〈小説的思考塾vol.15〉ツイートまとめ

私の小説論で、一般社会の人が一番驚くのは、「事前の設計図はない」というところ。
これは、
(A)外枠を最初に決めるか
(B)内側から始めるか
ということだと思う。
(だから、ざっくり言えば、芸術気質の人は校則などの規則と合わない)

社会は共通のルールで動くから外枠がまず必要になる。
芸術行為は個人の内側からの声を聞くことだから、共通のルールとは相容れない。
それゆえ、作品の基準も事前の尺度はなく、作品それ自身が決める。👉👉👉たぶん、これが、ほとんどの人にわかってない。

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Eテレ〈100分de名著『独裁体制から民主主義へ』〉の3回目を見たら面白いことを言ってた。
体制内のメンバーである兵士や官僚は積極的な反抗は難しいが、「隠れた不服従」なら可能であると。

「隠れた不服従」の例として
「命令に非効率に従う」
「射撃する際には的を外す」etc、
〈戦わないことで戦う〉という戦い方だ。
社会の中心にいる人から見たらダメ人間(評価されない人間)になることだ。
『プレーンソング』の彼らが選んだ生き方も基本、これだ。
私の小説の登場人物は、ほぼ全員〈戦わない〉〈消極性の塊り〉
生きることを、積極的な戦いだと思いたがっている人は、私の小説を理解できなかった。
優秀と言われて人から評価されることは、自分として生きることから目を逸らすことなのです。

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社会が想定してくる(=規格化してくる)個人の内面や身体性や生き方があって、芸術はそれに対するズレとなる。
このズレが個人の領域の確保になり、社会化されることへの抵抗にもなる。
文章を例にとれば、国語で習う「いい文章」とは、わかりやすくて伝達力に優れている文章のことだが、芸術は、その標準的文章からどうやって逸脱するか?(標準の、以下も以上もどちらもある)
例えば、標準より★遅い・速い★密度が薄い・濃い
★とにかく何でもやたら知ってる
★ほぼ全てが間接的に書かれる
etc.etc.
新人時代は、ほどよく、手際よく書こうと、上手さが必要と錯覚するんだが、それは書く内容を限定する。
これらを実例を挙げて説明します。

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[一般社会の思考]と[芸術行為の思考]
最大の違いは、関心の対象が、結果かプロセスか。
結果は誰でも見るが、プロセスに関心が向く人は少ない。
芸術行為は結果(終点・結末・完成形)は予め保証されてはいない。
芸術行為は、完成形から逆算するわけでなく、現在地での試行錯誤によって前進する。
試行錯誤を苦痛とか徒労とか感じる人は、芸術行為には向いてない(たぶん)。
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猿が言葉を喋らないのは、仕事をさせられるのが嫌だからだ。(ジャワ島の伝承)

人間におだてられて、ほいほい仕事するような猿は、猿としてのプライドがないし、創造性に欠ける。
小説家は言葉のプロでなく、言葉と世界の乖離に気付いて、そこで躓ける人のことだ。

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『失われた時を求めて』から
「また人生が、あるときはじつに美しいものに見えても、結局つまらないものと判断されたのだったとしたら、そのつまらなさというのは、人生それ自身とは全く別のものによって、人生を何一つ含んでいない映像によって、人生を判断し、人生を貶めているからであることを理解するのであった。」
最終巻『見出された時』の濃密さに改めて驚いてる。

『見出された時』を熟読するだけで、哲学・脳科学の類いは不要レベル。
「人生を何一つ含んでいない映像」というのが、今回のテーマである〈本来の生から人を遠ざけるもの〉のこと。
プルーストはこのあと、時間について怪物的なイメージを展開する。

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『失われた時を求めて』の続き
「人生それ自身とは全く別のものによって、人生を何一つ含んでいない映像によって、人生を判断し、人生を貶めているから……」

毎月出版される小説の大半は「人生を何一つ含んでいない映像」レベルで、それを賞賛する書評を読むと暗くなる(この「……映像」とは「資料を丁寧に調べて書いた文章」と置き換えればわかりやすい)👉つまりこれらは小説という形式である必然性がない。あるいは〈小説〉がない。
賞賛する書評を書く人たちは小説を必要としているわけではない。たんに与えられた課題をこなすことに長けているだけ。👉しかも、正しくて不毛(ポリコレ的な正しさは、芸術にとっては、不毛)
🔶自由の行使であるはずの芸術が、空気への同調になっている
🔶個人の領域確保であるはずが、社会の規格化を助長している

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『見出された時』より
「1時間は、1時間でしかないのではない、それは、匂と、音と、計画と、気候とに満たされた瓶(かめ)である。」

匂、音ときて、次に、計画、気候という全く異質なものが来るのがいい。だからこの「瓶」の中には、もっといろいろなものが入っている。
「1時間は、1時間でしかないのではない」という考えに辿り着くために、プルーストはあれだけの長さを必要とした、という言い方は雑すぎるが、
数字や均等な時間という思い込みに、人はどれだけ縛られているか!だから芸術はきっとここから始まる
👉時間の長さを数字で語らない。
👉或いは、時間に長さはない。
🤠しかし、プルーストは1時間を言うのに、量でなく、いきなり感覚を言い出しているんだなあ!
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〈ちょいメモ1〉
世間は「変わってること」や「変わり者」に寛容じゃない。
芸術はどこかが変わってることから始まる。
だから変わり者好きな友達を、なるべくいっぱい持ちたい(笑)
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〈ちょいメモ2〉
🤠習得の速さにある限界
習得の速い人は芸術の領域に踏み込めない(社会の中での称賛で終わる)→実例は対面で。
習得が遅いのは、その人なりの固有性があるから。
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〈ちょいメモ3〉
芸術は信じること
信じることは疑うことより、はるかに知的な活動
信じることは、ぐらつくことでもある