病的な想像力でない小説(『小説の自由』11 前半)

「新潮」新人賞選評

私の選考委員の任期は今回で終わりなので、もしこの選評を「新潮新人賞の傾向と対策」のつもりで読む人がいるなら読む意味はない。

たとえば『ジョニ黒』の牧野ヤエさんは昨年も最終候補に挙がっていて、編集部サイドとしてはこの作品が受賞することに何の異存がないどころか、むしろ積極的にそれを期待していたフシもあった。私も候補作品がまとめて届けられて、見覚えのある名前を見つけて、大まかなところで昨年と同じ饒舌体で小説が進んでいくのを確認した段階では、私がこれを推す気になれないとしても他の人たちが昨年並みに推すのだったらそれにわざわざ反対することもないノノと思っていたのだが、途中から、やっぱりこれはどうしても推せない、こういう小説は私は頑として拒否するという気持ちに変わっていた。

『ジョニ黒』は七〇年代前半を小説の舞台に設定して、夏休みに入った十歳くらいの子どもたちとそれを取り巻く大人たち、というかひとつの町全体を描いている。三十八歳の牧野さんにとって、主人公の子どもは性別は違っても自分と当時同い年ということになってはいるが、作中にあらわれる「あしたのジョー」「網走番外地」麻丘めぐみ、ラジコンという当時の物や人や言葉遣いや流行語が正確さを欠いた寄せ集めで、それでは何故舞台を現代でなく七〇年代前半に設定したのか理由がわからない。

「そんなの、間違ってたっていいじゃないか」と言う人もいるだろうが、私はそうは思わない。

すべての小説、とは言わないが、小説は書き手の個が起点になる。資料をあれこれ調べてその時代を構築することは、メ個モでなくてメ公モやメ正史モの側についてしまうことだ。正史の反対は偽史ではなく、個人の記憶であり、個人が感じたその時代の感触であるはずだ。たとえば北杜夫『楡家の人びと』には、正史でない個の記憶や感触が正確に記されている。もちろん私自身は『楡家』の時代にはまだ生まれてないけれど、父や母や、大正生まれの伯父伯母たちから聞いたあの頃と同じものが『楡家』には流れている。

牧野さんは「怒っちゃ、やーよ」と書くが、これは志村けんが流行らせた言葉だから、七〇年代の後半のそのまた後ろ半分あたりまで来ないと登場していないはずだ。そんな曖昧な記憶か雑な資料調べをするくらいだったら、当時の子どもが口にしそうなフレーズを自分で作った方がいい。子どもはけっこう地域ごと学校ごとの極小ローカルな流行り言葉を持っているもので、七〇年代までは特にそうだったのではないか。小説を書くために任意に時代を選ぶというのは、一種の植民地主義ではないかとさえ思うのだ。

とはいえ、二年連続で候補になって、候補の中でも決して低くない評価が二年連続で与えられたのだから、牧野さんは落胆せずに書きつづけてください。

当落の議論にはならなかったが、間宮征聡さんの『夜行列車』は選考委員全体に好感触だった。まだ十九歳と若いのに神武景気を背景にしているらしい時代に設定して、言葉遣いもとってつけたように古風にしてあるが、牧野さんの『ジョニ黒』のようにはそれが欠点だとは思わない理由がじつは私自身にもわからないのだが、そこをいいと言いたいわけではなくて、夜汽車の中や窓に映る景色など情景を丁寧に書いているところが良かった。

読みながら頭の中で場面を組み立てようとすると変なところもないではなかったが、私のイメージ不足なのかもしれない。情景を書くために変な言葉遣いになってしまっているところが何箇所もあったが、これは欠点でなくむしろ長所か特質だと思う。並列的であるところの視覚を線的であるところの言葉に置き換えるのは本当に大変なことだし、物や動きのすべてに名前があるわけではなくて、「文章読本」的な見方からすればどうしても下手な文章にならざるをえないのが視覚の言語化というもので、「文章読本」的にいいとされる書き方だけをしていたら小説は生まれてこない。

内容としてはあんまり記憶に残らない、ちょっと風変わりな話程度で、そこが早々に落選に決まった理由ではあるけれど、小説には切実に書きたい中身が先にあることよりも情景が現前していることの方がもっと大事なことなのではないかと、この『夜行列車』を読みながらあらためて思った。

作品の中で何を現前させるかが小説というもので、形式(容れ物)と中身という風な二分法は小説にとって意味がない。そうではなくて、情景などの現前する要素の量によって小説としての中身が生まれてくる。心とか愛とか感傷とか、それら読者の側の内面も、小説にあってはもしかしたら現前するものによって醸し出されているだけなのかもしれないのだ、だから間宮さんはこの書き方を押し進めていけば、自然と内容らしきものが生まれてくるのではないか。

受賞作のことなど、このつづきは連載の方の「小説をめぐって」に書きます。

現前させる力

というわけで、これからまだしばらくは選評がつづくが、佐藤弘さんの『すべては優しさの中へ消えていく』は読み出してしばらくは、何を書きたいのかわからなかった。わからないけれども読み進めるという行為自体には何の支障もなく読めていく。

こういうことは新人賞の候補作品には珍しい。しかし普通に文芸誌に載っている小説や、単行本として書店に並んでいる小説では珍しいことではない。しかし新人賞の候補作品では珍しい。たとえば前出の牧野さんの『ジョニ黒』やもうひとつ寺田徹さんの『ピクニック』は、読み出すとすぐに「この人は語りのテンポを、小説を書くためのひとつの拠り所にして書いているんだな」ということがわかる。間宮さんの『夜行列車』では「きっと細部の情景を重ねていくことで何かしようとしているんだろうな」と思う。あるいはまた、遷名智衣さんの『卒塔婆衣』では「ちょっと古い日本文学みたいに書きすぎだよ」と、すぐに思う。

それに対して佐藤さんの小説は、その拠り所がはっきり見えないまま進む。文章のテンポは特にいいわけではない、というかそれを狙ってはいない。読者を強く引っぱるストーリーもなさそうだ。そう思っていると、

「なんで川?」

「海だとちょっとかっこよすぎるでしょ。かっこよすぎて、かっこわるすぎでしょ」

「どっちにしても水なんだ」

「いや、そういうわけでも」

という会話が出てきて、うまい。というか、しっかりしている。最近、若い人同士の会話を多用する小説が多いけれど、ほとんど誰もこのレベルに達していない。たぶん、

「なんで川なの?」

「うーん、海だとちょっとかっこよすぎるっていうか」

「かっこよすぎ?」

「かっこよすぎると、かっこわるくなるじゃない」

「かっこわるくねえ……」

という感じで、同じ単語が二度三度とやりとりされて、

「どっちにしても水なんだ」

という ”転” が出てこない。つまり、ひとつのイメージのまわりを二人が回っていて、本当のところ二人ではなくて作者一人がそこにいるだけということなのだが、この小説の会話では二人が違うものを見たりイメージしたりしていることが明快に示される。

こういうことを普通「テクニック」と呼び、私自身選考会の席でつい「テクニック」と言ってしまったりもしたのだが、正しくはこれはテクニックではなくて現前させる力だ。自殺した啓介の肉声はビデオの中にしか残っていないのだから、啓介がどういうやつだったのかは、こういう会話からしか現われない。そして小説というのはつまるところビデオに残された会話の断片のようなものでもあって、啓介と「僕」のやりとりのようにして、かおりさんも由紀子も浩輝も、「こういうことを言う人物なんだな」と理解されるようにできている。

「人物造型」とか「人物を書き分ける」とか、いろいろな呼び方があるけれど、それは書く作業においては、会話や動作の積み重ねであって、彼ら彼女らは劇的に違う人間たちではない。しかし劇的に違わなくても一人一人はやっぱり確かに違っているわけで、この小説の主だった登場人物が混じってしまうことは全然ない。

それでこの小説は何が言いたいのか?何を書こうとしているのか?と問われると私は困る。だいたい私は普段小説を読むときにもそういうことは考えない。そういうことが問題になる小説は、そういうことしか書いてない小説なのだ。

ただし、「死の扱い方」という風に、便宜的に話題を限定するなら言えないこともなくて、これは「死との距離感」を測ってみたり、測りかねたりしている小説なのではないかと思う。一世代前までの文芸編集者だったら、「もっと死と真っ正面から向き合え」とか「友達が自殺したんだからもっと激しく動揺しなければおかしいじゃないか」とか言うと思うが、死はもっとずっと理解不能な何かであって、動揺するという明快さを簡単には与えてくれないだろう。一世代前の編集者の考え方は文学そのものでなく、メ文学的モな流儀に守られた考え方であって、本当の誠実さとは言い難い。

「真っ正面から向き合う」というのは、気づいていない人もいるかも知れないが、内的な状態を形ある動作に置き換えた比喩的な表現であって、現実の動作として、死と「真っ正面から向き合う」ことはできない。一世代前の人たちが普通にうっかり使っていた言葉や考え方を、同じ言葉や文化を共有しない者としてひとつひとつ検証していくのは次の世代に必要な態度で、こういう作業が繰り返されることによって、「死と真っ正面から向き合う」とか「おまえの生きざまが問われているんだ」というような、雑な言い回しが整理・淘汰されていく。

が、それでもなお、川上さんは、啓介の顔を石でつぶして消すところとラストが承服できないと言った。しかしそれは、「作品の態度として」ということなのではないだろうか。「これをひとつの作品として認めるには、このラストは許せない」だとしたら、受賞に価しないし、掲載にも価しないわけだが、川上さんの言い方はそうではなかったのではないか。作品だと認めた前提で、「私はこういう作品は支持しない」ということだったのではないか。

啓介は生きているあいだ同級生の中でカリスマっぽかったようだ。そういう人間にこんな死に方をされたら伝説になってしまう。みんなの中でなく、「僕」の中で。顔を消すこととラストの会話はそれとの闘いなのではないか。消してみたところで、ラストにどういう言葉を持ってきたところで、「僕」の中の啓介は変えられないのだから、どちらを選択しても同じことじゃないかと私は思うのだ。ビデオをどう編集しても、かおりさんと「僕」が何をしゃべっても、啓介の死は変わらない。前提にはそれがあるのではないか。

というわけで私はこの小説を推したのだが、タイトルを変えることという条件をつけた。「すべては優しさの中へ消えていく」は、うっとうしくて恥かしい。タイトルは著者の所有物ではなく、それを目にしたり口にしたりする人のもので、著者が望まなくても周囲の人たちはタイトルからいくらでも小説本体に対する先入観を膨ますことができる。本体を読めばわかると思っているのかもしれないが、読んでなおかつ先入観によっていくらでも誤読される可能性を自分自身で打ち消すことができないのが小説というものの基盤の脆弱さであって、こんなタイトルでは誤読されるだけだ。著者が「優しさ」でイメージしている意味はたぶん普通に使っている意味より容赦ないものだと思うが、つねにタイトルを頭の隅に置いて小説を読解しようとする、好ましくないがありがちな読者には著者の意図するところは伝わらない。それにだいいち、著者本人がタイトルを口にするときに恥かしい。

小説家にとって、恥かしかったり照れくさかったりすることのひとつが、人に向かって自分の小説の題名を言うときで、「すべては優しさの中へ消えていく」では、本人が最後まで言い切れないんじゃないか。

「安心感を得られる」

次に評論の三作のうち、宮元淳一さん『天皇の複数化』と武田将明さんの『鏡と嘔吐』の二作だが、天皇や国家について論じることが考えることだと誤解しないでくれと、宮元さんと武田さんだけでなく、多くの人たちに言いたい。

文学にかぎらず芸術全般、つまり表現されたものすべては、見えたり聞こえたり読んだりされる対象そのものに圧倒的な価値があって、その向こうにあるかもしれない国家や社会や時代を論じることは表現されたものを見ない聞かない読まないことにしかならない。この連載で何度も書いているが、カフカの「城」が何を意味し、ベケットの「ゴドー」が何を意味するかなんてことを考えることは、作品を読むことではない。

そしてもう一つの評論、石黒隆之さんの『甘やかなブルース サム・クック論』なのだが、選考会ではこれが一番の議論になった。

小説、評論あわせてすべての候補作を読んだ時点で私のイチ推しはこれだった。読みながらすごく興奮して、私は学生時代から二十代の頃に間章(あいだあきら)や高橋悠治の音楽評論を読んでフリージャズや現代音楽に熱い思いを抱いたことなどが甦ってきたりもした。

ところが!選考会で町田さんが、この評論には致命的な欠点があると言ったのだ。

町田さんの選評と重複するかもしれないが、私が理解したところを書くと、音楽の制作のプロセスを間違って理解していると言う。今はポップスはコード進行を先に決めておいてメロディを作るのが主流だが、サム・クックの時代にはメロディを先に作ってコードはあとからつけていた。しかし著者はコードが先の制作プロセスとしてサム・クックを論じてしまっている。

私がいまここにこうして書いていると、自分の書いたものを読み返してみて全然説得力がないのだが、選考会での町田さんの指摘の仕方はもっとずっと強く、説得力があった。そして選考会のあとも、夕食へと移動するタクシーを待ちながら、町田さんは、

「あれがもし将棋や映画についてだったら、保坂さんも容認できない間違いが、あの評論にはあるんです」

という意味のことを言った。

私の気持ちとしては、相対性理論やフェルマーの定理について書かれた本を読んで感動していたら、専門家から「あの本の前提になっている理解が間違ってるよ」と言われたようなもので、そこは信じるしかない。

それでも福田さんは受賞させる方向で抵抗した。論旨は、もし制作の現場がそうであったとしても我々はできあがった状態にしか接しないのだからこのような間違いも評論としては許容範囲である、ということだ。

しかし私が態度を翻した理由はまさにそこで、私は小説をまず書き手の側に取り戻すために、この連載を書いているのだ。私は制作者が作品を一番よく理解していると主張しているわけではない。しかし制作者にとって作品の解釈が明確に間違っているものは譲れない。福田さんによれば、小林秀雄の『モオツァルト』だって間違いだらけらしいが、間違いの上に乗る評論はおかしい。そこには評論として作品に接する接し方におかしなところがあり、私はそうではない接し方のためにこの連載でかいているつもりなのだから。

というわけで、今回の選考会で私は最も優柔不断な振る舞いを演じることになった。コード進行のことなど私にはわからないから、音楽評論となると気分で読んでしまうことになる。それはもう音楽評論を読むときの私の致命的な欠点で、冷静になって考えてみれば、それは私自身が音楽を聴いているときの気持ちともまた別のものであったのだ。

が、それでもやっぱりこの『サム・クック論』には大事なことが書かれている。ただし冷静になって読むと、それらの言葉は、先に結論ありきで、サム・クックの音から本当にそういうことが導かれうるかは疑わしいのだが、それでもやっぱり私はここに書かれているいくつかのことを忘れないだろう。

小説でも評論でもデビューする前の人たちにとって新人賞はすごく高いハードルと感じられているだろうが、実際は少しもそうではない。小説には八○年代まではなんだかやたらとうっとうしい関守りのような存在が、具体的にどの編集者ということでなく、文芸誌全体に見えざる関守りが君臨していて、新人賞を受賞する小説の多様性を阻んでいたが、いまではそんなことはない。その頃、文芸誌は自分では一歩も動かず、デビュー前の書き手が訪ねていってもなかなか扉を開こうとしなかったが、いまでは可能性がありそうな人がいると聞けば文芸誌は自分からどんどん出向く。

まして評論では目ぼしい書き手がほとんどいない。この三年間の「新潮」新人賞でも、かろうじて一作受賞作が出ただけだ。本当に評論を書く気があれば、新人賞なんかとらなくても仕事の場はいくらでもある。ムムなどと書けば多くの文芸評論家は反論するだろうが、彼らはメいまを生きている私たちが作品を読む行為モという、核になる地点を見ていない。柄谷行人が提起した問題圏で、一般読者に向かって何のことわりもなく柄谷行人の提起した問題をなぞってしまう評論は言うに及ばず、今回の『ガリヴァー旅行記』にしても深沢七郎にしても、一般読者にとってはその名前が唐突だという自覚がない。一般読者にとっては、「夏目漱石」という名前でさえも、文芸誌の中にあってさえ、唐突なのだという意識を少しでも持つことのできる評論家だったら原稿の依頼はいくらでも来るだろう。

八五年だったと思うが、『プレーンソング』の石上さんのモデルとなった学生時代の先輩と毎週競馬場に通っていた頃、森田芳光の映画『それから』が作られて、石上さんのモデルであるところの彼が、

「いまさら夏目漱石なんて言われても困っちゃうよな」

と言っていたのが私には忘れられない。

私自身、小説家になって毎月文芸誌が送られてくるようになるまで、文芸誌の中では夏目漱石についていつ論じても唐突と感じられないような了解ができあがっていることを知らなかった。しかしそれはやっぱりどこか不自然なのだ。つまり、個人が長年にわたって考えつづけている問題は、すべて唐突なのであって、自分がこれから論じようとすることが読者にとっても関心の対象になりうるという道筋が、まず示されるべきではないかと思うのだ。

話を『サム・クック論』の石黒さんに戻して、これが受賞しなくても、このレベルの評論をもう一度書いて、それを編集部に持っていけば、きっと編集部はそれを採用して掲載するだろう。「新人賞受賞」という惹句なんか関係ない。

……やはり、六三年のアルバム「Night Beat」は、作られねばならない作品だったのである。

この作品は、ベッシー・スミスの歌唱で知られる「Nobody Knows You When Youユre Down And Out」や、アイヴォリー・ジョー・ハンターの「Since I Met You Baby」などが収録された六一年のアルバム「My Kind Of Blues」と、対を成すものである。【ホーンセクションを多用し、華々しく猛々しいサウンドの「My Kind Of Blues」は、BBキングやレイ・チャールズが、白人の聴衆を相手にするときと同じやり方でブルーズを聴かせている。ホーンセクションが、明確な記号となって音楽に輪郭を与えているから、聴き手は安心感を得られるのである】(A)。一方、「Night Beat」には、ギター、べース、ドラムス、ピアノ、オルガンという小編成のコンボで、極めて淡々と熱することも冷めることもない演奏と歌が収録されている。過度なアレンジメントなどない。コードチェンジを示唆するピアノと、四分音符を確実に刻むベースラインは、楽曲を急かしたりしない。ギターのカッティングとオブリガードは、行間に吸い込まれそうな、仄かな感情を掬い上げ、ドラムスが派手なフィルインを見せびらかすことなど、ここでは起こり得ない。【この音楽は、誰に向けられているのでもない。演奏する本人達のためにあるでもない。皮膜に覆われ続け、輪郭を失ったものへの、鎮魂歌としてのみ、存在している】(B)。

右の引用の傍線(A)の一文だけで、私は文芸評論として掲載される価値があると思ったのだ。

聴き手、観客、読者……etc.は、輪郭を与えられることによってはじめて、作品に対する感想や評価を持つことができる。「輪郭を与える」「……として定着させる」「受け手に対する方向づけとなる」等々、言い方はいろいろできるが起こっていることは一つのことで、作品の中に「こういう風に受けとめてくれ」という方向づけや輪郭づけがないと受け手は明確な感想を持てないのだが、受け手だけでなく作り手もまた、受け手が抱く感想を想定することが作品を作るときの拠り所のひとつとなる。つまり、引用に即して言うなら「作り手もまた安心感を得られる」。

これはひじょうに重要な指摘で、このような指摘を書けた人が受賞しないのは本当に惜しいことではあるけれど、このような指摘ができる人だからこそ、この評論によって受賞しなくても、遠からぬ将来私たちはこの人の書いた評論をどこかの誌面で読むことになるだろう。

一方、傍線(B)は引用につづく段落を読んでいってみても、音そのものから導かれたとは言いがたい。これは論じる対象への幻想から出てきたとしか言いようがない。ムムしかし、こう書きたい気持ちはわかる。読者としてもこういうことが書いてある方が昂揚する。つまり、「安心感を得られる」。早世した間章のジャズ評論はほとんどこういう文章で成り立っていた。小林秀雄だってこういう美学的文章だらけだろう。しかしそれでも、傍線(A)を書いた人は傍線(B)を書かずに評論を評論たらしめなければならない。自分でそう書いちゃったんだからノノということでなく、(B)のように書いてしまうことは私たちの注意を音楽を聴く行為そのものから逸らしてしまうことになる。対象のまわりにある幻想から美学的な昂揚感を演出するのでなく、対象それ自体につきつづけることが評論のとるべき道なのではないかと私は思うのだ。