【Dr. Holiday Laboratory『脱獄計画(仮)』】メモその1

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公演まであと11日となった昨日(2/11)稽古を見てきました。
私は稽古見るのが大好きです。本公演が違うように稽古も、芝居ごと劇団ごとに違う。

いつも思うのは、稽古は、公演では10分とか5分とかの場面を繰り返しやってて、出来上がりが想像つかない!
材木とかコンクリートとか見せられても出来上がった家は想像できない。それに似てもいる。
「この人たち、このバラバラのパーツをよく組み上げるなあ」と感心する。

役者はそれでも、つねに、1人1人が役者なんですよ。1人1人の違いを見ているだけで、本番が楽しみになる。私はひとり蚊帳の外で、歳上の従兄姉たちがいっぱいの親戚の集まりで、ほぼ最年少だった自分を思い出す。というか、なんかその自分が息を吹き返している。

歴史上、多くの集団がそうなんだけど、集団の記録を残すのは、オミソ扱いだった1番年下の人なのです。仲間に入れないから記録を文字に残す。記録(文字)とはそもそもの起源がそういうもので、評論家も根っこは同じだから、自分を偉いなんて勘違いはありえないわけです。

21年11月の『うららかとルポルタージュ』の時もそうだったけど、観るだけである自分は、「その1つの席(視点・角度)で、開演から終演までという限られた出来事にしか居合わせていない」という謙虚さというか自分が存在することの限定を忘れて、たいていの人があれこれ言う。

芝居は、時間的にも空間的にも、観客として居合わせた出来事を超えて広がっている。だから、役者を筆頭に芝居に関わる人達は、それをずうっと続けているんだと思う。
今回の『脱獄計画(仮)』は、とりわけそういうことを考えさせる(予感させる・洞察させる)芝居だと思う。