われわれは生成しつつあるものを表現するための言語を持っていない【中編】(『小説の誕生』10)

冒頭で引用した箇所にあるように「われわれは生成しつつあるものを表現するための言語を持っていない」。
言葉は遅れてやってくる。音楽が鳴り終わってから言葉で語ろうとしても、その音楽と同じものになるわけがない。言語による思考とはそういうものだ。
しかし、そこに書かれている言葉が、私たちの経験と記憶と知識と体のすべてに訴えかけるものであるなら――そのようにして読まなければ理解できないもので あるなら、言葉は生成の呼び水となるだろう。
今回、私がニーチェとクロソウスキーを読みながら感じたことはこういうことだ。
樫村晴香がこういうことを言っている。

これらはいいかえると、デュシャンの作品を見る人は、彼と全く同じように、彼と同じ質の視線で、その作品を見ることを求められる、ということです。例えば ダ・ヴィンチの描いたマリアを見る人は、自分がマリアを見ているかの様に錯覚し、ダ・ヴィンチの描いた絵を見ていることを一瞬忘れる時があります。その時 その人は、ダ・ヴィンチと同じようにマリアを見ているつもりになりながら、実はダ・ヴィンチとは全く異なる場所、っまりダ・ヴィンチの絵を受け取り、彼に 騙される場所にいます。セザンヌの場合なら、彼が描いたりんごを見て、それをりんご自体だと感じる人はないでしょう。でもその人は、セザンヌが見ていたの と同じ様に、自分がりんごを見ている、と錯覚する。しかしその人は、セザンヌがりんごを見、それから後に、表象として送り出した絵を見ているだけで、セザ ンヌと同じ様にりんごを見ているのではありません。この錯覚は、セザンヌ自身が、非常に特殊なものではあれ、想像的な他者の時間へ、彼の作品を送り出し、 彼の視線を誰かと共有し、誰かに共有させ、抽象的な誰かと一緒に自分が世界を見ていると感じたから可能なのです。ダ・ヴィンチの場合には悪意ある孤独な 愛、セザンヌの場合にはほとんど意識以前の孤独な愛があり、彼らが誰かと同一化し、自分以外の誰かの視線を感じ、共有しようとした結果、人は彼らと同化で きます。
そして作品を見る者も、誰かとともに世界を見ているという幻想を、同様にもっています。これはすでに話した、他者の眼球運動の鏡像的な特異性に基盤があり ますが、その結果、彼は他人が送ってよこした作品や言葉を受け取りながら、それが表象でしかないことを常に忘れ、それを他人の視線や意識そのものと思いこ んで、作者の場所に同一化する。けれども、デュシャンの場合は、彼が「作品を作らない」作家であり、誰かに向けて表象を送り出さず、誰かと同一化しながら 世界を見ないので、彼の作品を見る者も、彼に同一化できません。彼と同じように、チョコレート粉砕器の回帰する一瞬毎の運動を、作家でなく自分自身の視線 によって、しかし他者の視線のようにその視線自体を対象の場におきながら、作品を見るしかないのです。(拙著『言葉の外へ』所収の対談「自閉症・言語・存 在」での樫村晴香の発言)

つまり、一般に作品というものは、観客が画家と同じ視線でそこに描かれた物を見ているように思っているわけだけれど、それは錯覚であって、観客は作品とし て完成された状態を受け取っているだけである。だから作品の制作過程を観客が画家と一緒に辿る必要はない。画家と観客は想像的な地点で同一の視線になる。 それが作品というものに内在する仕組み(時間?)である。
それに対してデュシャンの場合は、自分自身の視線が他者となっている。観客は制作過程においてデュシャンがそれを見たのと同じ視線で作品を見なければなら ない。
ふつうの作品の場合、画家は制作中の絵を完成状態を想定しながら見ていて、その視線は観客と同質の視線なのだが、デュシャンの場合には観客の視線が入る余 地がない。とでも言えばいいか。
あいにく私自身は樫村晴香のようにデュシャンの作品を見ることはできないのだが、この言葉は、作品は当然のこととして、観客や読者の位置づけを劇的に変え る。
「いい作品(力のある作品)なら、黙って差し出すだけでみんなが感動する。」
という作品観はいくつもある作品観の一つにすぎないということだ。これはもうこの連載で何度も書いた憶えがあるが、この作品観はひじょうに頑固なので事あ るごとに書かなければならない。
「あなたがそんなことを言うのは、あなた自身が力のある作品を作り出すことができない言い訳なんじゃないか?」
そうではない。「いい作品には説明はいらない」というのは、観客や読者を受動的な立場に囲い込むためのイデオロギーなのだ。
ある作品がどうして、どのように「いい作品である」と言えるのか?ということは、観客や読者の能動性を前提にして語る必要がある。観客や読者は「作品に考 えてもらう人」ではなく、「作品と一緒に考える人」なのだ。
「作品と一緒に考える」のであって、「作品について考える」のではない。「××について考える」というのは、言語による思考しか使われていない状態だが、 その言語とは「生成しつつあるものを表現するための言語を持っていない」ところの言語なのだ。
たとえばその悪い例の一つが、作家の個人史から作品の成り立ちを考える方法で、西条八十が書いた、
「――唄を忘れた金糸雀は、後ろの山に棄てましよか。
――いえ、いえ、それはなりませぬ。
――唄を忘れた金糸雀は、背戸の小籔に埋(い)けましよか。
――いえ、いえ、それもなりませぬ。
――唄を忘れた金糸雀は、柳の鞭でぶちましよか。
――いえ、いえ、それはかわいそう。
――唄を忘れた金糸雀は、
象牙の船に、銀の擢、
月夜の海に浮かべれば、
忘れた唄を思い出す。」
という「かなりや」の詩は、貧しい生活の中でともすれば、詩作する心の余裕を忘れそうになった自分自身を書き綴ったものである、などと説明されることが多 いが、それではこの詩がなぜこの言葉によって成り立っているのかということがまったく説明されていない。
西条八十がなぜカナリヤを選んだのか?なぜ、壊れたオルゴールではなかったのか?「象牙の船」「銀の櫂」「月夜の海」という転換は西条八十のその当時の生 活とどういう関係にあるのか?等々。
「貧しい生活うんぬん」という説明がかりに西条八十本人によってなされたものだとしたら、絵がそうであるように完成した作品の中に作者の息づかいや筆づか いのような制作過程(時間)を一種の演出として盛り込み、広く一般の人の共感を得ようとした(それが意識的かそうでないかはこの際、関係ない)のだ。
作家の個人史を知ることによって作品が説明されうるという誤解は、日本の私小説的風土ということをこえておそらく世界的な誤解で、不用意に精神分析の理論 を使う作品解釈は、この個人史の知識に精神分析を接ぎ木するからひどいことになって、意識を翻弄しているはずの膨大な無意識が、ただ「生い立ち」や「当時 の生活環境・人間関係」というものに歪曲されて、意識と同じようなものになってしまう。
「あなたはさっき『私たちの経験と記憶と知識と体のすべて』と言ったじゃないか。それなのに、どうして『生い立ち』や『当時の生活環境・人間関係』がいけ ないのだ?」
後者を作品解釈の根拠とする場合、「生い立ち」etc.はすでに物語化されている。つまり、この作品解釈は、物語によって作品(という物語)を解釈すると いうことであって、同じ次元を堂々巡りすることにしかならない。
そもそも「生い立ち」「当時の生活環境・人間関係」等々の物語は、それに先行する文学によって価値が与えられたものだ。文学を説明するのに、文学によって 価値が与えられたものを使うのは論理の構造として破綻している。

「言葉なんかいらない」

私は荒川修作が建築でやろうとしている生(死)の克服について、まったく直線的に論じることができないまま、いまこうしてずうっと書いているわけだけれ ど、私がもしひじょうに明晰にそれを記述できたとして、読者はそれを理解できるだろうか。ここで言う「理解」とは、腑に落ちる――胸の底の方にぐうっと言 葉が降りていってそこに定着する――ことだ。
自分の家から最寄りの駅までの道を、どうやったって間違えないと確信している感じ、そしてその道が次に歩くときにも昨日歩いたのと同じように確かにある感 じ、そのように思えるような理解を、明晰な言葉で直線的に論じることで得られると思う人は、言葉と何かを理解することの関係がわかっていない。
言葉は生成しつつあるものを表現することができず、言葉はいつも遅れてやってくるのだ。
「悟り」という現象がある。
道元について書いた入門書からの知識だが、悟りというのはごく短時間だけ訪れる覚醒状態であって、永続的なものではない。だから、車の運転免許のように、 一度取ったらずうっと持っていられるようなものではない。つまり「悟った人」と一般に言われている表現はありえない。道元は、日々の修行を重ねて、何度で も悟らなければならないという風に言っているそうだ。
ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜も、「バッティングがわかったと思う時期は確かにあるんだけれど、あの人はすぐにどっかに行っちゃう」と言っていた。
何かを理解するのもそれと同じことで、いつもあれこれあれこれ、うだうだうだうだ、考えたり思い返したり、自分のまわりで起きることに注意をしたりしてい ないと、理解するための空間が自分の中にできない。「空間」は、基盤でも前提でも土壌でもモードでも様態でも、言葉は何でもいい。どれを選んだところで何 も言い当てられてはいないのだから。
これは伝聞の伝聞のそのまた伝聞の伝聞くらいの話だから、もうほとんど神話か言い伝えのようなものだと思って読んでほしいのだが、荒川修作がドゥルーズに 会いに行ったときのこと。荒川修作は、「言葉なんかいらない。言葉を使って考えるから人間はダメになった。」
というようなことを、ドゥルーズに向かってしゃべりつづけて、彼が帰ったあと、ドゥルーズが、
「アラカワは狂っている。」
と言ったという話。
それはそうだ、言葉によって考える哲学者に向かって「言葉なんかいらない」なんて言ったら、狂人扱いされるに決まっている。
という話なのだが、ドゥルーズにそう言う資格があっただろうか。または、ドゥルーズは本当にそう言っただろうか。だって、ドゥルーズが考えつづけたことも 基本的にはそういうことのはずだったのだから。クロソウスキーだってこう書いているではないか。

われわれは、日常的記号のコードに比較すれば、不連続な諸状態の連なりでしかなく、その点について言語の固定性はわれわれを欺いている。われわれがその コードに依存しているかぎり、われわれはわれわれ自身の連続性を思い描くが、実はわれわれは不連続なものとしてしか生きていないのだ。(『ニーチェと悪循 環』「欲動の記号論の起源としての病的諸状態」)

瞑想しながら、自分の子どもの頃の出来事がいきいきと蘇ってきたり、この世界の姿がありありと浮かんできたりしたら、きっとその瞑想はうまくいったという ことだろう。
瞑想というのはそれ自体では空っぽのもので、α波かβ波か、どっちか忘れたが、とにかく、ただふだんと違う脳の状態にすることを瞑想というのだろう。
 私たちは「本を読む」ということを、「そこに書かれていること(内容・意味・情報)を理解する」こととふつうは考えている。その場合、当然、言葉は生成 しつつあるものを表現していない。言葉はすべて事後のものになっている。
しかし、もし本を読みながら、読者の頭でいろいろな考えが渦巻いたとしたら、「言葉が何かを生成させた」ということになるのではないか。
私にとって、小島信夫の『菅野満子の手紙』と『寓話』という二冊は、そういう、ほとんど奇跡と言ってもいいような本なのだ。
すでに書いたことだが、私は八七年にこの二冊を確かに読んだのだが、中に何が書いてあったか、何も憶えていなかった。しかし、この二冊を読みながら、いろ んな考えが湧いてきたことだけは確かな感触としてずうっと持っていた。そして、先日この二冊を十八年ぶりに読んだら、やっぱりそのとおりで、私はいても たってもいられないような、いますぐ本を放り出して走り出したいような気持ちになった。
私はこの二冊についていつかまとまった形で書きたいと、これもすでに書いたことだが、この二冊はそれについて書くよりまず読まれなければならない。
どちらも原稿用紙で約千二百枚あり、その長さも禍い(?)して、現状どこからも再版される気配はない。だいたい八○年代半ばの出版当時に、この二冊はほと んど話題にならなかった。その少し前に出た、ともに三巻本になっている大著の『別れる理由』と『私の作家遍歴』は、その長さゆえに話題になり賞もとったけ れど、〈小島信夫=とりとめなく長い〉という定評が流布されてしまったために、その後出版された本にとってはかえって、ネガティヴ・キャンペーンの役割り を果たしてしまったのではないかとさえ思う。
それやこれやの事情でこの二冊はほぼ黙殺された状態だったけれど、もっと本質的な原因は、この二冊が批評されることを拒んでいるというか、批評とまるっき り無縁の地点で書かれているところにあると思う。この二冊について書くことは不可能、というか意味がない。この二冊は読んで、自分の中からいろんな考えが 湧いてくるのを喜びとする、そういう本だ。
それで私はこの二冊を個人出版することにした。二冊同時は難しいから、とりあえずは『寓話』の方から出版しようと思う。

『寓話』個人出版

「保坂和志」名義のホームページがあって、私はそこで単行本化されていないエッセイをまとめて載せたり、いままで書いた小説の創作ノートを発表したりして いる。そのホームページを見てくれる人たちは当然、私の読者で(とはいっても一部、インターネットを回遊している人も混じってはいるが)、その人たちは私 と小島信夫さんとの関係をよく知っているし、ほとんどの人たちは実際に小島信夫作品を読んで「おもしろい」とも思っている。
出版業界の人たちは小島信夫の読者を、〈『うるわしき日々』や『各務原・名古屋・国立』など、最近の作品で描かれている老境に入った作家が抱えている家庭 や人生の問題と悩みを共有する人〉という風に、ひじょうに安直に、一種私小説みたいにして題材から読者層を掘り起こそうとしている節が感じられるけれど、 もちろんそれはセールスとして成功していない。
先日もちょうど、小島作品に「X氏」としてたびたび登場する、ウナックという画廊のオーナーで、書の井上有一の評伝『井上有一』(ミネルヴァ書房)も出版 した海上雅臣さんと電話で話したときに、私がこの、出版社の読者層の読み違い・セールスの失敗の話をしたら海上さんも大笑いしていらしたが、つまり、小島 信夫は現代芸術の中に位置づけなければ売れるわけがない。現代芸術としてきちんと知らしめればもっと正当に売れる可能性がある。私の読者が小島作品を「お もしろい」と言うのも、表現の自由さ・書いている話題が一見脈絡なくどこにでも流れていくその感じが楽しいからであって、私小説風の関心ではまったくな い。
セールスとして成功している純文学というと、三島由紀夫~大江健三郎~村上春樹という流れがあり、彼らの小説は題材がいっぱい盛り込まれているから評論す るのに困らない。作品世界を図式化することもできるし、作者が作品の奥に隠したことを謎本のようにして読み解いていくこともできる。
文芸評論家というのは作品と読者を仲介する役割りが期待されている部分が大きくて、彼らの小説は「仲介」を書きやすくできている。それに対して、小島信夫 の小説は仲介を必要としていない。しかし、三島作品より小島作品の方が「難解」だったり「おもしろくない」と言われてしまう。その理由は先ほどの樫村晴香 の言葉を思い出してもらえばわかってくる。
読者は小説を真面目に読もうとすればするほど、「仲介者」であるところの文芸評論家のように読んでしまう傾向が強く、三島由紀夫~大江健三郎~村上春樹と いう、セールスで成功していて同時に日本文学の主流と見なされている小説家は、そのような読み方に応えやすい書き方をしている。これは「意識的にそう書 く」とか「計算でそう書く」ということではなく、小説家としての資質のようなものと言う方がいいだろう。
読者が彼らの作品を「仲介者」のように読むことができれば、そこには材料がいっぱいあるので「難解」ということにはならない。「おもしろい」というのも、 一般に「ストーリーがあるから」と思われがちだけれど、かりにストーリーなんかろくになかったとしても、読む材料さえいっぱい盛り込まれていれば「退屈」 はしない。樫村晴香の言葉の、
「想像的な他者の時間へ、彼の作品を送り出し、彼の視線を誰かと共有し、誰かに共有させ、抽象的な誰かと一緒に自分が世界を見ている」
この部分の「視線」を「思考」と置き換えれば、ほぼ受け入れやすい小説の説明になると思う。
小島信夫の小説は「仲介(者)」を必要としないのだが、「仲介(者)」に馴れた読者は「仲介(者)」なしの状態で読むことがなかなかできない。「何も書か れていない」ということになりかねないのだが、世の中そんな読者ばかりでなく、小島作品を「おもしろい」と思う人がすぐに何人も集まってくれて、『寓話』 の個人出版の話が動き出した。

『寓話』の約千二百枚の原稿は十月半ばの現時点で入力が終わった。
それを本のページの状態に組む仕事をM君がこれからしてくれる。元の『寓話』は、一行46文字の20行が1ページで、546ページだが、いま作っている 『寓話』(以下、新『寓話』)は一行27文字×23行の二段組みにして400ページ強にしようと思う。したがって、判型はふつうの単行本より一まわり大き いA5判で、『ミシェル・レリス日記』など、みすず書房の本と同じサイズということになる。
新『寓話』をそのサイズにしたのは、ページ数を減らしたいことともう一つ、A5判だと、A4サイズの用紙でふつうのプリンターで印刷できるからで、A4一 枚の表と裏で四ページ、一冊につき100枚ちょっとの紙をプリントアウトして、それを16ページ一折りにすると、26折りで一冊ということになる。ホーム ページで集まってくれている人の中には、手縢(かが)りで製本ができる人がいる!
もともと私が考えた出版形態は手製本で、注文に応じて一冊ずつ製本して発送するというものだった。この形態は時間はかかるけれど絶版状態がない!現状だっ たら、どこかの古書店に在庫がなければ、いつまでたっても『寓話』は手に入らない。新『寓話』は、時間はかかるが、いずれ必ず手に入る。
もちろん、この方法は製本の部分でコスト(労力)がかかる。これは“ボランティア”ではなく、私は新『寓話』に関わる人全員に、少額でも利益を還元したい と思っている(小島さんにも印税がいく)。製本した状態で四千円以内で売りたいと思っているが(いま『寓話』の古書店価格は五千円だ)、「製本が待てな い」「製本したのは高い」と言う人には、プリントアウトの状態で販売して、購入者各自でバインダーに止めるなり何なりしてもらうことにする。その場合の販 売価格は二千円前後だろうか。
と、これが最初の案だったのだが、本のページをすべてプリンターで印刷するのは、紙が反ったり、表裏の印刷が一枚でもズレないかいちいち見ていなければな らなかったりで、現実的でないことがわかった。それで結局、印刷は印刷所に頼むことになり、これだと百冊二百冊単位で小出しに刷っていっても、「品切」状 態ができてしまうことが避けられない。が、仕方ない。
あれもこれも、と全部クリアしようとして前に進めなくなってしまったら意味がない。最大の目標は「『寓話』を出版する」ことだ。
しかし、いまはインターネットで地方の安い印刷所に発注することもできるし、何しろ百冊単位でもあんまり割高でなく印刷可能なので、いまの出版のような長 期にわたる「品切」状態は避けられる。
ただ製本の質をどの程度にするかはやっぱり悩ましいところで、いくらコストを抑えるといっても、ほんの数年のうちに糊が乾いて本が解体してしまうようなこ とは避けたい。が、それ以上に凝るつもりは私はない。もともと私は本をひじょうに雑に扱う人間で、ハードカバーの表紙の厚紙が邪魔だと思ったら背の糊づけ してあるところをナイフで切って、厚紙部分を捨ててしまったりするくらいで、私にとって「本」というのは、文字が印刷されているページの正味の部分だけの ことなのだ。
と、まだまだ不確定要素はいっぱいあるけれど、小島信夫さんの九十一歳の誕生日にあたる、二〇〇六年二月二十八日には、最初の一冊は完成させていたいと思 う。新『寓話』を購入希望の方は、info@k-hosaka.comまで、その旨、メールをください。

作家は異質さを持ち込む

さて、ところで小島信夫なのだが、私はこの連載の十五回目(四月号)で、間違ったことを書いたと思う。短篇の『小銃』の冒頭部分を取り上げて、「作者は最 初からこのように書いたのではなく、第二稿ではもっと回想めいた書き方をしたはずだ」というようなことを書いたのだが、とんでもない誤解だった!というこ とがわかってきた。
小島信夫という特異な小説家は、デビュー以前の、彼が創作をはじめたごく初期から(もしかしたら最初から)、すでに『小銃』と同じ、つまり今と同じ書き方 をしていたのだ。
これから引用するのは、一九三七年(昭和十二年)二月の「向陵時報」という、一高の校内新聞に掲載された『裸木』という短篇の冒頭部分だ。一九七一年に出 版された『小島信夫全集』全六巻のうちの短篇の巻に収録されていて、印刷された創作の中ではこれが一番早いもので、これが発表された時点で小島信夫は満二十二歳目前。