たとえば、「完全なものは不完全なものである」という命題が立てられたと仮定してみよう。その場合その意味は、こうである、すなわち、不完全なものは、それが不完全であるということによってまたそうであるゆえんのものによって、存在するのではなく、不完全なもののうちに存在する完全なものによって、存在するのであるということ、これである。ところが、われわれの時代にとっては、この命題は次のような意味をもつ、すなわち、完全なものと不完全なものとは単純に同一であり、すべてのものは互いに等しい、たとえば、最も劣悪なものと最も善良なもの、愚鈍さと賢明さ、といったように、と。
或いはまた、「善なるものは悪なるものである」という命題があるとすれば、それの意味しようとすることは、こうである、すなわち、悪なるものは、それ自身によって存在する威力をもっておらず、悪なるもののうちにおいて存在するものは、〔もともとそれ自体として考察すれば〕善なるものである、ということ、これである。ところが当今ではこれが次のように解釈されるのである、すなわち正当と不当、美徳と悪徳、といった永遠的な区別は否定され、両者は論理的に同じものなのである、と。(渡辺二郎訳「世界の名著」第43巻)

傍線はわかりやすいように私が引いた。〔 〕内は訳者による補足だ。
どうしてこういう意味が生まれてくるのかというと、「である」、ドイツ語のist(sein)、英語ならis(be)にあたる繋辞が、ただ単純に左側にある主語と右側にある述語をイコールで結んでいるわけではない、というのが本来の機能だったからだ。もっとも、引用文中に「ところが、われわれの時代にとっては」とあるように、この本が書かれた十九世紀には、ヨーロッパ人全体にとって遠いものになってしまっているのだが、繋辞の機能がそう理解されていたのは古代ギリシャだけだったのかもしれない。
歴史的考証はともかく、たとえば「この物体は青い」と言うとき、「この物体」と「青」は単純なイコールの関係にはない。「この物体である当のものが、その同じ観点においてではないが、青くもあるということであるにすぎない」。それが「この物体は青い」という文の意味しているところだ。
そう言われると確かにその通りだと思う。「この物体は青い」の主語と述語を入れ替えて「青はこの物体である」としたら、意味が通じなくなってしまう。この本の解説書であるハイデガー『シェリング講義』(木田元・迫田健一訳)によると、
「主語は述語の存在可能性を基礎づけるものであり、述語の根底にあって、こうしてそれに先行する根拠である」
ということになる。「主語が述語を「根拠づける」、つまり述語に根拠を提供している」のだ。
ところで、ハイデガーの説明を読んでいると、私たちはふつう、主語と述語の“力関係”を、ここで言われているのと逆のように感じていることに気がつかないだろうか。つまり、「述語こそが主語を根拠づけている」という風に。
「おまえは高校生だ」
と、教師が生徒に向かって言ったとき、言われた生徒は自分が何であるかを高校生という述語によって規定されてしまっている。
主語の位置にはどんなにいかがわしいものでもくることができるけれど、述語は客観的な信憑性を持ったものしかくる資格がない。だから述語とは、客観的な規定の集積であり、社会的了解事項の集積である。……こう書いていて、カフカの“城”やベケットの“ゴドー”の意味を解釈することが小説を読むことだという評論家的態度をことあるごとに批判している私のこの連載はまさに「主語が述語を「根拠づける」」という意味で、小説を主語とする態度であることに気づくのだが、それはともかく、現代人の息苦しい気分は主語よりも述語が力を揮っていることに由来しているのではないかと思う。
「わたしは両親に愛されなかった」
「わたしは教室の中でいつも孤立していた」
「わたしはいつも同級生たちの嘲笑にさらされていた」
これら述語の暴力と前半に書いた「やられたらやり返せ」式の単純な論法を組み合わせば、いまの日本でありがちな、「ミステリー小説」というジャンルのもとに書かれている小説ができあがる。そこでは小説の枠組み自体を疑う想像力は発揮されずに、フォーマット化された履歴書のような過去を埋めていく作業しか見つけられない。

と、こう書いていて気がついたのだが、私はいまの日本で流通している、ミステリー小説を批判したくてここまで書いたことを考えてきたのではなかった。そんなことは全然、小さな問題で、強い〈私〉や単純な論法への批判を便宜的なとっかかりとして、「小説の理想形」や「小説で可能な思考」を考えてきたのだった。それはもちろん、前々回の終わりに書いた“自由”にも繋がっていくという見通しだ。
私はいくつかの考え方を書き並べてきた。ひとつはマザー・テレサの「貧しい姿に身を顕わしたキリスト」という言葉で、これは一見 a=2という単純な式に見えるけれど、a≠2という否定や不確定なものの集積として訪れた言葉だということ。
もうひとつはフェルマーの定理を解くプロセスを再現しようとしたBBC制作の番組で私が見た、視覚化した作業ではとても理解していくことができない本来の思考。棋士や雀士の思考法も、記憶の貯蔵が基盤となっていて、彼らは記憶の中で仮定や不確定要素を操作しつづける。
アウグスティヌスを出したのは、たんに視覚化できない思考というだけでなく、思考の対象も思考の結果も、すべてが視覚ないし感覚全般とまったく無縁な思考というような意味でもある。
私には珍しく自分が書いたことをここで大雑把に整理したのは、それらが矛盾なくひとつのまとまりを持った考えとして構築されているとは、いまはまだ感じていないからだ。ここで書いた思考法が矛盾なく構築されうるものだったら、小説の可能性を開くものになるとは思うけれど、それをうんぬんするのはまだ早すぎる。考えなければならないことが小説にはいっぱいある。
ところで、シェリングの「完全なものは不完全なものである」「善なるものは悪なるものである」という命題を、引用文中に傍線を引いた意味として何度も読み返して、さらに頭の中で何度も反芻していると、突然、シェリングが言わんとしている意味のままに立ち上がってくる瞬間がある。
ひとつのセンテンスの中に圧の差が生まれて、「完全なるもの」から「不完全なるもの」にググッと力が流れ込んでくるような、センテンスの液状化現象といえばいいのか、センテンスの流体力学とでもいえばいいのか、何とも言いようのない力がひとつのセンテンスの中で発動される感じがするのだ。
これはたぶん韻文による言葉の経験とは別のもので、いろいろな条件を丁寧に積み上げていく散文の機能に則ったものなのではないかと思う。私がシェリングのこの箇所をチェックした理由は、主語と述語の関係とか繋辞の機能といった哲学的な意味ではなく、センテンスの意味するところの飲み込みにくさ——異物を丸飲みするときのような——と、そこから予感されたセンテンスの運動の方だったのだ。
先月号で取り上げた青木淳悟の『クレーターのほとりで』も、第一にセンテンスが運動を持っているからあの作品世界が成立しうるという風に私は考えている。マザー・テレサの「貧しい姿に身を顕わしたキリスト」という言葉も、ただの肯定文ではないから力を持つ。
小説とは、絵画や彫刻や音楽や映画や演劇やダンスや詩や……それらと同じく芸術なのだから、運動が不可欠な要素だと思う。ただ、詩も含めてここに列挙したすべてと小説が違っているのは、小説の運動が、字面という視覚的なものや言葉の響きという聴覚的なものなど、感覚的身体的な、即物的な次元を頼りとすることができず、すべて文字が頭の中で処理されるその過程で生まれるということだ。これが簡単ではないのだが、しかしこれさえクリアできれば、他のことはそれについてくるのではないかとも考えている。芸術というのはそういうもののはずだからだ。